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みんなの「江戸幕府」ブログ

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日本史の「トホホ」22 幕末八万騎VS八郎の嘘八百
日本史の「トホホ」22 幕末八万騎VS八郎の嘘八百 「旗本八万騎」とは、こう説明されています。 〜徳川将軍家の旗本の数を称したもの。 実際には旗本は   五千を少し上回る程度でであったが、御家人と陪臣を含め   れば、約八万騎であった〜 (三省堂・大辞林) この程度の説明なら、まあ大概の人には理解できると判断した ものでしょうが、どっこい、ここに使われている言葉自体が、 すでに分かりません。 ...続きを見る

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2017/03/05 00:05
日本史の「アレンジ」16 悲運に遭遇!公武合体
日本史の「アレンジ」16 悲運に遭遇!公武合体 「都市伝説」かもしれませんが、こんなお話が残されています。 ある時、舞踊家イサドラ・ダンカン※1(女性)が、作家バーナード・ ショー※2(男性)にこう言って結婚を申し込んだ。 〜貴男の頭脳と私の肉体を持った子供が生まれたら、   どんなにかすばらしい事でしょう〜  ところがショーはこう答えて辞退した。 〜私の肉体と貴女の頭脳を持った子供が生まれたら、   どんなにか大変ですよ〜 ※1 モダンダンスの祖と言われる(1878-1927年)アメリカ ※2 「皮肉屋」としても有名な作家... ...続きを見る

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2017/02/25 00:01
日本史の「油断」05 老中20年の剛腕外交?
日本史の「油断」05 老中20年の剛腕外交? 江戸時代の享和・文政・文化の期間、長きに渡って 老中(1802〜1822年の間)を務めた土井利厚(1759-1822年)は、 その知名度はともかくも、「老中勤続20年」という実績を備えた 人物です。 だったら、本当に「有能な老中」だったと言っていいものか? この点について多少皮肉な見方をするなら、何事も「先送り」に 徹することがその「手腕」だったと言えなくもありません。 実際、ロシアの外交使節・レザノフとの交渉(1804年)の席でも こうした「手腕」は遺憾なく発揮されています。 ... ...続きを見る

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2016/09/30 00:15
日本史の「もしも」08 桜田門外”安政”の雪模様
日本史の「もしも」08 桜田門外”安政”の雪模様 〜安政7年3月3日の朝(午前9時頃)、護衛藩士15名を含めた   総勢60名ほどの行列を従えて彦根藩邸を出た大老・   井伊直弼※1は、職場の入口(江戸城・桜田門)目前で、暴漢   集団※2に襲われ絶命に至った〜 (西暦:1860年3月11日) これが今から約150年前に起きた「桜田門外の変」です。 ※1 1815-1860年/日米通商条約に調印し「開国」を断行 ※2 水戸脱藩浪士17名と薩摩藩士1名の計18名の集団 ...続きを見る

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2016/07/05 00:01
日本史の「ツッパリ」18 空回り?”無二念”の気迫
日本史の「ツッパリ」18 空回り?”無二念”の気迫 いくつかの言い方※があるようですが、その中でも一番気迫に 満ちた表現は「無二念打払令」(1825年)でしょう。  なにしろ、清国・オランダ以外の「外国船」を見つけたら、 〜何も考えず、ためらうことなく打ち払え、追い払え!〜 こう言っているわけですから、半端ない迫力です。 ※ほかにも/異国船打払令/外国船打払令/文政の打払令 ...続きを見る

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2016/05/10 05:45
日本史の「事始め」08 昔もあった?ブラック企業
日本史の「事始め」08 昔もあった?ブラック企業 〜あまりの激務に体調を崩し、病死(享年55)〜  幕臣・江川英龍(1801-1855年)の最期を紹介した文章です。  現代なら、さしずめ“過労死”という言葉になるのでしょう。 ...続きを見る

