親鸞・日蓮&三人目の宗祖

宗教・信仰には詳しくないのだが、鎌倉仏教について
ちょいと気がついたことがあるので、今回はそれを例の
「ヤジ馬目線」で追ってみよう。
浄土真宗・親鸞さんと、日蓮宗・日蓮さんのおふたりは、
どちらもその宗派の「宗祖」であるが、このまん中に
別の宗祖を挟んでみるとチョット面白いことに気がつく。


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まずは、話を親鸞さんから話を始めよう。
かなりと言うより、至って乱暴な解釈かも知れないが、
親鸞さんの教えは「阿弥陀如来が絶対」と言うことだ。
とてつもなく大きな存在である阿弥陀如来に比べたら、
人間なんてモノは小さな小さな、てんで小さな存在である、
と言っている。

そうすると、こういうことになる。
身分が高いとか低いとか、金持ちだとか貧乏だとか、
メタボだとかスリムだとか、要するに人間個々の
「違い」なんてものは、阿弥陀如来の存在の大きさに比べたら、
ほとんど無視できるほどの小さな誤差のレベルに過ぎない。

たとえば、俺の方が偉いとか、あいつの女房の方が
ベッピンだとか、そんな小さな小さな差について、勝った負けた
などと拘っているのは「目クソが鼻クソを笑う」ようなモノである。
※実際には親鸞さんはもう少し高尚な言葉でこれを説いており、
 このように品のない例えをした真犯人は私・住兵衛です。


と、どうなるのか?
貴族だとか武士だとか百姓だとかの「身分」の高低・尊卑
なんぞ、なんらの意味も持たない、ことになる。
同様に俗人と僧の間にもその境目はない・・・のであれば、
僧が結婚することは、少しも問題にするようなことではない。
この論理を詰めていけば、当然このような結論に達する。
だから、親鸞さんは正々堂々と結婚したのである。
※実際には、親鸞さん以外の宗派では、
 「僧の結婚」に対する教義上の問題は現在も解決には至っていない。


要するに、親鸞さんは「阿弥陀如来の前では
人間は皆平等」と言っているワケである。
あれれっ? これってある宗派の教えに
すごく似ていませんか?

次は、日蓮さんの「日蓮宗」である。
日蓮さんには有名な「四箇格言」がある。
他宗派を名指しして徹底的に批判(非難?)した、いわゆる、
「真言亡国・禅天魔・念仏無間・律国賊」という言葉である。
これもごくごく簡単に言えば「日蓮宗以外を信ずる者は
地獄に堕ちるゾ!」 こんなメッセージということになる。

「神仏混淆」や「八百万神の存在」に特段の不自然さを
感じていない日本人からすれば、この言葉は確かに
過激に聞こえるのも事実だ。
だが、よくよく考えれば、同じようなことをこの当時の
ある宗派なども(もっと過激な言葉で)言っていたゾ。

「その神」を信じない者は、人間ではない! 
では、なんなのですか?と問えば、それはすなわち
「悪魔」である・・・という答えが返ってくるのである。
う~ん、ちょっと凄すぎる。

と言うことで、カンの良い読者はもうお気づきだろう。
(カンの良くない読者も、もうお気づきだろう)
そう、ある宗派というのは「キリスト教」です。

「神(阿弥陀如来)の前では、人間皆平等」であり、
片や「神(日蓮)を信じない者は地獄へ堕ちる」のである。
どうです?「キリスト教」の教えと瓜二つでしょう。

結局、宗教というものはこの点に行き着くのかもしれない。
「神(仏)はスゴい存在である&わが宗派こそNO.1である」

ここで終わってもいいのですが、蛇足ながらその違いに
ついても指摘しておきましょう。
親鸞さんは「阿弥陀如来」をとてつもなく大きな存在と
してはいますが、これがキリスト教になると「神」ご自身が
人間を含め万物を作ったワクだから、それはもう絶対的に
大きな存在であり、そのことについてああじゃこうじゃとは
言わせんぞ。
素直に解釈すればこうなります。

さて、今度は他宗派に対するメッセージだ。
日蓮さんもキリストさんも「わが宗派こそピカ一」であり、
他宗派の価値を認めない、という唯我独尊的な側面を
備えているわけだが、実は微妙に異なる点もある。

その口調も、当時のキリスト教の場合は他宗派を
「十把一からげ」で非難している・・というより、
その存在自体を認めない態度だが、でもさすがに
日蓮さんはそんな大雑把な否定の仕方はしていない。
ご丁寧にいちいち他宗派の「名」を挙げ、この宗派を
信じる者は地獄に堕ちるゾよ、この宗派を信じる者は
罪人であるゾよ、などなどキメ細かい仕訳を行っている。
※日本人は作業が緻密・親切なのである。
と言うことは、少なくとも「他宗派が存在する」という点に
ついては日蓮さんも認めているワケだ。

親鸞さんが当時の常識からは、いささかトンだ前衛的な
発想を、日蓮さんがそれなりに過激で突出した教義を
かざしたということは、いわゆる「鎌倉新仏教」がいかに
エネルギッシュだったかの証明なのかも知れない。
その意味では、沈没気味の「21世紀の仏教」にも
もうチョイがんばって欲しい。
その昔から「人間はパンのみにて生きるにあらず」なのである。
※「鎌倉新仏教」が活発だったことには、ちゃんとした理由が存在する。

イエス・キリストについては、永い間「イエス」が名で、
「キリスト」が苗字だと思い込んでいた。
ところが実は「キリスト」とは、救世主=メシアのことであった。

だからと言って「人間はパンのみにて生きるにあらず」という、
この深い重い言葉に対して、
「そうとも!時にはご飯(めしや)も必要だ!」
などと茶々を入れるアナタの態度には少し問題がある!


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