日本史の「世界標準」05 浮世絵師21世紀を描く
江戸時代の浮世絵に東京スカイツリーが描かれている・・・?
この事実?はTV番組でも取り上げられ話題にもなりました。
浮世絵については、写楽、北斎、広重の名前だけでギリギリの
ワタシでも、この「スカイツリー絵師」にはちょっと関心も。
このような展開ですと、TV番組ならシッカリ勿体をつけて
引っ張るところでしょうが、根が善人であるワタシはそんなことは
いたしません。 ともあれ、結論から先に言っておきましょう。
当然のことですが、そこに描かれていたのは21世紀の「東京
スカイツリー」なんぞではなく、当時の「井戸掘り用のやぐら」を
極端に背を高くデフォルメしたものらしいのです。
ところが、その構図が都内のとある場所から眺めたときの
「東京スカイツリー」の風景に酷似していたためにこんな話題に
結びついたのかもしれません。
もっとも意地悪く見れば、そのへんはテレビ局の話題づくり・・・?
しかし、それは別としてもこれを描いた江戸時代末期の絵師・
歌川国芳(1798-1861)の存在にはチョイとばかり注目して
みたいところです。
ひょっとしたら、彼の名前は知らなくてもその作品をご存知の方は
(かく言うワタシもその一人ですが)少なくないのでは?
現代日本人に最も知られている作品はおそらく「だまし絵」?で
ある「みかけハこハゐが とんだいゝ人だ(見掛けは恐いが とんだ
好い人だ)」(1847年作)だろうと思います。
出展:Wikipedia 歌川国芳
この作品、一見いかつい面構えを
した人間の「肖像画」のようですが、
よく見ると顔面の各パーツが「人体」
の寄せ集めで構成されていることに
気がつきます。
この造形の奇抜さもさりながら、これ
には深い意味が込められていること
を知ると、さらに「スゴイ感」がアップ
してしまうのです。 ご関心の向きは
ぜひお確かめください。
この絵がきっかけで多少知ることになりましたが、どうも国芳は
思いっきり江戸っ子気質の人で、単に絵師というよりは、むしろ
絵を描くジャーナリスト?に近かったフシも見受けられます。
事実、庶民にとっては迷惑以外のナニモノでもなかった政策
「天保の改革」(1841-1843)を痛烈に、しかしユーモアを交え
ながら、批判し皮肉った作品も発表しています。
出展:Wikipedia 歌川国芳
さらに驚くことは、マンガ?も描いて
いますが、これが現代人の目から
しても、どう見ても キッチリと
「マンガ」としか呼びようのない
異色の代物なのです。
さてこの国芳サン、浮世絵の技法
だけではモノ足らず、かなり西洋画
に傾倒した様子があり、一枚の
絵の中に「伝統的な美人画タッチの
女性と、西洋画風の立体的陰影の
リアルな馬」を描くという、まさに
「和洋折衷画」?もどきの離れ業作品(「近江の国の勇婦人於兼」
1830年)も残しています。
後にはさらにのめり込んでいったようで、「忠臣蔵」を題材にした
「西洋画」?まで発表(1852年)しましたが、当時としてはさすがに
前衛的すぎたのか人気の面ではサッパリだった・・・とか。
そんな国芳の言葉。
「西洋画は真の画なり。余は常にこれに倣わんと欲すれども得ず
嘆息の至りなり」・・・国芳の西洋画に対する情熱とそれが思うよう
に自分のものにできない無念の思いがヒタヒタと伝わってきます。
一方、その少し後の時代のヨーロッパでは、フィンセント・ファン・
ゴッホ(1853-1890)が登場して、国芳とは逆に日本の「浮世絵」
に注目をし始めています。
多数の日本版画を買い集め、その挙句に「日本版画展」を開催
(1887年)したりして、その行動・活動はハンパなものではありま
せんでした。 この頃のゴッホは、なんと油絵で「版画」を模写する
ことまでしています。
ひょっとしたら、このゴッホの胸中にも、「版画は真の画なり。余は
常にこれに倣わんと欲すれども得ず嘆息の至りなり」・・・
こんな思いが涌いていたのかもしれません。
馴染みのない異国の作風でありながら、作品のみを通じて
「相手は持っているが自分には無いモノ」を見抜くだけでなく、
見栄を張ることもなく、その対象に心底感服してしまうこの態度、
これってかなりスゴイことじゃありませんか! 人物がデッカイ!
芸術に疎いワタシには分からないことですが、こうして見てみると、
この世界には世俗的なチマチマした枠組みを超越した何かしら
迫力に満ちた一種共通の領域が確かに存在しているように
思えるのです。
もしそうなら、これも「世界標準(グローバル・スタンダード)」と
言えるのかも。
その意味では、江戸期の日本社会は物質面はともかくも、
人間としての精神・情熱の面においては世界にヒケを取らない
人物をしっかり擁していたことになります。
ですから、つい昨日までは写楽、北斎、広重程度でイッパイ
イッパイだったワタシも、この事実に便乗して、今日からは以下の
セリフを吹きまくる予定にしているのです。
~ええか、ゴッホは知っているくせに、自国の歌川国芳の名を
知らないなんてことは、メッチャ無礼なことなのだゾ!
この際、改心してオノレの生き方を少しばかり改めてみたら
どうだ? えええ、どうなんだ!~
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---これまでの「世界標準」シリーズ--------------
日本史の「世界標準」04 神君孫の歴史書 我が国こそ“総本家”である!
