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zoom RSS 日本史の「デジャヴ」24 天魔王は不意を衝かれる

<<   作成日時 : 2018/04/10 00:01   >>

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家臣・明智光秀(1528?-1582年)による主君・織田信長(1534-1582年)に
対する謀反「本能寺の変」(1582年)は、その後の政治状況を大きく
変えました。

もし、この事件で信長が命を落とすことなく健在であり続けたなら、一家臣に
過ぎなかった羽柴秀吉(豊臣/1537-1598年)がその後の天下を握ることも
なかったでしょうし、さらにその秀吉亡き後の天下を、豊臣家臣の立場に
あった徳川家康(1543-1616年)が掌握することもなかったと思われるから
です。

要するに、「本能寺の変」とは、単なる要人暗殺の枠に留まるものではなく、
歴史を塗り替えたと言っていい大事件だったことは、事件後四百数十年経った
現在でも、映画・ドラマなどで繰り返し取り上げられている事実が証明して
います。

どころがダ、実はこれと瓜二つの事件がこの「本能寺の変」より百数十年前
にも起きているのです。
ただ、こちらの方は映画・ドラマに取り上げられる機会も少ないために、
「本能寺の変」ほどには有名でないようですが。

暗殺勃発から実行犯征伐に至る、その大事件は一般には「嘉吉の変(乱)」
(1441年)と呼ばれています。
暗殺されたのは室町幕府第6代将軍・足利義教(1394-1441年)、それを
企てたのが有力守護・赤松満祐(1381?-1441年)でした。
もっとも、現場で実際に刀を振るったのは、満祐・嫡子と満祐・弟であり、
満祐自身が暗殺行為を実行したわけではありません。

後の「本能寺の変」と同様に、この暗殺事件も後の時代を大きく変えました。 
日本史における「戦国時代」とは、一般的に(1467<1493>-1590年)くらいに
捉えられていますが、
〜「戦国時代」は、事実上足利義教の首が落ちた瞬間から始まった〜
と見る向きもあるほどです。

実はこの暗殺された側の織田信長と足利義教には、ともに「天魔王」と
恐れられた、
○独裁的な政治姿勢(信長:超ワンマン政治/義教:万人恐怖政治)
のほかにもいくつかの共通点があって、それらを少し並べるとざっと
こんな感じ。
○家臣による決起  (信長:明智光秀/義教:赤松満祐)
○神に対する意識  (信長:神を目指した男/義教:神に選ばれし将軍)
○対比叡山延暦寺  (信長:焼き討ち/義教:攻撃)
○無防備状態で憤死(信長:本能寺逗留中/義教:赤松邸訪問時)

このうち、「神に対する意識」という点には幾分の補足が必要かも
しれません。
信長は既存の権威・権力(朝廷・将軍)に対して大きな畏れの気分を
持ってはいませんでした。
ただ、天皇という存在に宿る権威だけは、それを取り除く方法も見つけられ
ずにいて、その解決策として目論んだのが、自らが神になるという方法
でした。
自らが神になれば、天照大神の「子孫」に過ぎない天皇を超越できるからです。

現代人の目からすれば、いささか「子供染みた」手法にも感じられますが、
昔の人たちの信仰心には篤いものがあったことを忘れてはいけません。
結果として、このプランは光秀の謀反によって実現にまでは至らなかった
とはいうものの、実際にチャレンジもしています。

その証拠としては、居城・安土城が「神・信長」を演出した構造を備えて
いたことなどが挙げられます。
しかし、それよりなにより、信長の間近かにいて信長のその意図を理解した
豊臣秀吉・徳川家康が、後に実際「神」にまで出世?していることも傍証に
なりそうです。
秀吉の「豊国大明神」、家康の「東照大権現」がそれであり、早い話が
二人は天皇の権威を凌駕する方法として、信長のプランをちゃっかり
パクったということです。

片や足利義教は面白いことに、なんと「クジ引き」で選ばれた将軍でした。
第4代将軍・足利義持の後継には四人の候補者がいましたが、時の幕府は
その中の誰を選んだとしても、関係者の円満合意には至らないであろう
微妙な人物バランスの中にありました。  
関係者の円満合意は無理と踏んだ「将軍選抜委員会」?は、そこで
「クジ引き」という方法を取ったわけです。
〜これならだれも文句あるめぇ〜といったところでしょうか。