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2016/04/15 00:01
日本史の「陰謀」16 事件は”長袴”から始まった!
日本史の「陰謀」16 事件は”長袴”から始まった! 裾の丈がメッチャ長くて、足も出せないまま後ろに引きずる 袴姿は、 たとえば、「忠臣蔵」ドラマの江戸城内「松の廊下」 シーンにも登場します。 これには、見た目通りの「長袴」という名が付いていますが、  ともかく足の出ない不思議なデザインですから、現代人が いささかの疑問を抱いたとしても不思議ではありません。 〜それにしても無駄に長くて、動作にも不便極まりない、   こんな衣装のいったいどこにメリットがあったのだろう?〜 ...続きを見る

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2016/02/28 00:00
日本史の「列伝」10 徳川将軍の心身健康診断書
日本史の「列伝」10 徳川将軍の心身健康診断書 徳川幕府※の歴代15人の将軍の中には精神面や身体面で それなりの「健康問題」?を抱えていた方もいたようです。  「国のトップ」という地位には、シモジモには分からないご苦労が あったということかもしれません。 ※1603年創設〜解散1867年 ...続きを見る

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2016/01/15 00:01
日本史の「トホホ」18 加賀百万石のクール宅急便
日本史の「トホホ」18 加賀百万石のクール宅急便 前田利家(1538?-1599年)は、豊臣秀吉(1537-1598年)政権下で 大幹部・五大老の一人として、徳川家康(1543-1616年)とともに その職責を務めていました。 ...続きを見る

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2015/12/05 00:01
日本史の「逆転」16 アメでムチを忘れたか!
日本史の「逆転」16 アメでムチを忘れたか! 「飴と鞭」」(アメとムチ)という言葉は、一般的に、国民に対する 為政者の「懐柔策と弾圧策」という意味で使われています。 つまり、上の者が下の者を上手くコントロールしようとするなら、 「厳しさ(ムチ)」だけでは十分でなく、適度の「褒美(アメ)」も 必要だとする考え方といったところでしょうか。 ...続きを見る

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2015/10/15 00:01
日本史の「油断」04 武家諸法度の三日坊主
日本史の「油断」04 武家諸法度の三日坊主 武家の統制を目的とした「武家の憲法」とも言うべき 「武家諸法度」※は、徳川幕府初代将軍・家康の命により 二代・秀忠がまとめ上げ(元和令/1615年)、それ以降、次の ように数度の改訂?が加えられました。 ...続きを見る

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2015/05/25 00:01
日本史の「逆転」14 維新”オセロゲーム”模様
日本史の「逆転」14 維新”オセロゲーム”模様 表裏がそれぞれ白と黒になっている石?駒?を使うゲーム ”オセロ”では、直前までほとんど「黒一色」にあった盤上が、次の 一手によって今度はほとんど「白一色」になるという「劇的変化」 を作り出すことがあります。 ※これを指す正式な言葉は知りませんが、 ここではゲームの名を拝借して“オセロ現象”?と命名しておきます。 ...続きを見る

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2015/05/15 01:30
日本史の「言葉」16 自作自演はなぜ”狂言”?
日本史の「言葉」16 自作自演はなぜ”狂言”? デッチあげ・自作自演の強盗事件を「狂言強盗」と表現すること があります。 しかしよく考えてみると、この言い方は伝統芸能 である本物の「狂言」に対し大変に失礼な気もするのです。 ...続きを見る

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2014/11/10 00:01
日本史の「トホホ」13 ”武士の情け”も外注で
日本史の「トホホ」13 ”武士の情け”も外注で 当然のことですが、国政・行政を遂行するためには少なからず その実務者すなわち公務員を必要とします。 江戸幕府の場合はそれを武士が担当しましたが、人数の面では 現代の水準よりグ〜ンと少なかったようで、正直なところ武士 だけでは決定的に「人手不足」の状態でした。 ...続きを見る

