~ミスマッチな職場~

主君・織田信長に対する家臣・明智光秀の謀反「本能寺」には
いったいどんな理由があったのか?
光秀が天下を狙ったのだとか、後ろに黒幕がいたとか、後世に
なって色々な説明がなされてはいるものの、実はどの「説」も
万人が納得できる域までには至っていない。
今回はその「謎」に迫ってみよう。

着目する点は、光秀と信長の人間性の違いである。
要するに、光秀は将軍・義昭に仕えた経験もあることから当時
の武士としてはむしろ珍しい文化人的雰囲気を備えていたと
考えられる。
一方の信長はと言えば、経営手腕は超一流だが、露骨な表現
を借りれば文化とは縁の薄い田舎武将である。

しかし、この光秀がもう少し「野人」であったなら、その立場も
「適材」と言われたことだろう。 また、もう少し「軽い職」であった
なら、これも「適所」と言われたことだろう。
ところが、「文化人」光秀が「信長の重臣」である、というこの
組み合わせは、まったくの「不適材・不適所」であった。

軽輩であれば出席する必要のない「重臣会議」にも光秀は顔を
出さなければならない。
野人であれば気にしないようなことでも、文化人・光秀にとって
は耐えられないほどの忍耐を必要としたことだろう。
要するに光秀はかなりのストレスを抱え続けていた。
そしてある日、光秀のその溜りに溜まったストレスがついに爆発
した。 それが「本能寺」である。

なにを言いたいのか。
信長を始め秀吉らが顔を揃える「重臣会議」のことである。
多分、光秀はここで毎回のようにこんな光景を見続けたはずだ。

信長「おみゃ~、こんどめの戦さはようがんばったげなな~」
秀吉「そんなとろくしゃ~こと!殿のお陰だぎゃ~」

信長と秀吉のこのような会話は、光秀にとっては、耳を塞ぎたく
なるようなものだったことは容易に想像できる。
ここに違和感を覚えたことが文化人・光秀の不幸だった。
要するに、光秀にとってミスマッチな職場だったと言える。
その光秀の違和感に気づかないまま、放っておいたことが天才・
信長の人生最大の失敗であった。

そんだで、えりゃ~人はヒトが悩んどると思ったら、ちゃっと手を
打ったらないかんのだぎゃ~。

意訳>だから、上に立つ者は部下の抱える問題には
    すばやく対処しなければならないのである。

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