日本史の「謎解き」09 ”稲作”は尾張で終わり?

「稲作」という最新技術が朝鮮半島から北九州に伝わったのは、
紀元前二世紀頃のことで、これが「瞬く間に」尾張(注)まで
伝わった、されています。
「瞬く間に」ですから、まあ一時間が二時間くらい?・・・てな
ことはないか?

ところが、この尾張からすぐお隣の三河(注)へ伝わるまでには、
今度はたっぷり150年ほどの時間を要したとされているのですから
話がよく見えません。

しかし、もしこれが事実だとすれば当然こんな疑問が浮かびます。
~なんでまた、尾張・三河の間という中途半端なエリアで
停滞しちゃったものなのか?~
(注)現在の愛知県の西部が尾張で、東部が三河です。

このことについて、先入観や予備知識を持たずに無責任な
推理をすれば、以下のような「理由」が考えられそうです。

(1)当時の三河には人が住んでいなかった?
最新テクノロジー・稲作技術を、鳥や獣に伝えたところであまり
意味のあることとは思えませんので、もしそうだったとしたら、
これは伝わらなかったとしても当然のことです。
→しかし、人口密度にこのような極端な差があるのも不自然か?

(2)当時の尾張人はイジワルだった?
「うまい話」は独占してこそ「うまい話」なのですから、
こんな「うまい話」を、なにもわざわざ隣人に教えてやる
必要もない・・・と、当時の尾張人はこう考えた?
→この仮説は現代の尾張人から大ブーイングをくらいそう・・・

(3)当時の三河人は怠け者揃いだった?
「それは大変に重宝な技術だが、しかし結局のところ
汗水垂らして労働せにゃあならんらしいゾ。そんなことなら、
まあ今まで通りでも別にいいじゃん?」
→この仮説は現代の三河人から大ブーイングをくらいそう・・・

で、尾張・三河の両者から大ブーイングをくらわない考え方と
して、こんな解釈もあるのでは・・・?

(4)三河人は当時から「慎重居士」だった?
「稲作」を取り入れた後の尾張人の生活ぶりをじっくり観察し
続けて、「これなら大丈夫そうだ」との結論に至ったのが、
なんと150年後だった。

ひょっとしたら、「日本史的」にはこの(4)が一番真相に近い
のではないかと思われます。 
なぜなら、後世の「尾張人」と「三河人」の気質にはこの件と
共通する明瞭な違いが見られるからです。

画像
画像
















   織田信長      豊臣秀吉      徳川家康


つまり、こういうことです。
--------------------------
当時の尾張人は”稲作”という新しいモノに大きな関心を寄せ、
そして大歓迎した・・・ハズです。

→だからこそ、稲作・尾張人の血を引く子孫・織田信長(1534-
1582年)も好奇心が旺盛で、「鉄砲」という新しいテクノロジーに
いち早く注目したし、自分のウリ?にもした。

--------------------------
当時の尾張人は”稲作”という新しい技術をちゃっと(注)
マスターし、他より優位に立とうとした・・・ハズです。
(注)尾張弁で「すばやく」「たちまち」の意

→だからこそ、稲作・尾張人の血を引く子孫・豊臣秀吉(1537-
1598年)は出世も足早なら、「本能寺の変」(1582年)を知った
直後においても、すばやい(ちゃっと)判断を下し、それこそ
スピード違反?まがいの「中国大返し」を成功させた。

--------------------------
当時の三河人は”稲作”という新しい局面を「慎重な心構え」を
持って、実に150年に渡って様子見をしていた・・・コトになる。

→だからこそ、非稲作・三河人の血を引く子孫・徳川家康(1543-
1616年)は豊臣家を滅ぼすのに、「関ヶ原の戦い」(1600年)から
最終「大阪の陣」(1615年)までの、実に15年に渡る長い時間を
費やした。

--------------------------

どうです、三英傑の行動は「稲作の伝わり方」とまったく
同じパターンを示しているではありませんか!
「県民性?」というよりは、当時の「クニ民性」と言うべきかも
しれませんが、それぞれが実に整合性のある行動をとった
ことは一目瞭然!

このことからも、「歴史は繋がっている!」という考え方には
かなりの妥当性がある、と言えそうな気がします。 

ただし、ひとことお断りしておきたいのですが、
この「150年の停滞」というのは、実は学者サンの見解に
べったり基づいたものなのです。

ですから、これが後になって、当の学者サンから
「スマン! 当方に計算間違いがあった・・・あの『150年』
いうのは『150時間』に訂正しておいてくれ。」なんてことに
なったとしても、ワタシ本人はトコトン無罪ですからネ!





 応援クリックも→ にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ   にほんブログ村 トラコミュ 日本史同好会へ ←どうぞよろしく
             にほんブログ村   日本史同好会



---これまでの「謎解き」シリーズ----------------
112 日本史の「謎解き」08 赤穂浪士のユニフォーム姿 何を着ていたのか?
106 日本史の「謎解き」07 “家”のない四人の将軍 どんな事情が・・・?
082 日本史の「謎解き」06 “米”はどこへ消えた? 100人の村だったら?
063 日本史の「謎解き」05 賜姓のアリバイ 鎌足に賜姓はありえない!
058 日本史の「謎解き」04 三種神器と象徴 なぜ、鏡・玉・剣なのか?
057 日本史の「謎解き」03 鏡じかけの舞台 “能面”パワーの秘密は?
049 日本史の「謎解き」02 綱吉の可視政策 法律は罰するためではない!
039 日本史の「謎解き」01 信長の財テク どこで商売を覚えたのか?
----------------------------------
ヤジ馬の日本史~超駄級・100記事一覧編 神話から戦後まで一挙公開!
----------------------------------






尾張なごや傑物伝 宗春がいた、朝日文左衛門がいた/千田龍彦【もれなくクーポンプレゼント・読書家キャンペーン実施中!】
オンライン書店boox
著者千田龍彦(著)出版社風媒社発行年月2011年07月ISBN9784833105545ページ数23

楽天市場 by 尾張なごや傑物伝 宗春がいた、朝日文左衛門がいた/千田龍彦【もれなくクーポンプレゼント・読書家キャンペーン実施中!】 の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック