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zoom RSS 日本史の「タブー」05 偽勅が歴史を変えた?

<<   作成日時 : 2018/05/05 00:01   >>

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「勅(ちょく)」とは、天皇の命令またはそれが書いてある文書(勅書とも)を
指す言葉です。
念のためですが、天皇が思いついたことを気まぐれに「チョクチョク」命令する
ことから「勅」と呼ばれるようになったとする見解は、まあトンデモ説の類だと
受け止めておいた方が無難なのかもしれません。
ところが、長い歴史の中にはこのニセの「勅」、すなわち天皇の意思を捏造?
したかのように見える出来事も、それこそチョクチョクあるのです。

たとえば、奈良時代の第48代・称徳天皇※(718-770年)が亡くなる折の
顛末にも、そんな気配が感じられます。
生涯独身であり子をなすこともなかった女帝・称徳は、自らの後継に高潔で
有徳の人物と評価していた僧・道鏡(700?-772年)を考えていました。 
しかも、道鏡がいささか為体ぶりを示していた当時の天皇家に繋がりを
持たない人物だったことも推薦理由?の一つになっていたかもしれません。

その称徳女帝が崩御するや、間もなく群臣たちによって「皇嗣」を決める
評議が開かれました。
しかし、関係者間の意見は分かれたままで最終決定までに至りません。
通説に従えば、この時左大臣・藤原永手(714-771年)が女帝の
「遺詔」を読み上げることでようやく最終的な結着に至ったとされています。

ところが、開けてビックリ。 それは称徳女帝が生前望んでいた僧・道鏡では
なく、〜皇嗣には(天皇家に繋がる)白壁王を指名する〜との内容になって
いたのです。
こうした経緯を辿った末に、白壁王が第49代天皇(光仁)として即位したの
ですが、この際の「遺詔」が偽造されたものだったとする見方があります。

ちなみに、こちらは「勅」ではなく、「詔」とされていますが、
〜「勅」は尋常の小事に用い、「詔」は臨時の大事に用いる〜と説明され、
両方を合わせて「詔勅」という表現も用いられる通り、いずれにせよ
天皇の命令さらにはそれを記した文書を意味しています。

しかしまあ、この時の藤原永手の行動がホントだとしたら、デッチ上げの
「(偽)遺詔」を根拠として、国家の方針を決定したことになります。
昨今の財務省「決済文書改ざん」問題どころではないメッチャ大胆不敵な
方法を選んだわけですが、でも実は、こうした「偽詔勅」はどうやら
「これっきり」ということでもなかったようです。
実は、幕末維新騒動のさなかに登場し、一般的に「討幕の密勅」(1867年)と
呼ばれている「勅」に対しても、これと同様にニセ物ではなかったかと
疑問視する向きもあるからです。

正式な「勅」とは、下記の手続きを経る必要があると説明されています。

○作成された原案を承認した場合に自らの手で「日付」の一字を記入する。
  (→これを「御画日」(ごかくじつ)、または「御」抜きで単に(かくじつ)とも)

○作成された原案を承認した場合に自らの手で「可」の一字を記入する。
  (→これを「御画可」(ごかくか)、または「御」抜きで(かくか/かっか)とも)

○案の写しが送られてくると摂政・関白が朝廷会議を開催して検討し、
  そこで妥当との結論になった場合は施行を奏上する。


いずれにせよ、舌を噛みそうな名称の手続きを踏まなくてはなりません。

ところが、この「討幕の密勅」には、中山忠能※を初めとする廷臣三名の
署名はあるものも、上記の天皇が承認した旨の証拠になる体裁には
いささかの不備?が残されていました。
要するに、明治天皇ご自身の(下を噛みそうな)「御画日」も「御画可」も、
さらには摂政(二条斉敬)による一連の作業を踏まえた痕跡もなく、そこで
「偽勅」の疑いが浮かび上がったということです。
※娘の「中山慶子」が明治天皇の母であることから、この忠能は外祖父に
  当たる。

しかもその内容がちょいとばかり過激なもので、
〜(江戸幕府・第15代将軍)徳川慶喜はブチ殺してしまえ〜
討幕を急ぐ当時の朝廷側の空気が伺える、なんとも物騒な内容ですが、
これが秘密裏に薩摩藩・長州藩に下されました。
秘密裏にせよ、そこは「勅」という形式をとっているのですから、そう命じた
のはとりもなおさず、明治天皇(1852-1912年)ご自身ということになります。

とは言うものの、この時の明治天皇は中学生ほどの年齢であり、また天皇
デビュー?から間もない時期に、いきなりのこと、そんな激しい内容の「勅」
発したとするのも確かになんとはなしのモヤモヤ感が漂います。

