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zoom RSS 日本史の「パクリ」14 忘れん坊将軍の悪巧み

<<   作成日時 : 2018/06/25 00:05   >>

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徳川幕府(1603-1867年)が諸大名を管理・コントロールするため設けた御家の
「格付け」(家格)を少し整理してみると、概ねこんな具合になりそうです。
○将軍家/幕祖・徳川家康(1543-1616年)を祖とした最高の家格を誇る。
  →江戸幕府の長・征夷大将軍を建てるべく徳川本家。

○御三家/親藩の中で最高位のランクであり将軍家に次ぐ家格。
  →将軍家が機能しなかった場合は、この「御三家」から「将軍」を建てる
   ための「準将軍家」的な家格で、以下の三家を指す。
   ◇尾張徳川家/家康が晩年に設けた九男・義直を家祖とする
   ◇紀州徳川家/ 十男・頼宣を家祖とする
   ◇水戸徳川家/十一男・頼房を家祖とする
   ※ただし、他の御二家に比べ水戸徳川家は少し格下で、「将軍を
     出さない/将軍家より天皇家優先で対処」などの点で、他の
     御二家とはいささか異なる趣を帯びていた。

ここまでは神君・家康の「徳川」姓を名乗ることと、本家と同様に
「三つ葉葵」の家紋を使用することが許されます。
で、これから先はだんだんと「格下」?になっていきます。

○親藩/神君・家康公の「男系男子の子孫が始祖」の藩。
  →要するに家康の血統を継いだ親戚グループで、基本的には
   かつて家康が使っていた「松平」姓を名乗りますが、必ずしもその
   ルールに当てはまらない例外的な藩もいくつかはあったようです。

○譜代大名/本来は代々(数代以上)に渡り仕えてきた家臣のことを指す。
  →ただし、直近まで「今川義元の人質」だった家康には、これにバッチリ
   該当する家臣は少なかったために、善意の拡大解釈?をもって
   「譜代」と認めました。
  →江戸幕府の場合は、基本的には「関が原の戦い」(1600年)以前より、
   徳川氏に臣従して取り立てられた大名で、幕府の要職に就任する
   資格を有する家格、ということになるのでしょうか。
   (もちろんこれにも例外はあるようですが)

これだけではありません。 さらには、
○外様大名/これは上の「譜代」に認定されなかった大名か?
  定義をすれば、「関が原の戦い」前後に臣従した大名ということに
  なりそうです。

なにやらお話がうっとうしい展開になってきましたが、江戸も中期になった
八代将軍・徳川吉宗(1684-1751年)の時代には、実はさらにややこしい存在も
登場しています。
それが、「格付け」は「親藩」より上で「御三家」より下という微妙なところに
位置する「御三卿」です。

○御三卿/役割は「御三家」と同様に、将軍家の予備機構?
  ◇田安徳川家(1731年) 始祖は吉宗・次男
  ◇一橋徳川家(1735年) 始祖は吉宗・四男
  ◇清水徳川家(1758年) 始祖は吉宗・長男(家重)の次男
       
「江戸中期になってから登場」したのですから、当然ながらこの成り行きは
幕府の創立者である「東照大権現」サマこと家康が仕切ったことでは
ありません。
では、本家をバックアップする「御三家」がすでに整っているにも拘わらず、
まるで「屋上屋」を重ねるかのような形で、同様の役割を担うこの「御三卿」が
なぜ建てられたのか?

答えを先に出してしまうなら、それは仕掛け人である八代・将軍・吉宗の
エゴ・独占欲ということでしょう。
ちなみに、この吉宗はTVドラマ「暴れん坊将軍」の主人公に収まったりして、
現代人には江戸幕府歴代将軍の中でも高い知名度を誇っています。
ところがこの八代将軍・吉宗、じつは将軍本家の人間ではありません。

徳川吉宗51 徳川慶喜51









 第8代将軍・徳川吉宗/第15代将軍・徳川慶喜

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そう、「御三家・紀州藩」の出身です。
将軍家に後継者がいなかったこの時期、同じく「御三家・尾張藩」との間で
次期将軍職を争う形になり、その結果最終的に吉宗に落ち着いたものでした。

こうした経緯も影響したのかもしれませんが、紀州の出身・吉宗と尾張の
徳川宗春(1696-1764年)の間には、ハナから対決姿勢が漂っていました。
一番分かりやすいのが「経済政策」を巡っての路線対決で、「質素倹約路線」
(緊縮財政)に一生懸命になる吉宗の政策に対し、尾張の宗春は、それを
せせら笑うかのように真逆の「贅沢奢侈路線」?(積極財政)路線を断行
しました。

