日本史の「デジャヴ」01天皇家編

そんなハズはないのに、既にどこかで体験したかのように
感じることを「既視感(デジャヴ)」と言う。
日本の歴史には、その「デジャヴ」のような出来事もある。
今回取り上げるのは、時代はかなり昔の、
実は私がまだ生まれていない頃の、7~8世紀に
在位したお二人の天皇のことである。


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~ヤジ馬の日本史~
そのお二人とは「天武天皇」と「桓武天皇」である。
おお、そうだ!「武」の字が共通しているではないか!
と早々に感心してしまってはいけない。それでは浅い。
私にはもう少し言いたいことがあるのだ。

天武は7世紀、桓武は8世紀の人であり100年ほどの
時間差はあるのだが、その行動には共通点が多い。
最初に思い浮かぶのは「兄弟殺し」であろう。
桓武は弟・早良皇子を殺している・・・と決め付けた
言い方はいささか失礼かもしれないので、
ここでは「早良の不自然な死」と言っておこう。

実は天武にも兄?である天智天皇を殺したのでは
ないか、という同じような疑惑がある。
もっとも、これは「日本書記」の説明による
「兄=天智、弟=天武」に基づいた解釈になっている
のだが、実際にはこの「兄弟」であるとの記述自体も
もうひとつの「疑惑」になっている。
なにせ「日本書紀」の編纂は、その天武が始めた事業と
されているからには、天武にとって都合の悪いことは
書かれていないと考えるのが常識的であろう。

ただそうは言うものの、その天武に「三種の神器」のうちの
「草薙の剣」が祟ったことは、なぜか書かれている。
天皇家の象徴である神器が、その「天皇」に祟るというのは
明らかに矛盾した出来事なのだが、それがシッカリ
記述されているということは、なにかしら複雑な
「ウラ事情」があったものだろうと思われる。

同様に桓武も祟りに合っている。
「不自然な死」を遂げた早良の怨霊の祟り、と信じた
桓武はかなり震え上がったようである。
桓武自身には「身に覚えがあった」のかも知れない。
せっかく「長岡京」を造営しながら、10年ほどでさっさと
「平安京」への引越しをしたのも、この「早良の祟り」が
大きなキッカケになっているように見える。
そう言えば、天武も飛鳥浄御原宮(あすかきよみがはらのみや)
という、早口言葉のような宮を造営している。

実はまだある。かなり大規模な「焚書」である。
それは多分こういうことだろう。
天武は「日本書記」には、正しい歴史が記述されている
と主張したいのだから、それとは異なる内容の記録が
あちらこちらに残っていては大変にマズいワケだ。
そこで、当然「日本書記」が唯一正しく正確であると主張
できるように、言い換えれば、その比較検討をできなく
するために、各豪族家が保存する「記録」の類を迷わず
「焚書」の対象にしたということである。

天武の場合とは直接の動機には違いがあるが、桓武も
負けるもんかと「焚書」をシッカリ実行している。
この頃までは、朝鮮半島には天皇家に縁の深い
飛び地?「任那」があった。
歴史的には、何度かその「任那奪還」を企てたことも
あったのだが、ひょっとしたらこの桓武の時代になって、
その奪還を「見果てぬ夢」として諦めたのかも知れない。
要するに、「望郷の念」を断ち切ったことになる。

桓武も男である。諦めた、と言うからにはハンパな諦め方は
しないはずだ。
当然「任那の記憶」つながる記録の類を一切合財処分した
ハズである。その最終的なカタチが「焚書」になるのは
容易に想像できることである。

少しクドいかも知れないが、まだあるゾ。
それは新しい「天皇家・血統の始祖」という点であり、
このことも天武と桓武は非常によく似ているのである。
「天武系」の最初の天皇は、当然この天武である。
それからおよそ100年、称徳女帝の死をもって「天武系」が
滅び、ワンポイントリリーフの「光仁天皇」を経て、
この桓武をもって「天智系」の復活となった。

だから、天武は「天武系」の最初の天皇であり、桓武は
「復活・天智系」の実質的な最初の天皇ということになる。
だから、お二人はまるでハム・・・違った、「双生児」と
見まがうほど似ていることになる。

さて、その桓武の死去にあたって、どんな「諡号」を贈る
べきか、多分関係者には一瞬こんな考え方が浮かんだかも
知れない。
よく似た事績を持つ先輩天皇「天武」にあやかった諡号も
よろしかろう。いっそのこと「後天武天皇」ではいかがだろうか。
しかし、なにぶんにも「血統」が異なっていては、
さすがにそれは失礼極まるマズい案であり、そのために
ボツになった・・・のではないのかなア。

「万世一系」なら「血統」に違いなんてないのではないか。
そう、その通り!アナタの心の叫びは正しい。
実は、後世の人にこのような印象を持ってもらえるように、
天武はエッサエッサと「日本書記」の編纂を始めたのである。
それにしても兄弟殺し?・祟り・焚書・血統の始祖などの
点では、天武と桓武の行動は「デジャヴ」と言えそうである。

そう言えば、私も最近その「デジャヴ」の体験が増えたので、
そのことを話題にしたら、こんな答が返ってきた。
「そりゃあ、単にあんたの物忘れがひどくなっただけのことだ!」
う~ん、言えてる。


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