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zoom RSS 日本史の「陰謀」24 家康の朝廷封じ込め作戦

<<   作成日時 : 2018/04/20 00:10   >>

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戦国の世の最終勝者となった徳川家康(1543-1616年)は、その権力機構
である「幕府」(1603年)を江戸に置きました。
そこでちょっと気になるのは、家康がその「江戸」という地名をそのまま
使い続けたという事実です。
平安時代末期の頃にはすでに「江戸」という地名はあったとされていますが、
これは「穢土」にも通じる響きがあって、「良い名」どころかむしろ逆の印象
にもなるところです。

むろん、家康がこのことに気が付いていなかったとは思えません。
合戦に当たっては自らが「厭離穢土 欣求浄土」※と書かれた旗指物を
使っているからです。
※(おんりえど・ごんぐじょうど) ただし「厭離」は(えんり)が正しいとも。

仏教書にあるこの言葉のおおよその意味は、まず「厭離穢土」が、
〜苦悩多い穢れたこの世(穢土)は厭だから離れたいと願うこと〜
続く「欣求浄土」とは、〜浄土(仏の世界)を心から喜んで願い求める〜
一般的にはこれくらいの説明になっています。

その説明の通りに「穢れたこの世」が「穢土」だとしたら、それを連想させる
「江戸」はむしろ敬遠したい地名です。
これを解消するには、地名の方をコロッと変えちゃう方法もあります。
この少し前に織田信長(1534-1582年)が、それまで「井ノ口」と呼ばれて
いた土地を、新しい政治の本拠地「岐阜」という名称に改めていますし、
家臣達もそれに倣って追随し「土地改称」ブームもどきの風潮もあったの
ですから。

例えば、それまでの「今浜」を「長浜」(滋賀県)にしたのが豊臣秀吉なら、
蒲生氏郷はそれまでの「黒川」を「若松」(福島県)に改めていますし、何事にも
慎重居士?であるハズの家康自身とて、そのブーム?に引っ張られる格好で、
「曳馬(引馬)」を「浜松」(静岡県)に改称しています。

ですから、「えど」の響きを「ヤな感じ」と思ったのなら、さっさと改称して
しまうことに何らの躊躇もなかったはずです。
しかし、そうはしていません。
ということは、この「穢土」という言葉について、家康には家康なりの解釈が
あったと考えられるところです。 

おそらくそれは、自らの死後朝廷から「東照大権現」という諡号が贈られた
ことと無関係ではないのでしょう。
実のところ、この諡号はこの国の最高権威者として長らく君臨してきた朝廷を
強く意識したものになっています。

〜朝廷の祖神が「天照大神」なら、ワシは徳川家の祖神「東照大権現」
  である〜
 
一応は朝廷から賜った体裁にはなっているものの、朝廷に向けた抗意識を
露骨に表した明正ですから、実際には家康本人の強い希望・要請に沿った
諡号だったと思われます。

その対抗意識は、「天照大神」の事績?に対しても向けられていると
考えられます。
「国譲り」に際して、勝者・天照大神は敗者・大国主命に対し、こう諭して
います。
〜えぇかね、今まであなた(大国主命)が治めていた「地上の世界(この世)」
  のことは、今後皇孫が治めていきますによって、どうぞあなたは
  「神の世界(あの世)のことに専念してくださいナ〜

この天照大神の言動に倣って、家康はこう言っていることになります。

〜えぇかね、今までアンタ(天皇)が治めていた「地上の世界(この世)」の
  ことは、今後私こと「東照大権現」の子孫が治めていきますによって、
  どうぞアンタ方(朝廷)は「神の世界(あの世)のことに専念してくださいナ〜

その「この世」に当たる言葉が「厭離穢土」の「穢土」です。

だとしたら、仏教書の解説はともかくとして、家康にしてみれば、むしろ
歓迎すべき言葉ということになり、「地名改称」なぞは検討するはずも
ありません。
家康ともあろう人物が、こんな子供の遊びのような霊的思考を持っていた
とは考えられないってか。
そこが現代人のスットコドッコイで驕慢で浅はかな一面で、昔の日本人は、
現代人よりはるかに篤い信仰心を持っていたことをすっかり忘れている
のです。

それはともかく、実はこの〜「この世」のことは徳川家が担う〜とする
家康に意思には、もう一つの傍証があります。

厭離穢土欣求浄土51 徳川家康01









旗指物「厭離穢土 欣求浄土」/江戸幕府初代将軍・徳川家康

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本拠地とした「江戸」と、天皇のお住まい「禁裏(皇居/御所)」を結ぶ街道
「東海道」を53の宿場町を認め、いわゆる「東海道五十三次」にしていること
です。 〜善財童子は53人の人と出会う旅を経て菩薩になった〜

