日本史の「陰謀」01聖徳太子の狂言

もしこれが事実だとしたら、国家の大失態である。
国際的な大恥であり、国家の威信にもキズがつく。
どころが、その「大失態」がアッケラカンと記録に残されている。
ということは、どう解釈したらよろしいのか?

聖徳太子が、隋の煬帝に宛てた国書の中身は有名だ。
「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。
恙無しや、云々」  かなりのツッパリを感じる物言いだ。
ところが、これに対する煬帝の返書を携えた使者・小野妹子は
帰国の途中に、こともあろうにそれを「盗まれて」しまった・・・
ということになっている。


画像 「国家文書」は重要であればあるほど、
 厳重に管理されるため、そうそう簡単に
 「盗難に遭う」ようなことはない・・・ハズだ。
 だったら、「盗まれた」のではなく、「盗まれた
 ことにした」 ・・・のではないか。常識的には
 このように考えられる。 そう、煬帝の返書は
 ちゃんと太子の手元まで届いていたのである。

~ここから先の会話は、推理・想像である。~
太子と妹子は、その返書を挟んで額を寄せ合っていた。
太子「まいったナ。かなり怒っているし、わが国を中国配下に
   組み込もうとする腹がミエミエの内容だ」
妹子「太子の手紙を見たときの煬帝は、それはそれは
   まさしく瞬間湯沸器のようでしたヨ」

太子「この返書にダンマリを決め込むワケにもいかんしなア」
妹子「今度のお返事は多少おとなし目の表現にしてみたら
   どうでしょうか?反省しているフリをするワケです」
太子「それはいかん。中華思想に凝り固まった奴に対して
   頭を下げるような表現をすれば、わが国が柵封体制に
   組み込まれてしまう心配もあるからな。そうならないように
   前回も多少ハッタリを効かせたのだし・・・」
妹子「なるほど、外交文書って結構奥が深いモノなんですネ」

そこで、太子の熟考、しばしの沈黙があった。
太子「妹子君、この手はどうだろう?」
妹子「どの手ですか?右手?左手?」
太子「こんな時につまらんボケはお止しなさい!
   要するに、この返書を失くしたことにするのだ。」
妹子「失くしたって? だって、ここにあるじゃないですか。」
太子「だから妹子君、君が帰国の途中に盗まれたコトにする
   ワケだ。これなら、ワタシはこの返書を見ていないことに
   なろうが。」
妹子「そりゃあそうですが。でも、賛成できませんネ」

太子「なんで? ワタシがこの返書を見ていないことになれば、
   返事を書く必要もないのだから八方丸く収まるではないか。
   ここは関係者全員の<和>の精神で行こう!」
妹子「そりゃあ、太子はいいですよ。でも私は<返書を盗まれた
   ドジなヤツ>ということになって、末代まで汚名が残ります。
   それはカンベンしてくださいよ」
太子「妹子君、君の考えは浅いゾ。この返書を見た上で無視した
   ということになれば、わが国に末代なんてものがあるのか
   どうかも大いに疑問だぞ。」
妹子「プッツンした煬帝が怒りにまかせて攻めてくる、
   と言っているのですか?」
太子「脅すつもりはないが、その可能性もゼロではないナ」

妹子「ヒェ~!でも<ドジなヤツ>と言われ続けるワタシの立場も
   結構辛いモノがありますヨ」
太子「おうおう、それは充分に分かっておる。国家の一大事を
   救うわけだから、それなりの補償は考えている」
妹子「それなら不承不承の上で、承知いたします」
太子「なんだ、どうせならもっと気持ちよく承知しろヨ」

こうして、隋・煬帝の返書は、小野妹子が帰国の途中に
盗まれて「紛失」したことになった・・・のである。
このことで、太子も微妙なバランス感覚を必要とする回答を
作る必要がなくなったし、また<盗まれたドジな>妹子にも
「引責・降格処分」はなかった。メデタシ、メデタシ!

なお、煬帝が立腹したのは「日出處」「日沒處」との表現に
対してではなく、「野蛮人」が勝手に「天子」を名乗った点に
ついてだそうである。 つまり、中華思想である。
日本人は、何も「天子」の名称を使うくらいのことは、こちらの
勝手じゃないかと考えたくなるが、「中華思想」というものは
そういうことを絶対に認めない、ということだ。

この聖徳太子の狂言から学べる「歴史の教訓」がある。
それは、「中華思想」を重視するなら、「ラーメン」とは言わず
由緒正しく「中華そば」の名称を用いるべき・・・ということである。


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