吉宗にすれば、将軍たる自分の方針にことごとく楯突く宗春にはよほど
腹が立ったのでしょう。
〜金輪際尾張藩には「将軍の座」は渡さんぞ!〜
こんな決意で知恵を絞った結果に生み出された方策が、新たに
この「御三卿」※を創設することでした。
ですから、この成り行きは神君・家康が建てた「御三家」方式をちゃっかり
パクったものと言えるのかもしれません。 
※正確には「御三卿・清水家」は吉宗の長男・家重の仕事。

先のように、天皇臣下?を自負していた水戸藩は、将軍を出すことはない
ため、この吉宗以降においては将軍の座を巡る勢力地図はこう塗り替え
られますた。
将軍を出せる家 (色文字で示す)
○御三家・尾張藩 ○御三家・紀州藩 ※御三家・水戸藩
△御三卿・田安家 △御三卿・一橋家 △御三卿・清水家

要するに、御三家と御三卿の計六つ藩・家の内、尾張藩・水戸藩を除く
残りの「紀州藩+御三卿三家」の四つの藩・家の全てが、見事に
吉宗の息がかかった「縄張り」?となったわけです。
つまり、以降代々の将軍のすべてを、吉宗の血筋から出そうとする
「将軍職独占計画」とも言うべき「悪巧み」?に他なりません。

実際、歴史はこの吉宗の「計算通り」に運びました。
八代・吉宗の後、十四代・家茂に至るまでは全て紀州家の血筋が続くこと
になり、将軍家に次ぐ「御三家筆頭・尾張藩」が将軍を出すことは一度として
ありませんでした。 
その意味では、動機は不純?ではあったものの、吉宗の目論見自体は
大成功を収めたわけです。

いまさらこんなことを言っても始まらないのは承知の上ですが、尾張藩から
将軍がでなかった事実を知るにつけ、根っからの「尾張系日本人」である
筆者などは正直なところ、いささか「ムセッ」としてしまいます。

それはともかく、この吉宗の、家康の深謀を忘れたかのような我田引水の
行為は、幕末維新の折に、家康が聞いたら吃驚仰天・ガックリ落胆するで
あろう出来事を招いてしまいました。
〜将軍職には就かず、なにごとも天皇家優先であるはずの御三家
  「水戸徳川家」出身の「一橋(養子)慶喜」(1837-1913年)が第15代将軍に〜


結果として、幼い頃から「天皇家優先」の教えを叩き込まれてきた慶喜が、
事もあろうに天皇家の敵「朝敵」の、しかも大将になってしまったのですから、
ほとんど歴史のブラックジョークと言わなければなりません。

こうした破綻?を神君・家康の立場からみれば、御三家・親藩・譜代・外様
とした自らの苦心の秩序プランを、吉宗の独占欲?により忘れられ、さらには
ぶち壊されたことになります。
だとしたら、神君・家康から見た吉宗には「暴れん坊将軍」などという威勢の
いいニックネームは論外で、
〜知恵の浅い不肖の子孫で、単なる「忘れん坊将軍」に過ぎんッ!〜
こんな評価になったのかも?

ただ、「忘れん坊」とはいえ、将軍である自分にことごとく盾突いた
御三家・尾張の宗春のことは生涯忘れることはなかったようです。
その証拠に、反抗者?宗春に対して蟄居謹慎(1739年)を命じたばかりか、
こんな遺言さえ遺しています。
〜宗春って奴はどうにも虫が好かぬ。 ええか、宗春のヤツめが死んだら、
  罪人であることを忘れさせぬように、永久にその墓を金網で覆い続ける
  のだゾ〜

この執念深さときたら、いったいどこが「忘れん坊将軍」なのだ?!

もっとも、吉宗の倹約政策のせいで不景気に陥り、苦しい生活を強いられた
庶民からすれば「暴れん坊将軍」なんてものではなく、掛け値なしの
「ケチん坊将軍」、「ドケチん坊将軍」だったかもしれません。

さらに言えば、自らの血統で将軍職を独占することで、その座を「尾張藩」に
渡さぬように企てた吉宗のことを、現代の尾張系日本人である筆者なぞは、
陰でこう呼んでいるのですがね。 〜「独禁法(違反)将軍」



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