日本史の「デジャヴ」08 偉人英傑も神仏にすがる

誰でも生涯に一度くらいは進退窮まる場面に遭遇するものです。
俗な言葉なら「チビリそうな思い」を味わうということで、「誰でも」
とは偉人・英傑と崇められるような人でも、決してその例外では
ないということです。

その昔(587年)、大きな政治的抗争がありました。
表向きは「崇仏派」蘇我氏と「廃仏派」物部氏の対立構図に
なっていますが、実情はそれほど純情なものでもなく、むしろ
政界の「権力闘争」と見た方が妥当なのかもしれません。

蘇我氏系の厩戸皇子(後の聖徳太子)はこのとき弱冠14歳。
敗北は同時に自分の将来の消滅も意味しますから、こんな
「願懸け」をしています。

「勝たせてください。勝たせてくれたら四天王を祭るお寺を建て
させて頂きますによって、なにがなんでも勝たせてくださいネ」

一般的にはこういう姿を「神頼み」と言いますが、この場合は
相手が「四天王」ですから、正確には「仏神頼み」というべき
かもしれません。

後に偉人と称えられる聖徳太子もこの時ばかりは、なりふり
かまわず「神仏(仏神)にすがった」ということです。

で、結果は蘇我氏勝利の物部氏敗北、つまり太子の願懸けは
見事に「結果を出した」わけです。
そこで太子はその時の約束を守って、593年四天王寺の建立に
取り掛かりました。

既に結果を見た後のことですから「約束を反故」にすることも
できたのですが、そこは生真面目に実行したわけです。
こんな律儀な人、いまどきの日本人には少ないッ!


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        四天王寺             信長塀(熱田神宮)
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さてその千年ほど後、お話は同郷人・織田信長の1560年に移り
ます。 そう「桶狭間の戦い」です。

出陣前にひと舞いするなど、この時の信長には余裕綽々の
印象がありますが、ところがドッコイ実は、途中熱田神宮に立ち
寄り 「願懸け」 をしているのです。

つまり何倍もの敵を前にして、心底では「チビリそうな思い」を
抱いていたことになります。 では信長はどんな「願懸け」を?
聖徳太子の例に倣えば多分こんなセリフだったのでは?

(尾張弁で)勝たせてちょう・・・勝たせてちょうたらお礼はするでよう
・・・ええきゃあ、なにがなんでも勝たせてちょうよ、ええきゃあ!」

場所が場所だけに、もろに「神頼み」です。

結果はご存知の通り「信長・奇跡の勝利」・・・で、その後の信長は
どうしたのか? やはりこれも「約束」を律義に履行し、熱田神宮
に今も残る「信長塀」を奉納しています。

聖徳太子や織田信長の行動から何が言えるのか?
○偉人英傑も、時にはチビリそうになることがある。
○偉人英傑も、追い詰められれば 「神仏にすがる」
○偉人英傑は、「神仏」への約束をキッチリ果たす。

しかし、晩年の太子は政治的敗者の立場にあったようですし、
信長も「本能寺の変」で呆気ない最期を遂げています。
これを思うと「神仏にすがる」ことが有効なのは、後にも先にも
一回こっきりなのかもしれません。

もしそうなら、願掛けを聞き届けてもらえる「最初のチャンス」に
こんなお願いをするのはどうでしょうか?
「初めての願掛けですが、今回の願いはこれ以後の願掛けも
毎回有効にして頂くことです!」

これなら「晩年の安泰」もゲットできるように思えるのですが?




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