この「53」という数字は「華厳宗」のこの説話に従って定められたとされて
いますから、早い話が、徳川家が治める「江戸(穢土)」こそが「この世」で
あって、天皇が住む「京」とは「欣求浄土」の「浄土」、つまり「あの世」に
属する異次元空間「結界」に他ならない、としているわけです。

昔の人に比べ、とんと信仰心が薄れてしまった現代日本人にとっては、
なんとも違和感を覚える精神作業(言霊信仰)ということになりそうですが、
こうしたことは、この時代にはさほど特異なことでもありませんでした。

進んだ科学を持つに至った現代では「迷信」の類に扱われているものでも、
当時としては「最新科学」だったものは数多あります。
そうした点は徳川家とて例外ではなく、多くの面で儒教・風水という当時の
「最新科学」?をふんだんに採用しているのです。

たとえば、元々は「松平」だったものを「徳川」に改姓したこともその一つ
です。 儒教では「徳ある者が治める」ことで社会秩序は安定するとされて
いるからです。
〜徳川家とは、とりもなおさず「徳ある者」じゃ〜という自己主張です。
また、本拠地とした「江戸」の町も「四神相応」という最新科学?に基づいて
建設されている事実があります。
ちなみに「四神相応」とは、東に「青龍の宿る川」が流れ、
西に「白虎の宿る道」が走り、南に「朱雀の宿る水」があり、
北には「玄武の宿る山」がある土地は栄えるとした考えで、確かに江戸の
町はそれを踏まえた形で都市建設がされています。

/東に隅田川(川)/西に東海道(道)/南に江戸湾(水)/
北に麹町台地(山)/ さらに付け加えるなら、鬼が出入りするとされた方角、
いわゆる鬼門(北西)方角には「東叡山・寛永寺」を建設し、江戸の町の
守り(霊的防衛)を一層強固なものにしています。

実際にそうしたことを行っていることを考えるなら、「朝廷パワーを結界に
封じ込める」という考え方も、それほどオカルトっぽいこととは言えなく
なります。
こうした信仰的、いわば精神世界の行為だけでなく、実は「この世」の扱い
でも、「朝廷封じ込め」作戦?は証明できそうです。

これは、家康最晩年のことになりますが、武家を統一するために江戸幕府は
「武家諸法度」(1615年)を定めています。
同じ年、続け様に天皇公家に向けての法律「禁中並公家諸法度」も定め
ました。 その第一条の内容がこれ。
〜天皇が修めるべきものの第一は学問である〜

要するに、「政治には口を出しなさんな」と言っているわけで、霊的意味を
加えるなら、
〜アンタたちは浄土(あの世)の世界に属しているにだから、穢土(この世)の
  ことに口出しなさんな〜ということです。

事実、その意向には不退転の決意がありました。
その物的証拠?になりそうなことの一つに、その後の見直し、つまり
「法度(法律)改正」の頻度があります。
時代の変化に伴い、「武家諸法度」は以後何度も改正されましたが、
こちらの「禁中並公家諸法度」は、以後二百数十年の間、江戸時代を
通じて一度も改正されることはなかったのです。
ちなみに、ともすれば「憲法の化石」と揶揄される現代の「日本国憲法」
(1947年施行)の「世界最長改正なし記録」だって、たかだか70年余りの
ことですから、その意味では「禁中並公家諸法度」の足元にも及ぶもの
ではありません。

それはともかくとして、「この世」のことは時代変化に対応させていくことが
必要だが、「あの世」は「この世」の変化には無関係の霊的空間だから、
放置したままで何らの不都合もないということだったのでしょう。

しかし、徳川家のこうした努力にも拘わらず、二百数十年後には、閉じ込めた
はずの朝廷勢力が「結界」からの脱出に成功し、幕府を滅亡させました。
つまり逆に幕府の方が「あの世」へ追いやられてしまったのですから、
傍目八目の目線で眺めるなら、お話は面白い。

こうした歴史の結末を承知している現代人には、家康渾身の作戦が
迷信に惑わされたバカげた作業のように映ってしまいますが、ところが
実態は、そんな遊び半分のものでは決してなかったということです。
事実、明治維新が成って皇居をこの地に移す段には、それまでの地名
「江戸」をニューネームの「東京」に改めています。

国民統合のシンボルであり、究極の清浄さを備えた至高の存在「天皇」の
住所?が、よりにもよって「穢土」に通じる「江戸」のままではさすがに拙い
だろうということだったのでしょう。

ちなみに、家康が「厭離穢土 欣求浄土」の思想に求めたものは、これを
英語(English language)に直してみると一目瞭然です。
“only edo gong johd” (厭離穢土 欣求浄土)
〜ええか、浄土(つまり朝廷)の鐘(ゴング)を握って
  いるのは「江戸」だけであることをくれぐれも忘れなさんなッ!〜

言うまでもなくこれはコジツケに溢れたトンデモ説ですから、良い子の
皆さんは決して真に受けないでくださいネ。



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