「名前と実像」その落差

学校の授業で「小野妹子」の名前を初めて聞いたときからしばらく
の間は、妹子のことをてっきり女性だと思い込んでいた。
当時、周りの女の子には○子のように「子」が付く名前がごくごく
普通だった上に「妹」も女性を表す字だから、これは無理もない
ことかもしれない。

男だと知った時には、何故もっと男らしい名前を付けて貰え
なかったのだろうかと、当の妹子に同情したくらいのものである。

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「蘇我子」「蘇我入鹿」の時もそうだった。
一族の人間が一字づつ分担して、なにも「馬鹿」という単語を
作ることはないではないか。
この人たちの親は、何を考えてこんな名前をつけたのか、
子供が可愛くないのかと、勝手に悲憤慷慨もした。

「山部赤人」についても例外ではなかった。
教科書にこの名を見つけたびに「赤ちゃん」のイメージが
浮かんできてしまったものだ。
多分その頃にはすでに「赤子」という単語を知っていたの
だろうと思われる。
このあたりまでは中学生の頃の「歴史の思い出」である。

昔の人名を今の感覚で捉えてはいけないのだ、ということを
学んでからは次第に歴史上の人物の名前については無頓着
になっていたようであるが、後年ひょっこり印象的な名前に
出会ったことがある。 「藤原明子」がそれである。

ごくごく普通に「ふじわらのあきこ」でいいものだと思っていたら、
「明子」の部分を「あきらけいこ(または、めいし)」と読むのだと
知ることになり、これはちょっとした驚きであった。
あきらけいこ」なら、まるで宝塚スターの芸名ではないか。

実はこの印象は間違っていなかったようで、「藤原明子(清和
天皇の母)」は、大変な美貌の持ち主だったとされている。
見事に「名は体を表わす」を具現していたわけある。

宝塚スター並みということでは「藤原光明子(こうみょうし)」も
挙げられるかも知れない。 ただ、光明子が「名は体を表わ」
していたのかどうかはよく知らない。

現代人にとって羨ましい名前があるとすれば、「大伴家持」も
その一人に数えられるかも知れない。
名前が「家を持つ」なんてところは多分に豪気である。
ちなみに、同系統の名前には「有馬持家」「吉川広家」
「伊東マンショ」などが挙げられよう。

名前と言えば「薩摩守・忠度」を外すわけにはいかない。
本名を「平忠度(たいらのただのり)」と言って、平清盛の
異母弟に当たる人物である。
この「ただのり」の音から、無賃乗車(タダ乗り)を意味する隠語と
しての「薩摩守・忠度」は、結構古くから使われていたようである。

そういえば、中学時代の朝寝坊な友達には、毎朝母チャンから
「はよー起きヤー、まんだ起きんのか」と、タタキ起こされることで
その母チャンの「ま~起きたか?ま~起きたか?」という毎朝の
声がこびりついてしまったものか、自ら「オレは薩摩守・起高
(おきたか)である」と名乗っていたツワモノもいた。

このことからしても、昔は中学生レベルでも「タダ乗り」の隠語
くらいは常識だったことが窺えるのである。

痩せた人に「骨皮筋右衛門(ほねかわ・すじえもん)」とか、
腹の出た人に「大原林月(おおはら・りんげつ)」とか、それなりの
名を付けてハシャいでいるオジサン族には、今後の目標を
明子(あきらけいこ)」のレベルに設定していただき、さらなる
精進を強く願うものである。




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  • 「目次」 ~2012・03・31

    Excerpt: 気がついたら、スタートから半年ほど経っていましたので、 これを機会に今までの記事を一覧整理してみました。 今後ともよろしくご愛顧のほどお願いいたします。 by 住兵衛 Weblog: ヤジ馬の日本史 racked: 2012-03-31 15:00