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2014/11/05 00:01
日本史の「トホホ」12 不慣れな御政道と美少女
日本史の「トホホ」12 不慣れな御政道と美少女 個人にせよ組織にせよ「慣れないこと」に手を出すと、思いの ほかその影響を広げてしまうものです。 〜下々の者が御政道に口を挟むなどまかりならん!〜 長い間この姿勢を基本理念?としてきた江戸幕府にとって、 国民の意思を斟酌するなんぞは、まさにその「慣れないこと」 そのものでした。 ...続きを見る

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2014/08/30 00:01
日本史の「怪人」07 慶安のリストラ蜂起
日本史の「怪人」07 慶安のリストラ蜂起 弱者?の立場を最大限に配慮する、いわゆる「護送船団方式」 には、とかく批判も囁かれましたが、実はこれとは真逆の政策を 推し進めていた時代もあったのです。 ...続きを見る

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2014/05/25 00:02
日本史の「逆転」10 貧乏だけど大金持ちだゾ
日本史の「逆転」10 貧乏だけど大金持ちだゾ そこに「財力」も加わるのが「権力者」の典型的な姿ですから、 江戸幕府のような「貧乏権力者」は相当に珍しいはずです。  ええっ、江戸幕府ってそんなに貧乏だったの? もちろん!・・・その間何度も「貧乏脱却」のための改革?を企て あがき続けていたことが「動かぬ証拠」です。 ...続きを見る

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2014/05/15 00:01
日本史の「謎解き」12 ピンハネ?は見ぬフリを
日本史の「謎解き」12 ピンハネ?は見ぬフリを 江戸幕府は、その期間に何度かの「改革」を試みていますが、 そこには、いつも「財政再建」という課題が伴っていました。 しかし、なんでまた「財政再建」が必要だったのか? ...続きを見る

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2013/11/05 00:01
日本史の「忘れ物」14 アメリカ船はいつ来たか?
日本史の「忘れ物」14 アメリカ船はいつ来たか? 1783年、大西洋側の13州で当座の独立を果たした「アメリカ」は その後に太平洋側の地域を併合(1846年)し、初めてその国土が 太平洋に面することになりました。 ...続きを見る

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2013/07/20 00:01
日本史の「迷宮入り」09 幕府が”それ”をしなかった理由
日本史の「迷宮入り」09 幕府が”それ”をしなかった理由 最大の敵「豊臣家」を滅ぼした(1615年)後の幕府・徳川家は ひとつには、不平分子?の「反乱」に神経を尖らせていたこと、 さらには、海外貿易を管理し、ほぼ鎖国?の状態を保つように したこと、こんな状況にありました。 ...続きを見る

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2013/06/20 00:01
日本史の「冗談?」07 変装迷人?大いに語る
日本史の「冗談?」07 変装迷人?大いに語る 1709年、江戸においてイタリア人カトリック司祭・シドッチ (シドッティ)の密入国に対する「取調べ」が幕臣・新井白石に よって行われました。 ...続きを見る

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2013/06/15 00:01
日本史の「女性」10 何が正室に起こったか?
日本史の「女性」10 何が正室に起こったか? 徳川15人の将軍の正室・側室の人数を合計すると一体 何人になるのかは知りませんが、その中でたった一人だけ 極めて特異な扱いを受けた女性がいます。 ...続きを見る

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2013/04/15 08:00
日本史の「逆転」 02 木曽三川 レ・ミゼラブル!
日本史の「逆転」 02 木曽三川 レ・ミゼラブル! 一切れのパンを盗んだがために19年間の過酷な監獄生活を 強いられた挙句、出獄後の自由も認められず、生きている限りは ”仮釈放”の扱い・・・これが主人公・ジャン・バルジャンの 半生です。 ...続きを見る

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2013/01/25 08:30
日本史の「トホホ」02 不器用?だった江戸幕府
日本史の「トホホ」02 不器用?だった江戸幕府 〜ええか、銭というものはダ、身分賤しき商人が持てば間違い なく賤しいモノであるが、武士がこれを持つときにはダ、お米が その姿を変身させているだけのことであり、銭の賤しさなどとは まったく無縁のモノなのダ。ええか、あい分かったか!〜 ...続きを見る

