日本史の「ツッパリ」02崇徳の憤懣遺言

死ぬ前に自らの気持ちを強く固めていたのだから、これは
「遺言」と言ってもいいのではないか。
きわめてユニークな遺言?で、こう言い切った。
「頭へきた!実家なんぞ、このオレが没落させてやるゾ!」


画像 イラスト出展:香川県立五色台少年自然センター 自然科学館
 さて、この言葉の主、元天皇・崇徳がなんで
 また実家・天皇家の没落を願ったのか?
 その経緯は、こう説明されている。

 権力闘争(保元の乱=1156年)で後白河天皇
に破れた崇徳上皇は、讃岐に配流された。
この地での軟禁生活を余儀なくされた崇徳は、深く仏教に傾倒し、
先の乱の犠牲者供養と自らの反省の意を込めて、膨大な写経に
取り組んだ、ということである。

その大作業を完成させた崇徳は京の寺に納めてもらうよう、
写本を送った。 だが、相手の後白河はにべもなくこれを拒絶した
ばかりか、わざわざ崇徳の手元まで突っ返したのである。
なんで? この写本には崇徳の呪いが込められているのでは?
そう疑ったことがその理由だとされている。

あまりにも厭味な仕打ちにあったことで崇徳はアタマに来た。
怒り心頭、怒髪天を衝く、まあ完全にキレたということだ。
そこで、その完成写本に自らの血文字で言葉を書き込んだ。
先ほど「遺言?」と紹介したのがそれである。

「そんなイヤガラセをするのなら、オレがこの国の悪魔の親玉に
なって天皇家をブッ潰し、その代わりに身分卑しい者をトップに
据えてやるゾ!そればかりではない、この写本の威力を悪魔側
のパワーアップにつなげてやるわい! やい諸君!あとで
泣き面を見せるなヨ!」 平たく言えばこうなる。

まあ結構、バイタリティにあふれたお方だったようではある。
こんな凄まじい遺言?を残して、崇徳は1164年46歳でその生涯を
終えた。
 ※暗殺説もあるとか。

しかし、歴史的にはこれから先が崇徳の本当の生涯だった、
と言えるのかも知れない。
崇徳の死後十数年もすると、クーデター・大災害・宗教勢力の
反乱などが立て続けに起って、社会全体が不安定な方向へ
崩れ始める。

そればかりか、こともあろうに身分卑しい武士(平清盛)に、
この国の実権を握られ、さらにその後には同じく武士(源頼朝)に
よる<武士政権・幕府>が新規オープンしたことで、まさに
崇徳の遺言?通りの「逆転社会」が出現してしまったのである。

なにせ記憶の冷めやらぬ内のことであり、しかも予言?通りの
「逆転社会」が出現」したのだから、当時の人はこう受け止めた。
これは間違いなく「崇徳」の怨念が引き起こしたモノだ!

天皇家こそが唯一絶対の「国の運営者」とする国是?の
「天壌無窮の神勅」からすれば絶対にあってはならないことだ。
それが現実に「起きてしまった」のだから、当の天皇家自身も
すっかりそう信じた。
まあ、一方の当事者だから身に覚えがあったのだろう。

その後のおよそ700年間、天皇家の立場は事実上武士の下に
位置し続けることになる。
そのまま時は流れ、江戸幕府にようやく衰えが見え始めた頃、
久しぶりの政権奪取にメドがついた時、その天皇家が最初に
行ったことといえば、実はこの崇徳に対する「ご挨拶」である。

「崇徳の霊」に配流先の讃岐から京へお帰り願う儀式を丁寧に
執り行ない、後顧の憂いを万全に解消しておいてから、
ようやくのこと、「明治」への改元や「明治天皇」即位などの、
いわば「明治政府」開店のための具体的な手順を踏み始めて
いるのである。

今この時に700年に渡る「崇徳の怨念」に対してきっちりケジメ
をつけておかないことには、また700年の雌伏を味わうことに
なるかもしれない、といったところだろう。

だから、丁寧が上にも丁寧、低姿勢にならざるを得ない。
「あの時は私共が重々悪うございました。どうかどうかご機嫌を
直して長きに渡る天皇家への呪いを解いてください」 

ところが実際には、この「明治のご挨拶」で一件落着というワケ
でもなかったようだ。 なんと、東京オリンピックの年(1964年)が
崇徳天皇没後八百年に当たることから、このときの昭和天皇も
香川県の崇徳天皇陵に勅使を遣わして式年祭を執り行わせた
・・・そうである。

これは八百年経っても崇徳の遺言?が失効していないことの
証でもあり、その意味では崇徳のツッパリぶりと憤懣遺言?は、
ともに空前絶後のスケールだった、と言うこともできる。

実はこの「崇徳上皇」についてのエピソードは少なくない。
「怨霊界のスーパースター」として、あの「太平記」に出演して
いるし、当時の天皇家のスキャンダルにも巻き込まれている。

崇徳の戸籍上?の父親は鳥羽天皇ということになっているが、
実際にはその鳥羽の父・白河法皇が実父ではないか、との説が
それだ。 父の子は本当は祖父の子? (ああ、ややこしい!)
こんな疑惑もあって、崇徳は父・鳥羽にに愛されなかった、という
よりハッキリと嫌われていたようである。

だとすれば、崇徳のこの破天荒な憤懣遺言?は自分の力では
どうしようもない「生まれながらに特異な環境」を背負ったこと
から誕生したモノなのかも知れない。

ちなみに、最晩年の崇徳は爪や髪の手入れもせず伸ばし放題
で、まるで生きた夜叉のような姿だったと伝えられている。
まさに「怨霊界の大御所」として、面目躍如と言ったところだ。

※晩年のハワード・ヒューズの姿をイメージしても、そう遠くないのかも知れない。
  お暇な方は 映画「アビエイター」 主演:レオナルド・ディカプリオ をどうぞ。

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