日本史の「怪人」05 彼は何の種を蒔いたのか?

いやぁ、「誤解」って、こういうものなのでしょうか?
「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ人ノ下ニ人ヲ造ラズ」 これって、
てっきり福澤諭吉が自らの信念・信条を言い表した言葉だと
思い込んでいました・・・が、実は違うんですってね。

その何よりの証拠は、この後に「ト云ヘリ」の文言がくっ付いて
いることです。 つまり、この意味は「・・・そう云われておるゾ」と
いうことになります。

しかも、「天ハ人ノ上ニ・・・」の部分も福澤のオリジナルではなく、
アメリカ合衆国の独立宣言から引用(パクリ?)したものだそう
ですから、まったく裏切りの往復ビンタを喰らった思いです。

それで八つ当たりをするわけではありませんが、この「福澤諭吉」
(1835-1901年)には、かねてよりいささかの「不満」を感じていた
こともあるので、この機会に少しだけ・・・

諭吉の目からすれば、江戸~明治への転換期(1867年頃)は
確かに「遅れた日本」が「進んだ西欧」を知った「日本の夜明け」
だったのかもしれません。

そうした中で、「士農工商」の身分に縛られている「遅れた日本」
に比べたら、「人間は平等だ」とする「進んだ西欧」の意識には
大いに感嘆するところがあって、この「天ハ人ノ上ニ・・・」
紹介に及んだものでしょう。

そのカルチャー・ショック?が大きかったことは分からないでも
ありません。
しかし、なにかにつけ「進んだ西欧/遅れた日本」と強調する
物の言い方に問題はなかったのでしょうか。
むしろ、後世に大きな禍根を遺したような気もするのです。


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つまり、福澤たち維新の活躍者が、「進んだ西欧」を強調
すればするほど、それが逆に、それまでの日本人が素朴に抱い
ていた「祖国」や「先人たち」に対する誇り・尊敬の念を奪うことに
なりはしなかったのか・・・
多少大げさに言うなら「自虐史観」への種まきです。

しかし、どの国もそうであるように、実際にはこの当時の日本も
また他国に誇っていいモノをたくさん持っていました。
たとえば、当時の国民全体の「識字率」などは、西欧に比べたら
日本の方がはるかに高かったはずです。

また、地球規模での海外侵略を繰り返してきた西欧に比べたら、
日本はそこまでの乱暴狼藉を発揮しなかった(もちろん完璧では
ないにしろ)ことも歴史の事実としてあったはずです。

しかし、それらは「西欧型」の物差しでは計れないことを理由に、
正当に評価をされることはありませんでした。
このことは、日本人に必要以上のコンプレックスを抱かせ、
それがまた無意識の「自虐史観」(たとえば、「暗黒の江戸時代」史観)
へと誘導したのではないかと言いたいわけです。

さらに共感できないことは、宗教の意義をとことん軽視して
「誤った迷信に過ぎない」とした福澤の宗教観です。
~宗教には色々な宗派があるが、その違いは茶と紅茶の違い
ぐらいであって、どちらにしても大した違いはない~


この考え方が、日本人を「宗教オンチ」に誘導した疑いも?
つまり、異なる文化・宗教を持つ外国人に対して~お互いを
深く理解しようとするなどは所詮無意味なことであって、そんな
ことより相互の「商売」が上手くいくことの方が肝心なのだ~

こうメッセージしているようなものですから、これではマズい。

そういえば、ずっと後の昭和時代になって、日本国総理大臣が
西欧(フランス)から「トランジスタラジオのセールスマン」と揶揄?
されたことがありましたが、これなどもひょっとしたら、こういう
福澤の「思想」がその原点にあったのかも知れません。

また、福澤に縁のある慶応義塾では、「先生」と呼ばれるのは
「福澤諭吉」その人一人ということですが、これは、先の
「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ人ノ下ニ人ヲ造ラズト云ヘリ」の言葉
とは明らかに矛盾しています。

「オンリーワンの先生」ということは、まるで「唯一神」で、
~人の上に福澤がいて福澤の下に人がいる~印象に・・・
多少意地悪く言うなら、~君たちは、「天ハ人ノ上ニ・・・」でいけ!
但し、私はその対象外の人間だぞ~
と聞こえますゼ。

さすがの「偉人」福澤先生様もご存知なかったようなので、
ここで鋭く指摘しておきますが、「○○の上に○○を造って」も
いいのは、「人間」ではなく「カメ」のはずです。 

だって、こんな歌がある。
 
♪親亀の背中にィ~ 子亀を乗せてェ~ そのまた背中に孫亀乗せてェ~・・・




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