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zoom RSS 日本史の「ツッパリ」21 臨機応変それとも右往左往?

<<   作成日時 : 2018/03/15 00:01   >>

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ペリー代将が率いるアメリカ海軍による、いわゆる「黒船来航」(1853年)から、
それ以降「明治維新」に至るまでの期間(約15年)を、一般的に「幕末」
(江戸幕府の末期)と呼んでいます。
一口に言えば、「江戸幕府」の在り方を巡り、政治的にも社会的にも大きな
混乱が生じた時期でした。

〜泰平の眠りを覚ます上喜撰 たつた四杯で夜も眠れず〜
「黒船来航」の際に詠まれたこの有名な狂歌にある上喜撰(じょうきせん)とは
お茶の銘柄を指していながら、実は「蒸気船」の意味も掛けた言葉になって
います。
ただ、この狂歌からはなんとなく「黒船はいきなり来航してきた」との印象を
持ちやすいのですが、実際にはその前段として数多の経緯がありました。

そうした「前段」を遡ればキリがありません。
そこで、ペリーの「黒船来航」より45年ほど前に長崎出島で起きた
「フェートン号事件」(1808年)以降に絞りますが、その期間だけでも鎖国
日本に対する外国からのアプローチには結構活発なものがあったのです。

ちなみに「フェートン号事件」に触れておけば、こうなります。
オランダ国旗を掲げて正体を隠したイギリス軍艦「フェートン号」(帆船)が、
長崎港に侵入するや、突如オランダ商館員2名を人質に取って日本側に
飲料水・食料・薪などを要求し、これに屈した日本側を尻目にまんまと
トンズラに成功したという、なんともとんでもない事件でした。
このことで面目を丸つぶれの事態を演じたのは、軍事政権である「江戸幕府」
でした。

その「フェートン号事件」の悪夢が冷めやらぬ十数年後、幕府はまたまた
こんな驚愕の実態を把握します。
〜数年前から水戸の漁民たちが、沖合で操業する欧米捕鯨船の乗組員たちと
  物々交換を続けていた〜

事態を重く受け止めた幕府の調査は大掛かりなものに発展し、最終的に
その取り調べの対象は300人余りに及んだとされています。
 
〜幕府をナメとりゃせんかッ! 鎖国堅持の政策が完全に無視されとるッ!〜
そこで、すぐさま「異国船打払令」※(1825年)です。
※外国船打払令/無二念打払令/文政の打払令/とも。

〜えぇか、これからは我が国に接近する外国船は、ああじゃこうじゃと余分な
  忖度?は必要なし! 見つけ次第砲撃して追い払えッ!
  またひょっこり上陸した外国人は、これも「忖度」?抜きで逮捕せよッ!〜

要するに、ちょこまかと出没するうっとうしい外国(船・人)に対しては、
それなりに断固とした姿勢で臨むことを決意したわけです。

ですから、当事者「幕府」自身はこの対応を「臨機応変」と自画自賛して
いたことでしょう。
ところが、これ以降の外国に対する幕府の姿勢には、実のところ一貫性が
あったようには見えませんから、むしろ「右往左往」との評価の方が適切だった
のかもしれません。

そうしたさなかに日本へやって来たのがアメリカ商船「モリソン号」(1837年)
でした。 ところが、その姿を見せた鹿児島湾でも、また浦賀でも砲撃を受け、
結局ほうほうの体で退散せざるを得ませんでした。
問答無用、忖度抜きの「異国船打払令」の成果です。

ところが、この「モリソン号」は友好の意を示そうとわざわざ艦砲を撤去して
いた上に、母国へ返還するために日本人漂流者7人を乗り込ませていた
のです。
シラを切っていたものの、1年ほど経つと、そうした経緯は世間にも知れる
ところとなり、この時の幕府の対応が批判を受けました。

その直後のこと、今度は隣国・中国(清)で「(第一次)アヘン戦争」
(1840-1842年)の勃発です。 あっちゃー!
これは、清に対するアヘン密売で巨利を得ていたイギリスと、国民を守る
ために国内にアヘンを持ちこませまいとする清国との間の戦争でしたが、
結局のところ、武器に劣る清国はボッコボコにやられてしまい、挙句に
香港を割譲させられるなど、メッチャ不平等な条約締結に追い込まれて
います。

こうした経緯は長崎に入港するオランダや清の商人を通じて、日本にも
伝えられました。
その驚愕の現実にビビってしまったのが幕府です。
〜今回の清国も、はたまた思い起こせば30数年前の我が国の「フェートン号
  事件」もその通りだった、外国なぞは礼儀もわきまえぬ乱暴狼藉者ゆえ、
  確かに無条件「異国船打払令」ではちょっとばかり拙いかもしれん〜

礼儀をわきまえないという点は、闇雲な「異国船打払令」を現に運用して
いる幕府にもバッチリ当てはまっているのですが。


黒船来航55 アヘン戦争51






黒船来航(1853年)/第一次アヘン戦争(1840-1842年)


