「美貌の履歴書」と義経

昔も「ミスコンテスト」もどきの催しはあったようだ。
それは選りすぐりの召使いを集めるためのもので、その応募者の
中に「抜群の器量良し」で大きな評判になった女性がいる。
どんな経緯があったものか、ともかくその「美貌」が源義朝の目
に留まり、側室として迎えられたことで、その後の彼女の人生は
波乱に満ちたものになった。
画像
~少女時代?~
出典:Studio Robin


「常盤御前」と呼ばれているその美貌の主は、義朝との間に
今若・乙若・牛若の男児を設けた。
だから、牛若(後の源義経)の母と言った方がむしろ分かり
やすいのかも知れない。

さて、どの位の美貌だったかを紹介すると、全盛期のイングリッド・
バーグマンやニコール・キッドマンと並び称されるくらいの美貌
だった・・・ハズだ多分。 と言っても、この女優さんたちを知らない
人もいようから、別の説明も加えておこう。
いわゆる、戦艦で言うなら「超ド級の」という形容詞が付く「美貌」
ということである。(余計に分かりにくい?)

源義朝は、その後の「平治の乱」に破れたことで、謀反人として
追われる身になり、まもなく裏切り者によって暗殺された。
一方「乱」の勝者・平清盛はこの時代の常識に沿って、謀反人・
義朝の遺児たちを殺すことにしていた。
遺児とは、この常盤御前を母とする、今若・乙若・牛若の幼い
三人のことである。

だが、三人は殺されなかった。 常盤御前の必死の思いの助命
嘆願に接した清盛は、ナントその願いを聞き入れてしまった
のである。 なぜか? 一番分かりやすい説明はこうだ。
常盤御前の「美貌」に、清盛はクラッとなった。

その証拠に、その後に彼女を側室として迎えている。
これで、常盤御前は武家の二大頭目である義朝と清盛、その
両方の側室を経験したことになる。
現代にたとえれば、与党と野党の両党首と、それぞれ生活を
伴にした経験を持つということだ。
彼女の美貌がこうさせたとするなら、とにかくハンパな美貌で
はないゾ。

しかも、その美貌がただの「伝説」ではないことを、その後の
「履歴」がしっかり証明している。
清盛との間には一女を設けたが、その清盛の後には、中流とは
いえ「貴族」の一条長成に再嫁しているのである。
ミス・コンに応募する「普通の女の子」から「貴族の妻」にまで
大出世を果たしたことになる。

その一条長成とも複数の子供を設けているのだから、三人の
夫のいずれもにとっても常盤御前は「愛してやまない奥方」
だったことは間違いのないところだろう。

さて、その美貌について、さらに話を続けるつもりだったが、
今「妙なこと」に気がついてしまった。
この常盤御前と最初の夫・源義朝の間に生まれた息子・
源義経(牛若)のことである。

美貌の女性・常盤御前の息子ということから、ついつい義経は
さぞかしイケメンだったのだろうと、その覚悟で肖像画を眺めて
みると、それとはちょっと
(または大いに)異なる感想になる。

率直に言えば、肖像画の義経は「ひょうきん顔」なのだ。
「美貌」の母・常盤御前と「ひょうきん顔」の息子・義経。

しかし、この素朴な疑問については、父・義朝の方がかなりの
「ひょうきん顔」だったのだと、解釈すれば歴史に矛盾を
生じさせないばかりか、なにより常盤御前の「美貌の履歴書」
に傷をつけないで済む、というものである。




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  • 「目次」 ~2012・03・31

    Excerpt: 気がついたら、スタートから半年ほど経っていましたので、 これを機会に今までの記事を一覧整理してみました。 今後ともよろしくご愛顧のほどお願いいたします。 by 住兵衛 Weblog: ヤジ馬の日本史 racked: 2012-03-31 15:00