織田信長52 足利義教51










天魔王・織田信長/万人恐怖・足利義教

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国のトップをナント「クジ引きで決定する・・・現代人からすればいささか
不謹慎にも感じられますが、ドッコイ、繰り返すなら、昔の人たちの信仰心
には現代人とは比べ物にならないほどに篤いものがあったことを忘れては
いけません。
「クジ引き」とは「神の意思表示」であり、言うならばその結果は、生身の人間が
選んだのではなく、それを超越した存在・神が選んだということになるのです。
現代でも「クジ(籤)」に「おみくじ」という表現を用いるのは、文字にすれば、
御神籤/御御籤/御仏籤であり、つまりは「神意」ですから、「御」を
いくつも重ね、丁寧な上にも丁寧な表現を用いているわけです。

ですから、当たり札を手にした義教は当然こんな意識を持つことになり
ます。 〜ボクは神に選ばれし将軍であるッ!〜
その後の政治姿勢がワンマンなものになるのも無理はありません。
「神に選ばれし将軍」に怖いものやミスなどはあろうはずもないからです。

もう一つ、信長と義教の比叡山・延暦寺に対する姿勢にも似たところ、
つまり両者ともに敵対関係にあったことが挙げられます。
この「施政者VS延暦寺」の対峙は、結論から言えば、いずれの場合も
延暦寺側の非の方が大きかったと見るべきでしょう。

現代でこそ、寺社とはもちろんのこと非武装で穏やか存在ですが、それとは
ひと味もふた味も違う、というより真逆とも言えそうな性格を備えていたのが
当時の寺社でした。
建前としては確かに神仏に仕える身としているものの、当時の寺社の
その正体?と言えば、政治に対する圧力団体であり、経済面においては
利権集団であり、総じていうなら今の言葉で「反社会的勢力」に近い性格を
帯びていました。

要するに、施政者すれば、道理をわきまえない厄介この上ない反対勢力
だったということです。
どこかの国の野党のように「なんでも反対」する勢力と言っていいのかも
しれませんが、仮に「なんでも反対」であっても、現代の野党ならせいぜいが
言葉の応酬に留まるものですが、ところが当時の野党?寺社はゴッツイ
武装をした「僧兵」を常備していました。
この「僧兵」を、武器を携えた僧侶の姿と受け止める向きもありますが、
話は全くの逆で、武装した「ならず者」が僧の衣装を纏っていたと理解した
方が実態に近いのでしょう。 いわば、戦闘プロ(傭兵)集団です。

ましてや、寺社を相手に一旦事が起きれば、信徒だって女子供を含め
武器を手に取り戦闘に加わるのですから、結果としては常に凄惨な状況を
招くことになります。
「戦闘員/非戦闘員」の区別が意識されるようになるのは近代の戦争まで
待たなければなりません。

そうした武装寺社勢力の中でも特に過激で戦闘的だったのが比叡山・
延暦寺でした。
こうした寺社が、自分の政治を推進しようとする施政者と対立するのは、
火を見るより明らか、ちょっと古い昭和の言葉を使うなら、「あたり前田の
クラッカー」ということになります。

では、自分の政治実現に邁進していた信長や義教が、なぜ謀反の標的
になったのか?
現代世相にてらして眺めてみるなら、この理由も決して理解不能ということ
わけでもありません。
要するに、信長の「天下布武カンパニー」?も、義教の「室町将軍会社」?も
現代の言葉にするなら「ブラック企業」?だった、ということです。

会社のより一層の繁栄・発展を願って、社員(家臣)たちにえらく高い
ノルマを課し続けた社長(信長/義教)に対し、そんな中でとうとう
息切れしてしまった者が現れたということであり、これが現代なら、
仮にそうしたノルマが果たせなくても、せいぜい左遷されるか、最悪の
場合でも馘首(クビ)になることで話は終わります。

ところが、当時はそんな平和的手段?で話がつくものではありません。
高いノルマを果たそうと努力を続ける者には次第にそのストレスが
蓄積されていき、
〜この厳しいノルマはいつまで続くのだ・・・もうイヤッ、限界だぁ!〜

ここまでに至ってしまったのが、信長に対する明智光秀であり、義教に
対する赤松満祐だった、ということでしょう。
現代なら、公に訴え出るなどの方法もあるのでしょうが、当時は相手を倒す
よりほかに、そのストレスから解放される道がありません。 
思えば、なんとも過酷な時代です。

こうした時代に思いをはせると、生来が怠け者の筆者なぞは、ついこんな
感想を漏らしてしまいます。
〜厳しすぎるそういう時代に生まれなくてホントにラッキーだったなぁ〜
でも他人様に言わせると、この感想は筋違いなものなのだそうです。
〜ええか、怠け者にストレスが溜まろうはずがないだろッ!〜
なるほどッその通りかもしれん! ただ、この力強い励ましを素直に喜んで
いいものかどうか、この点では今ちょっと思案しているところです。



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