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2013/01/10 08:30
日本史の「謎解き」07 ”家”のない四人の将軍
日本史の「謎解き」07 ”家”のない四人の将軍 ワタシ自身は昔からこのことに少なからず疑問を感じている のですが、そのわりに世間様は静かですので、結局のところ それほどの疑問ということではないのかもしれません。 ...続きを見る

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2012/11/20 09:00
日本史の「陰謀」06 身分を買った人々
日本史の「陰謀」06 身分を買った人々 学校の授業では、江戸時代の民は「士農工商の身分制度」に よって、四つの身分に仕分けされていた・・・と習ったように記憶 していますが、ちょっと待った! 最近になって「旗本株を買う」という言葉を耳にしたゾ。 ...続きを見る

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2012/11/15 00:30
日本史の「ツッパリ」05黄門様のあてつけ
日本史の「ツッパリ」05黄門様のあてつけ 藩の後継者、すなわち「次期殿様」を決める段に「もめる」ことは さほど珍しくもなく、もちろん徳川将軍家にもそれはありました。 その場面に登場したのが、テレビ「この紋所が目に入らぬか!」 で有名な水戸黄門こと、徳川光圀だったワケです。 ...続きを見る

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2012/05/20 10:10
日本史の「言葉」03士農工商
日本史の「言葉」03士農工商 一旦覚えたことって、案外抜けにくいモノですね。 私にとっては、「士農工商」がバッチリそれにハマっていました。 「士農工商」とは江戸幕府が作った身分制度で、民を四ツの 階級に分類したものである・・・と、その昔授業で習ったとおりに (心が素直だから)理解していたのです。 ...続きを見る

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2012/04/05 08:00
日本史の「謎解き」02綱吉の可視政策
日本史の「謎解き」02綱吉の可視政策 幕閣 「この点、いささか整合性を欠くような印象ですが」 綱吉 「満点理想はそうそう簡単ではない!」 幕閣 「でも、それでは民への説明にもチト困りますが?」 綱吉 「捨て置け、肝心なのは法の精神だゾ!」 ...続きを見る

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2012/02/10 10:30
日本史の「女性」02お江の将軍構想
日本史の「女性」02お江の将軍構想 お江「では、義父上様は兄・家光と弟・忠長のどちらの方が    優秀だとお考えなのですか?」 家康「それは忠長の方であろうよ」 お江「それがお分かりになっていながら、わざわざ優秀でない    方の家光を次期将軍にしようなんて、信じられない!」 家康「そうではないゾ。兄である家光の方がふさわしい、    と言っておるのだ」 お江「そんなの詭弁です!手品です!変態です!」 ※秀忠の長男・長丸は早世したとされ、母親がお江かどうかも不明らしい。 ...続きを見る

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2012/01/30 09:00
日本史の「パクリ」02ニ世と三代
日本史の「パクリ」02ニ世と三代 さて、前回で家康による天皇家システムの「パクリ」に ついて書いた。 ただ、ここにひとつの謎がある。 〜なぜ、三代将軍・家光のお守りには「二世将軍」と書かれて いたのか〜という点である。 そんなもん、家光の計算ミスか 書き間違いに決まっている、の一言で片付けてはイケナイ。 ...続きを見る

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2011/12/30 16:00
日本史の「パクリ」01天照と東照
日本史の「パクリ」01天照と東照 自分より遥かに豊富な歴史知識を備えた人が目の前に いたとしたら、アナタだってきっと羨ましいと思うだろう。 それと同様に、戦国の世で数多くの「お家滅亡」を見てきた 徳川家康にとって、一度も途切れることなく、百代を超えてなお 今も続いている「天皇家」は憧れの存在だった・・・ということだ。 ...続きを見る

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2011/12/25 06:30

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