日本史の「迷宮入り」05 初めての火葬天皇

「西遊記」で有名な三蔵法師(玄奘三蔵)に会ったことのある
日本人とはいったい誰?
おっと、お供の孫悟空・猪八戒・沙悟浄は日本人ではないゾ!
実はこの日本人、玄奘に会ったどころかそのお弟子さんにも
なっています。

653年に遣唐使として中国へ渡った僧・道昭(どうしょう・629-
700年)がその人ですが、この方はもうひとつのことでも有名?
らしいのです。 らしい・・・というのは、ひとえにワタシが知らな
かっただけのことで、知っている人は詳しくご存知のようです。

何を隠そう(何も隠しませんが)、実はこの道昭さん、日本で
初めて「火葬」に付された人物なのです。
もっとも、正確には「記録に登場」する中での「初めて」ということ
なのでしょうが、700年に72歳で亡くなり、その際の遺言としてこの
「初めての火葬」が行われたとされています。

古墳などの研究によれば、記録に残っていない「火葬」はこの
道昭サンより100年以上も遡れるそうですから、つまり仏教は
公伝より以前に私的なルートでも伝わっていて、その頃には既に
多少の「火葬」も行われていたということなのでしょう。

画像 さて、この道昭サン火葬の直後
 のこと。 702年に亡くなった、
 持統天皇(天智娘・天武后)が
 一年のモガリ期間の後、天皇
 として初めて「火葬」に付され、
 ここに「初代・火葬天皇」が誕生
 します。

 持統女帝にいったいどんな
 動機・事情あったものかは、
ご本人にお尋ねすることをうっかりしていましたが、それに
しても「火葬」そのものは、飾らずに言えば結局のところ遺体
(肉体)を燃やしてしまうことですから、見慣れない者にとっては
結構残酷に感じられ、その決断にはかなりの勇気を必要とした
ことでしょう。

もっとも、女帝自らそれを望んだのか、あるいは周囲の人間が
そのように計らったのかという点については不明ですが・・・

保守的思想を強く持っている朝廷の「高貴なお歴々」がかなり
早い時期に「最先端」の葬式?を採用したということを素直に
受け止めれば、その裏には従来の「土葬」などの他の方法では
何かしら「不満足」なことがあった・・・のかもしれません。

想像を逞しくすれば、多分それは「死の穢れ」問題だったのでは?
つまり、人が死ねばその場所は「死の穢れ(死穢)」に汚染される
という宗教的感覚を持っていた当時の人が、その解決法を
最先端科学?である「火葬」に見出した、ということなのかも。

現代でいうなら「放射能汚染」があればそれを「除染」することと
同様に、「死穢」という汚染物質?を最新技術の「火葬」で「除染」
する、という感覚だったのではないでしょうか?

ただ、そうはいうものの、持統天皇よりずっと後世の、たとえば
権勢を極めた、あの藤原道長(966-1028年)とて、一応荼毘には
付されたもののその遺骨は死穢を嫌ってか?どこぞかへ廃棄?
されちゃったそうですから、「完全な除染」とまでは受け止めて
いなかったのかも知れません。

ですからなおさらのこと、こんなに早い時期に世間に先駆けて、
それもよりによって「天皇」という高貴な方が超前衛的?な
「火葬」方式を採用したのか、その理由がよく分からないので
「迷宮入り」とタイトルしたわけです。

世界各地には遺体を鳥に食わせるとか、河に流す、海に捨てる、
家の床下に埋める、ミイラにする、挙句の果ては「食べてしまう」
などの葬法もある(あった?)ようで、まあ風習とか文化というもの
は多種多彩な一面があり、単純に前衛的だとか没個性的だと
決められるものでもないようです。

さて、日本においては、それより1300年以上を経た現代でもこの
「火葬」を採用しているところを見ると、結局のところ道昭や持統
女帝が実践したこの方法は、結果から見て「時代の最先端」を
走りながらも日本人には適したものだったと評価できそうです。

ただ、時代の流れが一直線でないこともまた事実で、明治時代の
一時期(1873-1875年)には「国家神道」を標榜する政府が
神仏分離令との整合性から「火葬禁止令」を布告しています。
もっとも、すぐさまそれを撤回したところをみると、その背景には
国民世論の大きな反発があったのでしょう。

逆に言えば、この時期には日本人の間に「火葬」方式がしっかり
定着していたという証明にもなります。
まあ、人それぞれの好き嫌いもあるのでしょうが、個人的には
この日本が「ミイラ」方式でなく、「火葬」方式を選択したことは
よかった、と思っています。

なぜなら、ガリガリに痩せた自分の姿を数百年後の人々の視線
に晒すことなど、シャイなワタシの「美学」にはフィットしていないと
考えるからです。


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    Excerpt: こういうことに触れるのは一種の「タブー」であり「掟破り」かも 知れませんので、最初に~以下の推理?は全くの「空想」 であり「フィクション」である~ことを明確にお断りしておきます。 ※決して興味本.. Weblog: ヤジ馬の日本史 racked: 2013-01-30 22:31