日本史の「謎解き」12 ピンハネ?は見ぬフリを

江戸幕府は、その期間に何度かの「改革」を試みていますが、
そこには、いつも「財政再建」という課題が伴っていました。
しかし、なんでまた「財政再建」が必要だったのか?

そんなことは決まっておる、とにもかくにも「貧乏」だったからだ!
それはそうでしょうが、でも普通に考えれば、その「貧乏」?
自体からして、なにかしら怪しい雰囲気ではありませんか。

だって、江戸幕府は「鎖国政策」?をとることで、「絶対に儲かる」
はずの「対外貿易」を「独占」していたんでしょうに・・・

もっとも、幕府直轄の長崎・出島以外にも、松前藩など、複数の
公認「対外貿易窓口」があったので、「完全独占」ではなく、
「ほぼ独占状態」もしくは「シェア第一位」と言った方が適切かも
しれませんが・・・

いずれにせよ、織田信長や豊臣秀吉など、少し前の権力者達が
貿易によって莫大な「蓄財」を成し遂げているのに、なんでまた
「貿易業界ナンバーワン」?の幕府が「財政再建」(改革)に
追い込まれるほどの「貧乏」?をしていたのか?
・・・なんとも腑に落ちないお話です。

ですから、こんなことまで疑ってしまいます。
~幕府の「対外貿易」は儲かっていなかったのでは?~
ひょっとしたら、それどころか、「赤字」を垂れ流していた可能性
すらあり得るのでは?

このあたりのことは、「経済学」の面などからの詳しい分析も
あるようですが、そんな七面倒臭い理屈をワタシが理解できる
はずもありませんから、ビシッと「シンプル」に捉えてみましょう。


画像








       江戸幕府直轄地 長崎・出島
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端的に言えば、その原因は「ピンハネ」?にあったのでは
ないか?
理由は至って単純で、江戸幕府の改革の中身が揃いも揃って、
「朱子学」のイデオロギー(士農工商・貴穀賤金)に凝り固まった
ものだったからです。
「改革」がそうなら、「貿易運営」の方も同様だったに違いない
・・・そう考えれば、ツジツマも合ってきます。

つまり、こういうことです。
「商業蔑視」をモットーとする武士は、貿易実務を担当する
商人達?の挙動に対して、大いなる不審?を感じていながら、
金銭の収支に口を挟むことはせず、敢えて無関心を装っていた?

なぜなら、「金銭がらみ」の話題をひょっこり口に出そうものなら、
それは身分最上位の武士たる者の「精神」が、最下位の商人の
レベルまで堕落したことを意味するからです。

これでは、武士のアイデンティティを自ら否定するようなのもです
から、それを避けるために、何かにつけ「よきに計らえ!」が優先
することになり・・・すると、結果は、どうなるのか?

「監査なし」を承知している商人側の「ピンハネ」?は常態化し、
さらに拡大化することで、幕府は輸入においても輸出においても
つまり「貿易」をするたびに「赤字」を蒙ることになります。
それに気がついていながら、なんでメスを入れなかったのか?

そこが朱子学の宿命?で、「貿易業務の健全化」を計ろうとする
ことは、すなわち、~もっと商売に精進し、金儲けに励もうゼ!~
という解釈になり、そうすれば、武士たる者がそんな賤しい
「改善提案」するなどは「もってのほか」・・・という理屈に。

ですから、こうした「ピンハネ?を見て見ぬフリ」のツケが二進も
三進もどうしようのないところまできてしまい、結局は「改革」?に
着手せざるを得なくなったのでは?

で、その「改革」?の中身も「質素倹約!」一辺倒?で、決して
~もっと商売を盛んにして税収を上げよう!~ではなかったこと
を思えば、つまりのところ、江戸幕府は徹頭徹尾「商業蔑視」
貫き、見事なまでに「朱子学」に殉じた政府だったといえそうです。

何事においても、「原理原則の遵守」が苦手な日本人にしては、
珍しいほどの「原理主義」ぶりを示したのが、この時期の幕府
だったのかもしれません。

それはさておき、江戸幕府ほどの「お金嫌い」でもないワタシに、
その「お金」が寄ってこない、この不思議!
これのどこが、~金は天下の回りもの~なのでしょうか?
まっこと、「ウソ臭い言葉」の極みですゼ! フン!





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