日本史の「世界標準」03 楕円形の非常識 なんでまたこんなカタチに?
日本史の「世界標準」02 識字のお膳立て 読み書きはこんなに楽しい!
日本史の「世界標準」01 神様のご意志 神に選ばれし将軍の自覚!
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この事実?はTV番組でも取り上げられ話題にもなりました。
浮世絵については、写楽、北斎、広重の名前だけでギリギリの
ワタシでも、この「スカイツリー絵師」にはちょっと関心も。
このような展開ですと、TV番組ならシッカリ勿体をつけて
引っ張るところでしょうが、根が善人であるワタシはそんなことは
いたしません。 ともあれ、結論から先に言っておきましょう。
当然のことですが、そこに描かれていたのは21世紀の「東京
スカイツリー」なんぞではなく、当時の「井戸掘り用のやぐら」を
極端に背を高くデフォルメしたものらしいのです。
ところが、その構図が都内のとある場所から眺めたときの
「東京スカイツリー」の風景に酷似していたためにこんな話題に
結びついたのかもしれません。
もっとも意地悪く見れば、そのへんはテレビ局の話題づくり・・・?
しかし、それは別としてもこれを描いた江戸時代末期の絵師・
歌川国芳(1798-1861)の存在にはチョイとばかり注目して
みたいところです。
ひょっとしたら、彼の名前は知らなくてもその作品をご存知の方は
(かく言うワタシもその一人ですが)少なくないのでは?
現代日本人に最も知られている作品はおそらく「だまし絵」?で
ある「みかけハこハゐが とんだいゝ人だ(見掛けは恐いが とんだ
好い人だ)」(1847年作)だろうと思います。
出展:Wikipedia 歌川国芳

した人間の「肖像画」のようですが、
よく見ると顔面の各パーツが「人体」
の寄せ集めで構成されていることに
気がつきます。
この造形の奇抜さもさりながら、これ
には深い意味が込められていること
を知ると、さらに「スゴイ感」がアップ
してしまうのです。 ご関心の向きは
ぜひお確かめください。
この絵がきっかけで多少知ることになりましたが、どうも国芳は
思いっきり江戸っ子気質の人で、単に絵師というよりは、むしろ
絵を描くジャーナリスト?に近かったフシも見受けられます。
事実、庶民にとっては迷惑以外のナニモノでもなかった政策
「天保の改革」(1841-1843)を痛烈に、しかしユーモアを交え
ながら、批判し皮肉った作品も発表しています。
出展:Wikipedia 歌川国芳

いますが、これが現代人の目から
しても、どう見ても キッチリと
「マンガ」としか呼びようのない
異色の代物なのです。
さてこの国芳サン、浮世絵の技法
だけではモノ足らず、かなり西洋画
に傾倒した様子があり、一枚の
絵の中に「伝統的な美人画タッチの
女性と、西洋画風の立体的陰影の
リアルな馬」を描くという、まさに
「和洋折衷画」?もどきの離れ業作品(「近江の国の勇婦人於兼」
1830年)も残しています。
後にはさらにのめり込んでいったようで、「忠臣蔵」を題材にした
「西洋画」?まで発表(1852年)しましたが、当時としてはさすがに
前衛的すぎたのか人気の面ではサッパリだった・・・とか。
そんな国芳の言葉。
「西洋画は真の画なり。余は常にこれに倣わんと欲すれども得ず
嘆息の至りなり」・・・国芳の西洋画に対する情熱とそれが思うよう
に自分のものにできない無念の思いがヒタヒタと伝わってきます。
一方、その少し後の時代のヨーロッパでは、フィンセント・ファン・
ゴッホ(1853-1890)が登場して、国芳とは逆に日本の「浮世絵」
に注目をし始めています。
多数の日本版画を買い集め、その挙句に「日本版画展」を開催
(1887年)したりして、その行動・活動はハンパなものではありま
せんでした。 この頃のゴッホは、なんと油絵で「版画」を模写する
ことまでしています。
ひょっとしたら、このゴッホの胸中にも、「版画は真の画なり。余は
常にこれに倣わんと欲すれども得ず嘆息の至りなり」・・・
こんな思いが涌いていたのかもしれません。
馴染みのない異国の作風でありながら、作品のみを通じて
「相手は持っているが自分には無いモノ」を見抜くだけでなく、
見栄を張ることもなく、その対象に心底感服してしまうこの態度、
これってかなりスゴイことじゃありませんか! 人物がデッカイ!
芸術に疎いワタシには分からないことですが、こうして見てみると、
この世界には世俗的なチマチマした枠組みを超越した何かしら
迫力に満ちた一種共通の領域が確かに存在しているように
思えるのです。
もしそうなら、これも「世界標準(グローバル・スタンダード)」と
言えるのかも。
その意味では、江戸期の日本社会は物質面はともかくも、
人間としての精神・情熱の面においては世界にヒケを取らない
人物をしっかり擁していたことになります。
ですから、つい昨日までは写楽、北斎、広重程度でイッパイ
イッパイだったワタシも、この事実に便乗して、今日からは以下の
セリフを吹きまくる予定にしているのです。
~ええか、ゴッホは知っているくせに、自国の歌川国芳の名を
知らないなんてことは、メッチャ無礼なことなのだゾ!
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どうだ? えええ、どうなんだ!~
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