アクセスカウンタ

zoom RSS テーマ「織田信長」のブログ記事

みんなの「織田信長」ブログ

タイトル 日 時
日本史の「事始め」12 ”兵農分離”は金がかかる!
日本史の「事始め」12 ”兵農分離”は金がかかる! ”メッチャ強い”とされる戦国武将でも、兵の大半を農民に頼って いるようでは、「農繁期」の戦(争)は叶うものではありません。 便利な農機具もない時代ですから、「農繁期」の農民はそれこそ 猫の手を借りたいほど忙しいからです。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2017/03/10 00:10
日本史の「列伝」14 洗えば落ちるやもしれぬゾ
日本史の「列伝」14 洗えば落ちるやもしれぬゾ 戦国時代の日本に渡来した巡察師・ヴァリニャーノに同行し、 織田信長(1534-1582年)に謁見(1581年)後、その献上品?と された黒人がいます。 〜切支丹国より黒坊主参り候/年齢26−27歳ほど/   十人力の剛力/牛のように黒い身体〜 よほどビックリこいた出来事だったのでしょう、「信長公記」は このように書き残しています。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/11/20 00:01
日本史の「お国自慢」15 愚直と創意ふたりの作者
日本史の「お国自慢」15 愚直と創意ふたりの作者 戦国の覇者・織田信長(1534-1582年)の一代記「信長記」には、 太田牛一(1527-1613年)の手によるものと、これとは別に 小瀬甫庵(1564-1640年)が著したものがあります。 両者を区別するために、一般的には 牛一版を「信長公記」(1600年頃?)、甫庵版を単に「信長記」 または「甫庵信長記」(1611年頃?)と呼んでいます。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/10/20 00:01
日本史の「アレンジ」15 偶然?1582年の改暦問題
日本史の「アレンジ」15 偶然?1582年の改暦問題 明治新政府が従来の「和暦」から「西暦」への改暦詔書を出し たのは、和暦の明治5年11月9日、西暦では1872年12月9日の ことでした。 〜太陰暦を廃止して太陽暦にする。 明治5年(1872)12月3日   を以って、明治6年(1873)1月1日とする〜 ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2

2016/09/05 00:01
日本史の「事始め」08 昔もあった?ブラック企業
日本史の「事始め」08 昔もあった?ブラック企業 〜あまりの激務に体調を崩し、病死(享年55)〜  幕臣・江川英龍(1801-1855年)の最期を紹介した文章です。  現代なら、さしずめ“過労死”という言葉になるのでしょう。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2016/04/15 00:01
日本史の「事始め」05 ”丸い地球”をいつ知った?
日本史の「事始め」05 ”丸い地球”をいつ知った? “地球は丸い“ことを始めて知った日本人は誰で、そしてそれは いつのことだったのか? 歴史のエピソードを遡るなら、精密な日本地図(伊能図)を作った ことで知られる江戸後期の測量家・伊能忠敬(1745-1818年)が それを承知していたことは間違いありません。 彼は“地球は丸い”とする天文学を修めていましたし、それが あってこそ地図作成のための測量作業が成り立ったからです。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2015/09/25 00:12
日本史の「忘れ物」21 ♪酒と泪と男と女
日本史の「忘れ物」21 ♪酒と泪と男と女 今回のタイトルはもちろん故・河島英五(1952-2001年)の名曲 から頂戴したものですが、幾分ミスマッチな雰囲気もあるため、 この「泪」の部分を「仏」に入れ替えてみます。 「酒と仏(ほとけ)と御床(おとこ)と女」 これなら少しは関連性も 出てきそうです。 ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 0

