「畿内と九州」その真相

もちろん「邪馬台国」の比定地論争のことである。
ただ、この論争には畿内説を採るのは○○大学系の、
九州説の方は◇◇大学系の研究者が多いという、
不思議な実態が存在している・・・らしい。

仮に候補地がこの2ケ所だけであり、この他には候補地に
挙げられるような場所がまったくないとしても、○○系は畿内説、
◇◇系は九州説、ときれいに色分けができてしまうのは純粋な
学問的見地からしても「かなり変?」なのではなかろうか。
普通なら、ある程度の割合で混在するはずである。
(と素人には思える。)

また、いくらデータが少ないからといって「魏志倭人伝(ぎし
わじんでん)」を金科玉条として、やれ「方角が間違っている」
とか、やれ「距離が間違っている」とか、このことで血気盛んに
論争するのは、これも少しヤボというものではないだろうか。
画像
~~邪馬台国はどこですか?~~

なぜなら、著者・陳寿さんが綿密な現地調査・取材をし、全部
ウラを取った上で記事にしたものとは思えないからだ。
結構ガセネタも混じり込んでいたのではないだろうか?

現に、ずっと後の時代(13世紀)のマルコ・ポーロの
「東方見聞録」にもガセネタ(黄金の国=ジパング)が混じり
込んでいたことを思えば、3世紀に書かれた本の「方角」や
「距離」の記述がそれほどシビアでなかろうことは「推して
知るべし」と言えるのではないか。
現代の感覚で言えば(陳寿さんにはチョット失礼かもしれないが)、
ほとんど「トンデモ本」に近い・・・のかもしれないゾ。

ちなみに、現代でも「海外ニュース」の類は、各新聞社自身の現地取材よりも、
UPIとか共同通信社の配信でまかなうことも多いようなので、これだって
「ウラをとって書いた記事ではない」と、イジ悪な言い方もできそうではある。

しかしまあ、この「畿内説」「九州説」論争の最終的な
「結論」は、万人が納得できる決定的な「証拠」が出てくる
まで待つしかないようである。
チョットした裁判でも結構長い時間を費やすのだから、この
「結論」は多分、今日明日明後日のことではないだろう。

そこで、それまで待ってはいられないお忙しい方たちのために、
今日、私がこの「比定地論争」に終止符を打つことにしよう。
よく考えれば、誰でも気がつく実にカンタンなことなのである。

さて、当時の「邪馬台国」に属する国の数の多さと、その管轄
エリアの広さを考慮に入れれば、当然それなりにしっかりした
「経営本部」が必要だったはずだ。
これは当然のことで、各国が「女王・卑弥呼」の存在に
それなりの同意を示したことは「経営本部」がしっかりしていた
ことの何よりの証拠である。

次には、その管轄エリアの広さに注目してみよう。
正確には分からないものの、陳寿さんご自身が
「結構、広いゾ」とのイメージをお持ちなのは間違いない。

そうすると、こういうことが言える。
~現代でも行政範囲が広い地域では、本来の役場の他に、
そこから遠く離れた場所へ△△支所を設けるではないか。
また、全国規模の企業には東京本社があり大阪支社がある
でないか。~

だったらそれと同じで、要するに「邪馬台国」は「畿内」と
「九州」の本社・支社(または支社・本社)体制で
経営されていたのだ
、と言いたいわけである。

自慢するワケではないが、私も「足して2で割る」ことで、
他人との正面対決を避けたがる典型的な日本人なのダ。




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  • 「目次」 ~2012・03・31

    Excerpt: 気がついたら、スタートから半年ほど経っていましたので、 これを機会に今までの記事を一覧整理してみました。 今後ともよろしくご愛顧のほどお願いいたします。 by 住兵衛 Weblog: ヤジ馬の日本史 racked: 2012-03-31 15:00