日本史の「怪人」04 遺体は世界を駆け巡る?

1549年に仲間と共に薩摩に着いたキリスト教宣教師フランシスコ・
デ・ザビエルは、殿様の許可が得られるや、早速布教活動に
乗り出しました。そしてこれが「日本」が「キリスト教」に出会った
最初の出来事だったとされているようです。

教科書にも載っていることもあって、このザビエルの名は
今なお高い「知名度」を誇っています。
そのため、日本に滞在した期間も長かったように錯覚しがち
ですが、実は実質わずか三年ほどのことに過ぎず、早くも
1952年にはこの日本を離れています。

しかも、その短い期間の布教活動はかなりの困難を極め、
本人の目論見通りの成果は得られなかったとされています。
そりゃあそうかもしれません。

「神仏混淆」を当たり前として、元々「オンリーワンの神様」という
概念を持っていなかったこの頃の日本人に対して、いきなり
「造物主」とか「唯一神」とかのお話を聞かせたところで、
ほとんどの者にとって「ピンとこないお話だった」としても無理も
ないところです。

ともかく、この薩摩では仏僧たちの反対運動もあって、その後の
布教活動の許可は取り消されてしまいました。
それで、今度は活動拠点を平戸へ、そしてまた周防へと移して
いますが、ここでは殿様・大内義隆にも謁見が許されました。

大内 「イマイチよくわからんが、お主が申すその『愛』とは、
    たとえばワシが小姓と同衾するようなことか?」
ザビ 「大いに誤解です。第一デウスは男同士のそのようなことを
    お認めにならぬばかりか『罪悪』とされているのですッ!」


大内 「なんと融通性のないことじゃ! するとデウスとやらは
    ワシを罪人呼ばわりするのじゃな、まっこと無礼じゃ!」
ザビ 「さよう!早うに悔い改めなさいませ!
    さすれば、寛大なデウスはお赦しになりましょうゾ」


これで、ザビエルはしっかり大内義隆の怒りを買ってしまい、
今度は堺へ。
そして、この堺においてザビエルは直感したのです。

~他の国に比べて、高い知性と道徳を有する日本人が、
こと「デウス」の話になると、まったく理解力を失ってしまうのは
一体どうしたことだ?・・・むむむ、そうか!
それは「カミ」とか「ホトケ」とかいう「邪神」に心を惑わされている
からに相違ない、ああ、そうに違いない!~

~だったらばダ、この日本に影響力を持ち、その情報源でもある
中国に先回りして布教しておく必要があるゾ、きっとなら!~

で、ザビエルは、1552年4月に中国へ。
ところが実はこの年の12月に亡くなってしまいます。(46歳?)



画像画像












  ザビエルの「右腕」(1949年:日本)      ザビエルご本人
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さて、お話はこれからです。
ザビエルの遺骸は一旦海岸に埋葬され、翌1553年2月マラッカに
移送されて、さらに9ケ月後にはインドのゴアへ。

その聖パウロ聖堂において3日間ほど一般に拝観が許されまし
たが、なんとその時、参観者の一人(女性)がこのザビエルの
遺体の右足指2本を噛み切って逃走した・・・ということです。
これが遺体「第一の分離」になりました。

ところが、ザビエルの死後半世紀以上経った1614年のこと、
今度は、ローマのイエズス会総長の命令で、遺体の切断?が
行われています。 これが遺体「第二の分離」です。

この総長は「ヘンな趣味」?を持っていた?
いいえそうではなく、多分火葬における「分骨」のような意識が
あって「切断」したものでしょう。
※ちなみに、仏教の「釈迦の遺骨(仏舎利)」も分骨されており、
  一部はワタシの地元名古屋の「日泰寺」に安置されています。


ではその時、いったいどのくらいバラバラになったのか?
/「右腕下膊」はローマ・ジェズ教会に
/「右腕上膊」は中国・マカオに、
/「耳・毛」はポルトガル・リスボンに
/「歯」はポルトガル・ポルトに
/「胸骨の一部」は東京その他に
/そして「残りの?遺骸」はインド・ゴアのボン・ジェス教会に・・・

さらに、その数年後には「内臓」も細かく切り刻まれ、ヨーロッパ
各地の教会や信者さんたちに配られたそうですから、まさに
「世界を駆け巡る遺体」であり、すなわちとことんバラバラです。

おっと、その昔のこと、参観の女性が噛み切った右足指2本は?
ご安心ください。
その女性の死後、聖パウロ聖堂に返還されて、そのうち1本は
スペイン・バスク(生まれ故郷)のザビエル城に。

そして「遺体切断」?から数年後の1619年には、カトリック教会は
このザビエルさんを「聖人」(準神様?)に列しています。

さらに20世紀になってからのこと、切断された「右腕」は日本に
運ばれたことがあります。
1949年(ザビエル来朝400年記念)及び1999年(同450年記念)の
折に展示されたそうですから、拝観された方もおられるかも・・・

蛇足ですが、ワタシが「聖人」を目指していないのは、決して日々
の行いを吟味した結果ではなく、ひとえにこのザビエルさんの
「聖体バラバラ」のお話を知ってしまったからに他なりません。
それに「足の指」を噛み切られるのも趣味ではありませんし・・・





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