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zoom RSS テーマ「徳川家康」のブログ記事

みんなの「徳川家康」ブログ

タイトル 日 時
日本史の「言葉」25 長い物には巻かれよ 戦国版
日本史の「言葉」25 長い物には巻かれよ 戦国版 〜勢力・権力のある者には逆らわないほうが身のためであるゾ〜 こうした意味の助言・忠告の格言が、〜長い物には巻かれよ〜 なかなかに説得力のある言葉ですが、幸いなことに、長い歴史の中には、 この言葉を彷彿とさせる出来事を見つけることができます。 ...続きを見る

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2017/09/30 00:01
日本史の「誤算」06 ”盛者必衰”家康の回避方程式
日本史の「誤算」06 ”盛者必衰”家康の回避方程式 隣国の遠江・駿河を治める大大名・今川義元(1519-1560年)に屈する形で 人質生活を送ったのが、後に徳川家康(1543-1616年)と名乗ることになる 若き日の松平元康でした。 当主・元康自身が人質境遇ですから、その家臣達はほとんど奴隷?の扱いを 受け、そればかりか自領・三河は今川家の植民地?もどきの状況にあったと いうことになります。 ...続きを見る

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2017/07/30 00:01
日本史の「もしも」10 ビビった家康”薩摩”を安堵
日本史の「もしも」10 ビビった家康”薩摩”を安堵 薩摩国島津氏の「当主」?※島津義弘(1535-1619年)は屈指の猛将として 「鬼島津」の異名でも聞こえた人物で、殊に「関ヶ原の戦い」(1600年)で示した 度肝を抜く行動は敵味方双方の語り草になったほどです。 ※異説もあり ...続きを見る

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2017/06/25 00:01
日本史の「トホホ」23 家康の英断!集団高台移転
日本史の「トホホ」23 家康の英断!集団高台移転 筆者の生息地・名古屋市が自ら行ったアンケート調査の結果は・・・全国主要 都市の中で「魅力に欠ける街」、もっと直截な表現なら、「行きたいと思わない し、住民もお薦めできない街」としてトップ、すなわち魅力の順番ではダントツ の「ドベ」(名古屋弁で最下位/ビリ/ワースト1/テールエンドの意味)・・・ ...続きを見る

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2017/05/15 05:25
日本史の「タブー」01 天下人を脅した鬼作左
日本史の「タブー」01 天下人を脅した鬼作左 徳川家康(1543-1616年)の祖父・清康、次いでその子・広忠、さらには家康と 徳川家三代に仕えた譜代の臣・本多作左衛門重次(1529-1596年)は、特に 武勇に秀でたものがあったことから、「鬼作左」と綽名されたそうです。 その豪胆さは、戦時ばかりか平時においても遺憾なく発揮され、主君・家康 にも遠慮なく諫言した人物としても有名です。 ...続きを見る

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2017/04/30 00:01
日本史の「逆転」20 戦国冤罪?家康側の証人
日本史の「逆転」20 戦国冤罪?家康側の証人 織田信長(1534-1582年)から偏諱の「信」の字を、また下の字「康」 を父・徳川家康(1543-1616年)から与えられたのが、後に「切腹」 に追い込まれることになる家康嫡男・松平信康※(1559-1579年/ 生前は徳川姓)です。 ...続きを見る

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2017/03/01 00:01
日本史の「逆転」19 金と銀に見る三英傑の遺伝子?
日本史の「逆転」19 金と銀に見る三英傑の遺伝子? 金貨と銀貨/金メダルと銀メダル/金婚式と銀婚式、これらを 比べてみると、いずれの場合も「金」の方が「銀」より立派、 あるいは格上というイメージになっています。 では「金庫」と「銀行」、この場合はどうだ? ...続きを見る

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2016/09/20 00:01
日本史の「怪人」13 通説見直し?冬峰踏破の怪
日本史の「怪人」13 通説見直し?冬峰踏破の怪 「さらさら越え」・・・初めてこの言葉に触れたときには、 なにかしら「ハイキング」に似たイメージを持ったものです。 「さらさら」という優しい響きと「越え」という弾んだ言葉が こんな歌のイメージに結びついていたのかもしれません。  ...続きを見る

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2016/05/05 00:01
日本史の「逆転」18 ”夏の陣”二人の影武者
日本史の「逆転」18 ”夏の陣”二人の影武者 「徳川家康」(1543-1616年)には、その人生の「三大危機」として 語られている出来事があります。 念のために言えば、その窮地を切り抜けたからこそ、結果と しての「危機」だったわけで、切り抜けられなかったとしたら、 これは単に「一巻の終わり」と呼ばれたことでしょう。 ...続きを見る

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2016/03/15 00:01
日本史の「油断」03 英傑トリオの本願寺介入
日本史の「油断」03 英傑トリオの本願寺介入 数年前に750回忌大法要を迎えた宗祖・親鸞(1173-1263年)さんも、 ひょっとしたら、その後の「本願寺」の在り方には幾分首を ひねっておられるかも知れません・・・〜なんでこうなったの?〜 ...続きを見る

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2015/05/10 00:01
日本史の「忘れ物」20 能はマルだが芝居はペケだ
日本史の「忘れ物」20 能はマルだが芝居はペケだ 現代での人気度を比べるなら、「歌舞伎」の方が「能」よりは いささか上という雰囲気を感じます。 ところが少し前の時代だと、これが逆になる印象で、実際 江戸幕府が「式楽」※として採用していたのは「歌舞伎」ではなく、 「能」の方でした。 もちろんそこには伝統ある「能」に対し、駆け出しの「歌舞伎」と いう大きなハンディもあったのでしょうが、でも理由は本当に それだけだったのか? ※公式行事に用いる音楽や舞踊。 ...続きを見る

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2015/04/10 00:01
日本史の「言葉」17 下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる
日本史の「言葉」17 下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる 豊臣家と徳川家の対峙は、このような経緯を辿りました。 ○1598年 「豊臣秀吉」(1537-1598年)の死去 ○1600年 「関が原の戦い」 名目は豊臣家の逆賊を成敗 ○1603年 「江戸幕府」を開く 初代将軍・徳川家康 ○1605年 「家康隠居(大御所に)」 息子・秀忠が「2代将軍」に ○1614年 「方広寺鐘銘事件」 徳川方が難クセをつける ○1614年 「大阪冬の陣」 下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる ○1615年 「大阪夏の陣」 淀殿・秀頼自害、豊臣家滅亡 ○1616年 「徳... ...続きを見る

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2015/02/15 00:01
日本史の「発明発見」07 動機?トラウマです!
日本史の「発明発見」07 動機?トラウマです! 生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされれば、誰だってチビる思い を味わうのは当然です。 現に、何度となく戦さを体験してきた徳川家康(1543-1616年)で さえ、あの有名な「しかみ像」を残くらいのものですからネ。 ...続きを見る

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2014/10/10 00:01
日本史の「トホホ」11 情けは怨みと復讐に
日本史の「トホホ」11 情けは怨みと復讐に 平清盛(1118-1181年)は、「平治の乱」(1159年)で長年のライバル・ 源義朝(1123-1160年)を倒し、この時点で義朝の遺児、頼朝・ 義経兄弟をも手中にしたのですから、当時の常識からすれば、 この両人を早々に「殺して」おくべきところでした。 ...続きを見る

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2014/05/30 00:01
日本史の「謎解き」10 ”外様”はなぜ石高が多い?
日本史の「謎解き」10 ”外様”はなぜ石高が多い? 江戸時代の大名に関して、こんな疑問を持ったことは ありませんか? 〜外様大名に対して高い石高を認めているのはなぜ?〜 ...続きを見る

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2013/03/20 00:00
日本史の「逆転」03 秀吉のシックス・センス
日本史の「逆転」03 秀吉のシックス・センス 映画「シックス・センス」には、普通の人間にはない特殊な 能力を持った少年が登場しています。 日本史だって負けてはいられませんので、時折そんな 超能力者?もどきの人物を登場させていますが、多分、 豊臣秀吉(1537-1598年)もその種の一人と言えるのでは・・・ ...続きを見る

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2013/02/10 08:30
日本史の「トホホ」01 小幡城の消滅マジック
日本史の「トホホ」01 小幡城の消滅マジック 「小牧・長久手の戦い」(1584年)は、信長が「本能寺の変」 (1582年)で倒れたあとの「後継者決定戦?」の意味合いを もった秀吉軍VS家康軍の唯一の直接対決であり、その意味 では両者ともに決して負けることのできない戦いでした。 ...続きを見る

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2012/11/10 08:00
日本史の「謎解き」07 塀の上を歩いた茶人
日本史の「謎解き」07 塀の上を歩いた茶人 現代ですと「茶人」という言葉から文化人・芸術家を連想する人も 少なくないと思いますが、でも千利休が生きていた頃にはそのよう には見られていなかった気がするのです。 なぜ? それは利休が「切腹」させられているからです。 ...続きを見る

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2012/09/30 07:00
日本史の「女性」02お江の将軍構想
日本史の「女性」02お江の将軍構想 お江「では、義父上様は兄・家光と弟・忠長のどちらの方が    優秀だとお考えなのですか?」 家康「それは忠長の方であろうよ」 お江「それがお分かりになっていながら、わざわざ優秀でない    方の家光を次期将軍にしようなんて、信じられない!」 家康「そうではないゾ。兄である家光の方がふさわしい、    と言っておるのだ」 お江「そんなの詭弁です!手品です!変態です!」 ※秀忠の長男・長丸は早世したとされ、母親がお江かどうかも不明らしい。 ...続きを見る

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2012/01/30 09:00
日本史の「パクリ」02ニ世と三代
日本史の「パクリ」02ニ世と三代 さて、前回で家康による天皇家システムの「パクリ」に ついて書いた。 ただ、ここにひとつの謎がある。 〜なぜ、三代将軍・家光のお守りには「二世将軍」と書かれて いたのか〜という点である。 そんなもん、家光の計算ミスか 書き間違いに決まっている、の一言で片付けてはイケナイ。 ...続きを見る

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2011/12/30 16:00
日本史の「パクリ」01天照と東照
日本史の「パクリ」01天照と東照 自分より遥かに豊富な歴史知識を備えた人が目の前に いたとしたら、アナタだってきっと羨ましいと思うだろう。 それと同様に、戦国の世で数多くの「お家滅亡」を見てきた 徳川家康にとって、一度も途切れることなく、百代を超えてなお 今も続いている「天皇家」は憧れの存在だった・・・ということだ。 ...続きを見る

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2011/12/25 06:30
〜太陽のコレクター〜
これほど「太陽」にこだわりを持つ民族もそう多くないので はないだろうか。 まず、国の名前からして、「日本(日の本)」。太陽のことである。 国のシンボルである国旗が、「日の丸」。これも太陽である。 国中で一番エラい神様が、「天照大神(アマテラス)」で、 天から照らすのは、やっぱり「太陽」だ。 では、仏様の方はといえば、これがまた「大日如来」(真言宗)が 一番エラいとされている。 ...続きを見る

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2011/08/10 19:03
〜淀殿の青写真〜
その感覚は、今回の「女子サッカーW杯」の決勝戦をライブ中継で 見た人にはわかるものかも知れない。 延長戦に入ってからアメリカにゴールされてしまったその瞬間、 大多数の日本人が「万事休す、勝負あった、もうダメだ」と思った のではないだろうか? よもや、そこから跳ね返して、最後に逆転勝ちを納めるなどとは 想像もしなかったことだろう。 ...続きを見る

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2011/08/04 21:49

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