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zoom RSS 日本史の「列伝」17 ジコチュー夫妻の別視界

<<   作成日時 : 2018/03/25 00:01   >>

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室町幕府第6代将軍・足利義教(1394-1441年)が暗殺に倒れたあと、
第7代の座には幼い嫡男・義勝(当時九歳))が就きました。
しかし、わずか十歳で夭逝。 
そのため第8代には、義勝の弟(第6代・義教三男/庶子)である14歳の
義政(1436-1490年)が就くことになりました。

しかし庶子の立場だった義政の立場からすれば、もともと将軍職などは
想定外のものですから、ハナから政治に関心が持てません。
〜兄チャン(義勝)が健在だったら、ボクは趣味三昧の生活ができたのに
  なぁ。 でも、こうなっちゃったからには仕方がない。 一日も早く気楽な
  趣味生活を送れるよう、目標を「早期引退」に切り替えようっと〜


将軍就任の数年後には、当時16歳の日野富子(1440-1490年)を
御台所(正室)に迎えました。
さらに数年後にはこの夫婦に子供もできましたが、その日のうちに夭折。
この不運な出来事は夫婦のみならず、周辺にも大きな影響を与えることに
なります。

まず妻・富子の実家・日野家が、今回の赤子の死は義政の乳母・今参局に
よる呪詛のせいだと決めつけるや、局を流罪※としたばかりではなく、
義政の側室たちを追放する行動に出ました。
要するに、この後の将軍家は日野家及び富子が大きな影響力を持つように
なったということです。
※今参局は護送途中に自害。 本邦初の「女性切腹」とも。

一方の義政も、待望久しい「将軍引退」の日が赤子の死によってその分
遠のいてしまってガックリ。 そこで次善策にカジを切りました。
僧になっていた弟・義視(よしみ/1439-1491年)を還俗させた上に、
富子の妹(良子)を正室に迎えさせ、自分の後継としたのです。

〜ちょっと待ってヨ、兄貴も義姉サンもまだ十分に若いじゃん。
  この後ひょっこり男の子が生まれるようなことがあったら、次期将軍は当然
  その子でしょうに。 そうなると、ボクの立場はとっても微妙・・・それを思うと、
  あんまり気が進まないのですよねぇ、これが〜

しかし義政の頭の中はすでに「早期引退」モードですから、義視のこの意見は
黙殺です。

ところが皮肉というか案の定というか、この夫婦に男子が生まれます。
〜ここで義視を将軍にしようものなら、その座はもう返ってこないかもだわ、
  それじゃあ大変に拙いじゃん〜
 こう考えたのが富子で、将軍続行に腰が
引けている義政の尻を叩くようになっていきました。
〜父チャン(義政)! この子が将軍職を継ぐまでは何がなんでも
  現役将軍として頑張り続けなさいよ、いいことッ!〜


「早期引退」を渇望する夫・義政に対し、妻・富子はあくまでも「現役続行」を
要求するのですから、夫婦間の齟齬が次第に大きくなっていくのは当然です。
そうした姿勢の富子に段々鬱陶しさを感じるようになったのでしょう。 
義政は、政治と同様にここでも「逃げの一手」に終始し、確かな言葉を
返しません。

こんな按配で、政治にはからっきし関心が持てなかった義政でしたが、
文化人としては超一流の才能を備えていました。 
特に、建築や造園に対する才能はハンパではなく、現在「和風」と呼ばれる
ものの原点は、この義政にあるといわれているほどです。
ですから義政は、政界を「早期引退」した後のわが身をこうした「文化」の中に
置きたいと心の底から願っていたわけです。

一方、そういう夫の姿勢を頼りないと踏んだものか、「我が子将軍」実現の
ために、それなりに資金も準備し、有力な後見人を立てたのが富子でした。
さらに、こうした富子の姿勢を見て危機感を抱いたのが、自分の立場が
微妙で危ういものだと自覚していた義政の弟・義視で、こちらはこちらで
自分の身を護るために有力な後見人を立てます。

富子側が幕府の重鎮・山名宗全(1404-1473年)を立てれば、義視側は
同じく幕府管領・細川勝元(1430-1473年)です。
この互いの牽制の構図が一因となり、、後に京全域に壊滅的な被害を与える
ことになる「応仁の乱」(1467-1477年)へと発展していきます。

足利義政 日野富子52









夫・足利義政/妻・日野富子

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では、こうした際どさを孕んだ時期に、当の義政・富子夫妻はどんな行動を
取っていたものか?
実はこの時代、各地で飢饉・災害が頻発していました。
そうしたさなかにあって、気に入った樹木があれば強制的に収得し、土地で
あれば立ち退きまでさせて自分のモノとし、そればかりか「物見遊山」
(観光旅行)を繰り返していたのが夫・義政でした。
そればかりか、自分の趣味(建築普請・造園工事・観光旅行など)の費用を
捻出するために、なんと増税まで行なっています。