2015/07/15 00:01
日本史の「発明発見」10 ”地名改称”ゴマスリ音頭
日本史の「発明発見」10 ”地名改称”ゴマスリ音頭 地名は「言葉の化石」とも言われているそうですから、逆に 言えば、「地名改称」はその昔からあまり熱心に行なわれて こなかったということになります。 ひょっとしたら、先人達の 意識の中に、改称することに対しての宗教的または文化的な ある種のタブー感のようなものがあったのかも知れません。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2015/07/05 00:01
日本史の「油断」03 英傑トリオの本願寺介入
日本史の「油断」03 英傑トリオの本願寺介入 数年前に750回忌大法要を迎えた宗祖・親鸞(1173-1263年)さんも、 ひょっとしたら、その後の「本願寺」の在り方には幾分首を ひねっておられるかも知れません・・・〜なんでこうなったの?〜 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2015/05/10 00:01
日本史の「謎解き」21 ピケティ風?の戦国経済論
日本史の「謎解き」21 ピケティ風?の戦国経済論 とんでもなく固くて難しい内容という噂?があった、フランスの 経済学者トマ・ピケティ著の「21世紀の資本」が出版されるや、 世界ではすでに100万部超え、日本でもたちまち10万部以上が 売れたそうですから、これが驚かずにおられましょうか・・・ おられません! (日本版発売 2014年12月08日) ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2015/04/05 00:01
日本史の「デジャヴ」12 神懸かりは突然コケた
日本史の「デジャヴ」12 神懸かりは突然コケた 超昔々のTV番組で「スーパーマン」を演じた俳優※1は、 ある日、自殺か他殺か不明な“射殺死体”で発見されました。 その後に映画で同じ役を演じた俳優※2も、落馬事故によって 身体麻痺の境遇に陥っています。 つまり超人「スーパーマン」?といえども、決して不死身・不滅の 存在ではなかったわけです。 (ちょっと論点がズレてるか?) ※1ジョージ・リーヴス(1914-1959) ※2クリストファー・リーヴ(1952-2004) ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 0

2015/03/20 00:01
日本史の「迷宮入り」14 天下城焼失の風評被害
日本史の「迷宮入り」14 天下城焼失の風評被害 念願の「天下布武」完成目前にあった織田信長(1534-1582年) の居城「安土城」の“築城から焼失”まで経緯は以下の通り。 ○1576年 → 築城を開始 ○1579年 → 信長が引っ越す(この頃、落雷で本丸焼失?) ○1582年 → 6月「本能寺の変」(信長暗殺事件) ○1582年 → 6月「山崎の戦い」以後、天守と本丸など“焼失”          (二の丸などは残り、城としては機能していたらしい) ○1585年 → 豊臣秀吉養子・秀次による築城のため廃城? ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2015/03/01 00:01
日本史の「もしも」04 判決!”改名”に処すッ!
日本史の「もしも」04 判決!”改名”に処すッ! 天皇位を一旦退位された後に、再び即位される「重祚(ちょうそ)」 は非常に稀なことで、これを経験された天皇は長い歴史の中 でもお二方しかおられません。 奇しくもお二方ともが女性天皇で、名を挙げれば皇極(斉明) 天皇と孝謙(称徳)天皇ということになります。 ※(最初)35代・皇極天皇/(二度目)37代・斉明天皇(誕生594-崩御661年) ※(最初)46代・孝謙天皇/(二度目)48代・称徳天皇(誕生770-崩御749年) ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2015/01/05 00:01
日本史の「お国自慢」12 井沢元彦氏の八十日目
日本史の「お国自慢」12 井沢元彦氏の八十日目 名古屋“やっとかめ文化祭”(10・30〜11・24/市内各地)の最終日 は本年も作家・井沢元彦氏のトリ講演(11・24/東別院ホール)で 締めくくりました。 ...続きを見る

ブログ気持玉 / トラックバック / コメント

2014/11/30 00:01
日本史の「お国自慢」10 ここが信長生誕地だでぇ
日本史の「お国自慢」10 ここが信長生誕地だでぇ 「織田信長(1534-1582年)生誕」の候補地として、これまでは 二つの城の名が挙がっていました。 ひとつが那古野(なごや)城(現名古屋城の前身/名古屋市中区)で、 もうひとつが、そこから西へ10Kmほどの地にあった 勝幡(しょばた)城(愛知県愛西市と稲沢市の市境)です。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

2014/07/10 00:01
日本史の「デジャヴ」08 偉人英傑も神仏にすがる
日本史の「デジャヴ」08 偉人英傑も神仏にすがる 誰でも生涯に一度くらいは進退窮まる場面に遭遇するものです。 俗な言葉なら「チビリそうな思い」を味わうということで、「誰でも」 とは偉人・英傑と崇められるような人でも、決してその例外では ないということです。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

