~その境目はどこに~

昭和34年(1959)の「伊勢湾台風」は、六千人を超える犠牲者を
数えた日本でも有数の大災害であった。
東海地方もかなりのダメージを蒙ったが、その中で愛知県江南市
の旧家の蔵に浸水があり、それがキッカケで「古文書発見?」と
いう出来事があった。

ここまで説明で、大方の日本史ファンには見破られていると思うが
そう「武功夜話」のことを言っています。
元々「門外不出」とされていたものを、これを機に親戚筋の人が
訳したことで話題になり、結果として「真贋問題」にも発展したもの
である。

真贋判定については、専門家の中でも意見が分かれ、一方の
「肯定派」は一級の史料として認めているのだが、他方の
「否定派」は大いにアヤしいとしている。

真書か?偽書か?
門外漢の私などには判断できようはずもないが、ただヤジ馬気分
が盛り上がる話題であることは事実だ。

ではその肯定派・否定派の意見がスッパリ二つに割れているか
と言えばどうもそうでもないようで、実はその中にも面白い意見
(少数派?)もある。
せっかくの機会だから、それにもちょっと触れておこう。

それはこういう表現になる。
― ― 史料的な価値は認めるものの、後世の手が加えられて
いることで、その価値を低下させている ― ―私の勝手でそれ
を「半真半偽説」と名付けているのだが、すなわち、真贋両説を
真っ向から否定することはしないで、むしろ双方を肯定しながら
否定もしている複雑系だ。

次のように考えてみると、この説の奥深さも理解できよう。
仮にその意見の分かれ方が真贋それぞれ半々であった場合に
どちらかの結論が出た、とすると結果として関係者の半数は
間違っていたことになってしまう。 これでは権威に大きな傷が
つこうというものだ。 ところが「半真半偽説」なら「どちらも
間違ってはいなかった」と主張できるわけで、一方的な
「負け組」は出ない。

そういう意味で、この説はバランス感覚に優れ、いかにも粋で
軽やかで繊細である、という評価ができる。
野球における「引分け」と思えば分かりやすいのかもしれない。

実はこの~相手を否定しないで否定する~テクニックはなにか
に似ていると感じていたのだが、ある時ハタと気がついた。
そう、仏教で言う「方便」である。
ご関心のある方は、この「方便」について少し調べてみるのも
いいかもしれない。 仏教の概念だけあって、その奥の深さ
には、きっと感嘆してしまうことだろう。

ちなみに私の日常言葉は方言である。(厳密には名古屋弁)
「方便」と「方言」とは、音は似ているが概念は全然違うもの
なのである。

(注記)※誤解のないように申し添えますが、当然のことながら
ご当地・愛知県江南市は「真書」の立場を採っています。

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