岩倉具視01 討幕の密勅01









岩倉具視/討幕の密勅

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しかし、この「討幕の密勅」が歴史を動かしたことは間違いありません。
天皇の命令ですから、「密勅」を受け取った薩摩藩・長州藩が、その時点で
「官軍」つまり正義の側で、征伐の対象である「徳川(将軍)」側が「賊軍」つまり
反乱軍ということになり、直前の色分けとは全く逆の立場になったからです。

しかし、先代・孝明天皇(1831-1867年)の急死がなかったとしたら、
間違ってもこのような内容の「勅」が登場することはなかったハズです。
幕府の存在意義を認めていたばかりでなく、武家政権発足以来続いてきた、
朝廷は祭祀を幕府は政治をとする、一種の役割分担制?こそが、この日本に
おいては正しい在り方だと考えていたのが、実は当の孝明天皇ご自身だった
からです。

実際、幕府に対して「助け船」?を出した経緯もあります。
「未曽有の国難」?と受け止められた「黒船来航」(1853年)以後の幕府は、
大老・井伊直弼が専行する形で開国に踏み切るなど、挙動バタバタの姿を
露呈しました。

これを見た孝明天皇は、自分の(異母)妹姫・和宮(1846-1877年)を、
幕府将軍・徳川家茂(1846-1866年)に嫁がせるなど、いわゆる
「公武合体」路線に踏み出し、幕府に肩入れしています。
しかも、和宮にはすでに婚約者(有栖川宮熾仁親王)がいたため、
孝明天皇自身は当初あまり気乗りしていなかったにも拘わらずです。

それでも「公武合体」路線に踏み切ったのですから、孝明天皇の胸中には
こんな思いがあったことは間違いありません。
〜政治の実務はこれまで通りに幕府に任せるべきだ〜
つまり、孝明天皇が「討幕の(密)勅」を発するなどはあり得ないわけです。

では、その息子である明治天皇がハナから「幕府嫌い」だったのか?
これも、先のように年齢や政治経験が浅いことを考慮すれば、そうとも
言い切れません。
だとしたら、この「討幕の密勅」はどこから湧いて出てきたものか?

この時、朝廷に対して大きな影響力を持つ人物として、特にこの二人の名が
挙げられそうです。
明治天皇の母・中山慶子の父、つまり明治天皇の外祖父に当たり、朝廷側の
実力者でもある「中山忠能」(1809-1888年)。
そしてもう一人は、先代・孝明天皇の後宮となり、明治天皇の異母姉妹に
当たる二皇女を生んだ堀河紀子(1837-1910年)の、その兄である公家・
岩倉具視※(1825-1883年)。
※堀河家に生まれ、後に岩倉家へ養子に入る。

朝廷内に大きな影響力を持つこの二人が若き明治天皇の傍にいたことに
なります。
いわゆる「討幕の密勅」に署名した人物の一人がこの外祖父・中山忠能
ですし、さらに通説に従えば、この一連を主導した人物として岩倉具視の
名が挙げられています。

大変不敬な言い方になりますが、ひょっとしたら、この「討幕の密勅」は、
「勅」を出せるただ一人に人物であるはずの、当の明治天皇を「カヤの外」に
置いたまま進められたのかもしれません。

もしそうなら、明治天皇ご自身の(舌を噛みそうな)「御画日」や「御画可」が
ないことも、さらには摂政(二条斉敬)による一連の作業を踏まえた形跡が
ないことにも、無理なく説明がつこうというものです。
もしそうだったとしたら、いやぁ、腹をくくった「大ペテン」?を仕掛けたものだと
感心してしまいます。 結構大それたことをやるものですねえ!

称徳女帝の折もそうでしたが、政治の混乱期にはあっては、現代の
平和社会で重要視されている「コンプライアンス(法令遵守)」?なんてのも
吹っ飛んでしまうようです。
あッ、この表現は必ずしも正しくないかもしれん。

現代の平和社会においても、例えば自動車メーカーの「無資格検査」、
鉄鋼メーカーの「性能データ改ざん」、さらには官庁(財務省)における
「決済文書改ざん」など、「コンプライアンス」違反を疑われる事象が官民を
問わず多発していますからねぇ。

特に「官庁」に対して絶大な信頼を寄せるのは、日本民族のその昔からの
美徳?習性?ですから、「役所」もどきの名称ある通知などは、割合素直に
信用してしまうものです。
現在でも「還付金詐欺」などが隆盛?を極めているのは、そうした日本人の
深層心理を巧みに突いた行為だからでしょう。

と、なかば「評論家」もどきのお気楽な感想を漏らしている筆者ですが、
実のところを白状すれば、少し以前のこと、この手の「電話詐欺」に遭遇
した経験もあるのです。

決して褒めているわけではありませんが、テキは実に弁舌爽やか、しかも
物腰丁寧・落ち着いた口調でアプローチしてきますから、どうか皆さまに
おかれましても十二分な自己防衛策をネ。 
いやぁホント、この辺りの運びはお世辞抜きで「職人技」?なんですヨ。



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