2014/04/05 00:08
日本史の「女性」12 消された?濃姫の個人情報
日本史の「女性」12 消された?濃姫の個人情報 昔は、女性について記録を残すことは少なかったようで、 そのことは超有名人の「妻」の立場にあった女性でも例外では ありません。 早い話が、戦国のスーパースター織田信長の正室「濃姫」も そのひとりで、美濃の戦国大名・斎藤道三の娘であること以外は 確かなことがほとんど伝わっていません。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2013/09/30 00:01
日本史の「ツッパリ」08 釜かぶり今昔物語
日本史の「ツッパリ」08 釜かぶり今昔物語 これは割合に有名なエピソードですが、信長は家康に その「本人」を前にして、普段通りのストレートな言葉で、 このように紹介したとされています。 しかし、それは同時に濃厚な尾張弁だったことも想像されます。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2013/03/30 07:00
日本史の「パクリ」05 ビジネスモデルは目の前に
日本史の「パクリ」05 ビジネスモデルは目の前に 織田信長が実現した「兵農分離」のシステムは、 (1)画期的であり、また(2)天才的な発想であると評されています。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 1 / コメント 0

2013/03/10 08:10
日本史の「アレンジ」02 ”××の変”は変ではないか?
日本史の「アレンジ」02  ”××の変”は変ではないか? ひょいと気がついたのですが、「○○の戦い」という歴史用語? には概ねその“場所”を示しているという規則性があります。 たとえば「桶狭間の戦い」(1560年)「賤ヶ岳の戦い」(1583年) 「関ヶ原の戦い」(1600年)などはその通りの表現になっています、 ...続きを見る

面白い ブログ気持玉 1 / トラックバック 2 / コメント 2

2013/01/20 00:00
日本史の「ツッパリ」06 心頭滅却すれば・・・
日本史の「ツッパリ」06 心頭滅却すれば・・・ 昨今のお天気は極端から極端へ走る傾向があって、 夏は夏で「アッ〜チイよう!」、冬は冬で「サッ〜ブイよう!」と 悲鳴を上げる人も少なくありません。 この根性なしめ! 〜心頭滅却すれば火もまた涼し〜という言葉を知らんのか! ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 0

2012/12/05 08:30
日本史の「お国自慢」02 尾張系日本人の体験
日本史の「お国自慢」02 尾張系日本人の体験 昔からよく指摘されることですが、名古屋の人間はお世辞込みで 言うなら「保守的」、お世辞抜きなら「閉鎖的」な一面を持っている そうです。 もし仮にその通りだとしたら、その背景にある涙なし では語れない尾張系日本人?の「歴史体験」にもぜひ注目を。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 1

2012/07/10 08:45
日本史の「忘れ物」03信長と平和事始
日本史の「忘れ物」03信長と平和事始 ♪ 京の五条の橋の上 大のおとこの弁慶は 長い薙刀    ふりあげて 牛若めがけて 切りかかる ♪ 童謡「牛若丸」にも歌われている通り、弁慶は多彩な武器 (七つ道具)を装備したコワいお坊さんだ。 数珠ではないゾ、弁慶は確かに薙刀(なぎなた)をふりあげて いる! しかし、なんでまた坊さんが武器なんぞを? ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

2012/02/29 08:00
日本史の「謎解き」01信長の財テク
日本史の「謎解き」01信長の財テク 信長の政策「楽市楽座」と「兵農分離」はセットで説明されることが 多い。一般的には「楽市楽座」政策で生みだした資金を 「兵農分離」推進に回した、とするスジ書きだ。 ただ、その具体的な説明についてはあまり多くない印象がある。 ...続きを見る

ブログ気持玉 0 / トラックバック 3 / コメント 0

2011/12/20 00:00
「bonbonnoさん」の快挙
「bonbonnoさん」の快挙 本ブログに「最初のコメント」を寄せてくださった bonbonnoさんの勇気ある「一番乗り」の快挙に 敬意を表し、本編をその名を冠したタイトルにしました。 また、それにちなんで今回テーマを「一番乗り」にしました。 ...続きを見る

ナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 1 / コメント 2

2011/10/10 23:00
〜ミスマッチな職場〜
主君・織田信長に対する家臣・明智光秀の謀反「本能寺」には いったいどんな理由があったのか? 光秀が天下を狙ったのだとか、後ろに黒幕がいたとか、後世に なって色々な説明がなされてはいるものの、実はどの「説」も 万人が納得できる域までには至っていない。 今回はその「謎」に迫ってみよう。 ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

2011/09/18 23:26

トップへ | みんなの「織田信長」ブログ

ヤジ馬の日本史 織田信長のテーマ/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる