日本史の「デジャヴ」07 潰された”源氏返り咲き”

「源氏」や「平氏」は、この頃の朝廷側から見れば、
十把一絡げの「穢れた武士」ということになりますが、
そのご先祖を辿るなら、実は「天皇家」の出身です。
そんな微妙な立場にあった中で、「平氏」の平清盛(1118-
1181年)
が、平安末期に「ウルトラC級」(古い!)の離れ技を
披露したことがあります。

自分の娘(徳子)を天皇に嫁がせ、その間に生まれた子を
「天皇」(安徳天皇)にする。 つまり、清盛は「天皇の祖父」と
なることで、言葉を変えれば、その昔に離れた「天皇家」への
「返り咲き」を、見事に成功させたわけです。

もっとも、その立場は長く続かず、直後の「壇ノ浦の戦い」(1185年)
では、ライバル「源氏」にボッコボコにやられて、遂には滅亡の
憂き目に合っていますから、むしろ 「瞬間的返り咲き」だったと
言うべきかもしれません。

ところが、その壇ノ浦で勝利した「源氏」も、その後に実は清盛と
同じ行動を取っています。
「平氏」が曲がりなりにも「天皇家返り咲き」に成功したのなら、
今度は「源氏」の番だ、といったところでしょうか。

で、その方法は、源氏の頭目である頼朝が自分の娘(大姫)を
後鳥羽天皇の妃として送り込み、その上で自らも天皇家の身内に
収まろうとするものでしたから、いわば清盛方式?をまんまに
踏襲したものといっていいでしょう。

しかし、この作戦は駆け引きに長けた(腹黒?)な朝廷側に、当の
頼朝が手玉に取られたばかりか、肝心の大姫を病死させるという
源氏側の大失態?もあって、悲願だった「天皇家返り咲き」は、
ものの見事?に頓挫しています。

おそらく、頼朝自身は死ぬまでこの「見果てぬ夢」の挫折感を
引きずったでしょうが、では、このことをもって「源氏の返り咲き」
作戦?はすっかり雲散霧消してしまったかといえば、決してそう
ではありません。 ・・・実際には第二幕もあったのです。


画像








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その第二幕として、室町幕府・三代将軍である足利義満
(1358-1408年)が、再度のチャレンジを試みています。
今度は、自分の息子・義嗣を「天皇」に就けることで、自身が
「天皇の御父上」になろうというものでした。

実は、このプランは完璧に近い形で進み、ほとんど「実現」という
ところまで漕ぎつけています。
ところが惜しい?ことに、その直前で当の義満が急死!

で、この源頼朝と足利義満の、いったいどこが「デジャブ」かと
いう問題ですが、並べてみるとこうなります。

○両人は、「征夷大将軍」である。(つまり、「源氏」
○両人は、我が子(娘・息子)を天皇家へ送り込もうとした。
○両人は、その実現を見る前に「死」を迎えている。
○両人は、その「死」については「暗殺説」が囁かれている。


中でも、「暗殺説」は注意を引きます。
なぜなら、小さい頃から戦さの経験もあり、乗馬が得意だった
はずの頼朝の死の原因が「落馬」とされていますし、一方の
義満はといえば、それまで元気に日常生活を送っていたにも
かかわらず、「夢実現」の直前に突然の急死!
(もっとも、「急死」というのは、だいたいが「突然」のことらしい・・・)

ですから、「天皇家」側が、「穢れた武士(つまり野蛮人)・源氏」
「天皇家返り咲き」を断固として認めず、力づくで「潰した」とも
考えられるわけです。

ではなぜ、そんなに頑なに拒んだのか? 
それは、天皇家には~かつて「穢れた武士・平氏(清盛)」に
よって、いいように引っかき回された~
という苦い経験があって、
それが大きなトラウマになっていたからに違いありません。

ですから、清盛以後の朝廷側はこんな生活習慣?を身につけた
ことになります。
~挙動不審な人物はとりあえず殺しておこうッ!~
う~ん、ここまで徹底した「セキュリティ?システム」は、さすがの
「セコム」さんでも、そうそう簡単には真似はできないゾ。





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---これまでの 「デジャヴ」 シリーズ---------------
185 日本史の「デジャヴ」06 困ったら”誤訳”でいこう! 伝家の宝刀か?
180 日本史の「デジャヴ」05 断トツ無責任男編 後は野となれ山となれ!
153 日本史の「デジャヴ」04 大仏様エレジー編 意外にも波乱万丈!
093 日本史の「デジャヴ」03 暗殺疑惑編 二人は政策の岐路に立っていた!
059 日本史の「デジャヴ」02 将軍家編 肖像画まで同じなんて絶対に変だ!
036 日本史の「デジャヴ」01 天皇家編 ふたりの天皇の不思議な共通点!
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ヤジ馬の日本史~超駄級・100記事一覧編~ 神話から戦後まで一挙公開!
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この記事へのコメント

しずか
2014年02月16日 10:51
住兵衛さんは、名古屋の方なのですね。
私は浜松です(#^.^#)

特に源平合戦の時代が好きで、源氏と平家にゆかりのあるところを回り始めて9年になります。
2014年02月16日 18:45
そうです。生粋の名古屋人ですから、浜松ッ子の
しずかサンとは、いわば隣県人同士ということに
なりそうです。

「源平ゆかりの地を回り始めて9年」とありましたから、
内緒でコッソリお教えしますが、源頼朝公の生誕地は、
実は、この名古屋(熱田神宮のお向かい)にあります。
機会があれば、是非「回って」みてください。
2014年02月17日 18:23
地元の人にもあまり知られていないようなので、
「源頼朝生誕地」を取り上げましたが、とっくの昔に
先を越されていたようですね。脱帽!

そんなら、そこからちょいと北にある「日本武尊」
(白鳥御陵)と、その奥サマ「宮簀媛」(断夫山古墳)
のお墓なんぞはどうでしょうか?

頼朝サンよりちょいと南なら、東海道五十三次の
唯一の海路「宮の渡し(七里の渡し)」跡もありますが、
そうか、みんなやや「源平離れ」してますよね。

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