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みんなの「黒船来航」ブログ

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日本史の「油断」07 平成鈍感力は江戸ゆずり?
日本史の「油断」07 平成鈍感力は江戸ゆずり? 〜泰平の眠りを覚ます上喜撰 たつた四杯で夜も眠れず〜 これは“黒船来航”(1853年)で慌てふためく幕府の姿を揶揄した幕末の 狂歌ですが、ただこの歌にはこんな誤解?を招く側面も備えています。 〜鎖国・日本に最初に到来した外国船がこの“黒船“〜 ...続きを見る

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2017/05/30 00:01
日本史の「もしも」09 風前?日本版”アヘン戦争”
日本史の「もしも」09 風前?日本版”アヘン戦争” 七つの海を跨く「イギリス帝国」を構想し、世界各地に 「植民地」を拡大していたのが19世紀のイギリスです。  アジアにおいては、清国(中国)を標的とした「アヘン(阿片) 戦争」(1840-1842年)も、まさにそうした行動の一つでした。 ...続きを見る

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2017/01/20 00:30
日本史の「信仰」04 災い列島!幕末の改元
日本史の「信仰」04 災い列島!幕末の改元 芳しくないことが続くと、〜それまでのことを水に流す〜とか 〜祓い給え清め給え〜などの神道的感性をもって、心機一転、 あるいは気分一新、つまり「仕切り直し」をしたいとする心根を 日本人は昔から持っているようです。 ...続きを見る

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2016/12/15 00:01
日本史の「事始め」12 与力”捨身の写真”撮り!
日本史の「事始め」12 与力”捨身の写真”撮り! 後に日本最初期の職業写真師のひとりに数えられることに なる上野彦馬が生まれたのは1838年。  奇しくもその翌年(1939年)、写真(銀板写真/ダゲレオタイプ)の 技術が発明されています。  ...続きを見る

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2016/11/25 00:01
日本史の「ツッパリ」18 空回り?”無二念”の気迫
日本史の「ツッパリ」18 空回り?”無二念”の気迫 いくつかの言い方※があるようですが、その中でも一番気迫に 満ちた表現は「無二念打払令」(1825年)でしょう。  なにしろ、清国・オランダ以外の「外国船」を見つけたら、 〜何も考えず、ためらうことなく打ち払え、追い払え!〜 こう言っているわけですから、半端ない迫力です。 ※ほかにも/異国船打払令/外国船打払令/文政の打払令 ...続きを見る

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2016/05/10 05:45
日本史の「怪人」08 洋学者”象山”の日本人離れ
日本史の「怪人」08 洋学者”象山”の日本人離れ モダンダンスの創始者といわれるアメリカの舞踊家・ イサドラ・ダンカン(1878-1927年/女性)が、イギリスの作家・ バーナード・ショー(1856-1950年/男性)に、こう言って結婚を 申し込んだことがあるそうです。 ...続きを見る

ガッツ(がんばれ!) ブログ気持玉 1 / トラックバック 1 / コメント 2

2015/01/20 00:01
日本史の「トホホ」15 万次郎の難儀な通訳術
日本史の「トホホ」15 万次郎の難儀な通訳術 幕末期、日本の開国を巡る「日米交渉」では、当然ながら 両国間の「言葉の壁」という大きな問題がありました。  日本語を英語に、またその逆を自在にこなせる、つまり「通訳」 を必要としたわけです。 ...続きを見る

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2015/01/10 00:01
日本史の「トホホ」12 不慣れな御政道と美少女
日本史の「トホホ」12 不慣れな御政道と美少女 個人にせよ組織にせよ「慣れないこと」に手を出すと、思いの ほかその影響を広げてしまうものです。 〜下々の者が御政道に口を挟むなどまかりならん!〜 長い間この姿勢を基本理念?としてきた江戸幕府にとって、 国民の意思を斟酌するなんぞは、まさにその「慣れないこと」 そのものでした。 ...続きを見る

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2014/08/30 00:01
日本史の「逆転」11 日本列島ウラオモテ
日本史の「逆転」11 日本列島ウラオモテ 少し前までは、日本列島の太平洋側を「表(オモテ)日本」、 日本海側を「裏(ウラ)日本」とする、幾分差別的なニュアンスを 含んだ呼び方がありました。 ...続きを見る

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2014/07/15 00:02
日本史の「言葉」13 金も無けれど死にたくも無し
日本史の「言葉」13 金も無けれど死にたくも無し 親も無し 妻無し子無し版木無し 金も無けれど 死にたくも無し こんな六つの「無」を嘆いて、自ら六無斎(ろくむさい)と 号したのは「林子平」ですが、この言葉の軽妙さとその名前から 落語家・林家三平の弟子を連想してはいけません。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 1 / コメント 0

2013/10/15 00:01

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