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そこで幕府は、急遽新しい政策を打ち出しました。
それが、その年に出された「天保の薪水給与令」(1842年)です。
〜遭難した外国船に限っては、必要な食料・水・薪などを与えてもいいことに
  しよう。 ただし念のために申し添えるが、こうした手を差し伸べるのは
  幕府の人道上の慈悲であり、決して開国を意図したものではないのだゾ〜

これを、「清国」の二の舞だけは避けたい一心の臨機応変の対応と評価
すべきか、あるいは右往左往?の極みと見るべきか、その辺はよく分かり
ませんが、ともかく十数年前に定めた「異国船打払令」を引っ込めました。

ところがその後にも、幕府は事件?に遭遇します。
オランダ国王から、幕府宛にこんな国書(1844年)が届いたのです。
〜オランダ国と日本の200年来の友好を思うと、どうにも黙ってはおられず
  筆を取りました〜
 最初にこう断っています。
もっとも実際に手に取った筆記用具は「筆」ではなく、「羽根ペン」だったかも
しれませんが・・・そこはそれ、言葉のアヤですヨ。

〜近年、イギリスに敗戦した清国が五港を開港されられた通り、あまり
  ツッパリを続けていると日本にも同様な災難が予想されます。
  ですから「鎖国」に拘り過ぎることなく外国に対する制限を緩めるべきと
  考えます。 それに今やちょい前にはなかった蒸気船が行き来する
  新時代となっているのですから、それを思えばなおさらです〜

実に適切であり、また痒いところに手が届いた親切なアドバイスです。

この親切に対する日本側の返事がこれ。
〜お手紙は確かに受け取りました。 しかし、日本は祖法に従って貴国と
  交易しているだけのことですから、貴国と正式な国交を結ぶことも考えて
  おりませぬ。 ほっともっと(違った!)、よってもって今後はかような
  お節介は止めていただきたいと思うところです〜

清国の二の舞になる可能性を考慮することもなく、無礼極まりない態度を
見せたのです。

こうしたツッパリ姿勢はさらに続きました。
「オランダ国王」の国書が届いた二年後(1846年)のこと、アメリカ政府から
また使節が派遣されたのです。
この時の代表・ビッドル提督は、どうやら大統領から強く言い含められていた
ようです。
〜えぇか、我々の目的は日本と対等な友好関係を結ぶことにあるのだから、
  くれぐれもイギリスのような武力で脅すがごとき振る舞いはするでないゾ。 
  徹底的に穏やかに、かつまた片時たりとも隠忍自重の精神を忘れないで
  対応してくれ。 人間辛抱だッ、えぇか相分かったな〜


ビッドル提督は、この大統領の意向を固く守り抜きました。
交渉自体はジャブの応酬に留まりましたが、この時、ひょんな間違いから
武士の一人がビットル提督を殴るという事件を起こしています。
下級武士が外国の特使に暴力をふるう・・・本来なら戦争に発展しかねない
大事件でしたが、この時のビットル提督はグッと我慢しました。
大統領から釘を刺されていたからです。

しかし、日本側のこの無礼に対しては、アメリカ政府はともかく、国民世論の
方は遠慮なしに怒り心頭の反応を示しました。
そうした流れをしっかり見極めた人間の一人に、軍人・ペリー代将がいました。 
ペリーは大統領に直訴しました。
〜暗礁に乗り上げている対日交渉をこの私にやらせてください。
  私ならきっと成功させましょうゾ〜


こうした経緯を踏んでやって来たのが、最初の「黒船来航」(1853年)だった
ということになります。
ビッドル提督に倣った紳士的交渉では、とても埒が明くものではないと
踏んでいたペリー代将は、その真逆の高圧的な態度をもって日本側との
交渉に臨みました。

こうなると、幕府とて七年前のビッドル提督の時とは全く違った対応をせざる
を得ません。
紳士的な者には強気で臨み、強圧的な輩にはへりくだる・・・まことに臨機応変
というべきか右往左往というべきか、早い話が、このペリー代将に対しては
「腰砕け」になってしまったのです。
翌年の二度目の「黒船来航」(1854年)以降の、いわゆる「幕末」の動乱に
ついては、皆さまご存知の通り。

それにしても、つらつら我が身を顧みると、筆者自身も江戸幕府のDNAを
確実に引き継いだ現代日本人の一人ということになるのかもしれません。
〜弱いヤツと見極めれば上から目線で臨み、強い方だと判断された場合は
 ヘイコラも厭わない〜
 それこそ臨機応変な態度を貫いているからです。

実はこの点については、周囲の皆様から、決して「臨機応変」ではなく、
はたまた「右往左往」でもなく、要するに「支離滅裂」こそがピッタリの表現で
あるとのお褒めの言葉を頂いているくらいのものです。



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