一方、妻・富子も負けてはいません。
敵味方問わず大名・武将に多額の金銭を貸し付けるやら、いたるところに
新たな関所を設けて容赦なく「通行料金」?を徴収するばかりでなく、
さらには米の投機にも励むなど、つまり「金儲け」に奔走していました。
そうした精力的で無駄のない動きをみると、富子はもともと蓄財の才能に
恵まれていたのかもしれません。

もっとも富子の名誉のために付言しておけば、飢饉・災害が頻発した
当時の社会のニーズに応えたものか、この頃には「女性金融業者」?が
少なからず存在していました。 
ですから、「金儲け」?に精を出していた女性はなにも富子一人というわけ
ではなかったのですが、「(将軍)御台所」ともなれば、そのスケールは
他者とは比べ物になりません。
現在の価値に直せば、数十億円(一説には60億円?70億円?)ともいわれる
蓄財に、それこそ一生懸命になっていたわけです。

そうした妻・富子も、夫・義政が自分の道楽資金を捻出するために増税に
踏み切ったことを十分に承知していたハズですから、普通に考えるなら、
そこはそれ夫婦のよしみで自分の莫大な財産で幾分かの手助けをして
やればよさそうに思えるところです。
しかしこの夫婦にはそうした気分が育っていませんでした。
それどころか、富子と「ひとつ屋根の下に住む」ことを嫌う義政は、後に、
富子を避けてわざわざ引っ越しまで決行したくらいです。 

将軍(夫・義政)と御台所(妻・富子)のこうしたライフスタイル?に、多くの
人がこんな感想を漏らしても不思議ではありません。
〜夫婦揃って、なんちゅう身勝手で「ジコチュー」なのだッ!〜
ちなみに、ここでいう「ジコチュー」とは焼酎の銘柄ではなく、あくまでも
「自己中心的」、要するに自分勝手という意味ですヨ。

政治のトップにあるものがこの按配ですから、下の者だってやりたい放題を
したくもなります。
仮にやったところで、それを取り締まる役目の政府(幕府)自体がすでに
機能不全に陥っており、またそのトップ自身も放任路線?を堅守している
のですから、つまりは「やり得」ということになります。

かくして国中の者が「やり得」を狙う時代、いわゆる「戦国時代」になだれ
込んでいくことになります。
その意味でも、後継将軍を決定できずにひたすら「政治」から逃避した
義政の「無責任の罪」?は決して小さいものではありません。

また敵味方の区別なくその「軍資金」?を支えた富子の行動も、結果的に
「応仁の乱」を長引かせる一因になったのですから同様です。
要するに、この夫婦は夫婦でありながら、あらゆる面で歯車の噛み合う
ところがなく、双方が全く別の視界の中にいたということになるのかも
しれません。

ちなみに、将軍代数ばかりに目を奪われると割合に気付きにくいことですが、
夫・義政の血筋はこうなります。
○祖父/第3代将軍・足利義満(1358-1408年)
  政治面では辣腕を発揮し南北朝を合一させたたばかりか、経済面では
  「日本国王」を名乗るや貿易で莫大な利益をあげ、文化面ではいわゆる
  「金閣寺」(もともとは政治堂)を建設。
○父親/第6代将軍・足利義教(1394-1441年)
  「万人恐怖」と言われるほどに強圧的な姿勢で臨んだワンマン政治家で、
  それがために暗殺(嘉吉の乱)に倒れた。

つまり、室町幕府の歴代将軍の中でも、特筆すべき政治力を発揮した
3代・義満の「孫」であり、6代・義教の「子」であるということですが、こうした
爺チャン・父チャンの偉大な実績に比べると、義政の政治かとしての行動は
かなり見劣りがします。
そればかりでなく、さらには肝心の室町幕府そのものの求心力を大きく低下
させてしまっています。

その意味では、ずっと後の江戸期に作られた川柳にピッタリ当てはまる
のかも。 〜売り家と唐様で書く三代目〜
※努力して築き上げた家産も孫の代になると遊び暮らして使い果たし、
ついには家まで売りに出すようになるが、その「売り家」札の筆跡は
しゃれた唐様の書体になっている。

そうした「売り家」を持っていない筆者ですが、常日頃他人様からは、
〜「売り家」はなくとも、そのイケ面が充分に「ウリ」になっているッ!〜
こう言われているのですねぇ、お陰様で。


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