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zoom RSS 日本史の「災難」10 世界の果てまでワープする

<<   作成日時 : 2018/02/25 00:01   >>

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イギリスの支配から独立(1776年)を成し遂げたアメリカ合衆国は、当初
大陸の大西洋側(東海岸)のみだった国土を、その後西へ西へと拡張に
努めることで、1848年にはカリフォルニアなどを獲得し、遂に太平洋側
(西海岸)まで達する広大な国土を保有するようになりました。

要するに、国土の東側では大西洋を、西側では太平洋を利用できるように
なったことを意味しています。
その点、イギリスなど当時の先進ヨーロッパ諸国にとっての海は、相変わらず
大西洋に限られていたため、アジアを目指そうとするなら、大西洋から南半球
に位置するアフリカの南端・喜望峰を迂回しなければなりませんでした。

念のためですが、その近道として地中海と紅海を直結した「スエズ運河」
開通したのが1869年で、大西洋と太平洋を結ぶ「パナマ運河」はさらに半世紀
ほど後の1914年のことですから、この頃はまだ誕生していません。
要するに、ヨーロッパ諸国がアジアを目指そうとするなら大変な遠回りを
強いられるわけで、早い話がメッチャ遠い地域だったということになります。

その証拠に、イギリスから東方地域を指すこんな言葉が生まれています。
近い順に近東(Near East)/中東(Middle East)/極東(Far East)。
「近東」とは現在のエジプト・トルコあたりの地域を指し、
「中東」とはもう少し遠くインド以西の西アジアとアフリカ北東部一帯を、
そして「極東」とは、それよりもさらに遠い現在の中国の中央部から東の地域
を指していました。

ですから、中国北京や、あるいは台湾、朝鮮半島、日本などはひっくるめて
この「極東」(Far East)と呼ばれていたことになります。
感覚的には「世界の果ての果て」といったところだったのでしょう。
しかし、新国家・アメリカ合衆国にとっては、太平洋岸を入手したことで、
その「極東」こそが、アジアの入口になったことになります。

なぜなら、西海岸から船出し太平洋を一直線に進めば、そこがもう「極東」です
から、「世界の果て」どころかむしろ「お隣サン」と言いたいくらいのものです。

そのことは、下の二枚の世界地図を見比べてみると一目瞭然。
A図は中央にイギリスを配置した世界地図です。
「極東」を目指せば、アフリカ大陸南端の喜望峰を経由しなければならない
ため、それはそれは大変な遠回りになります。

もっとも、この図ではアメリカと「極東」の位置関係も同様に分かりにくい
ところもあるので、その「極東」を中央に配したB図にしてみると、このことが
歴然と分かります。
〜ヨーロッパから「極東」への航路は遠回りでやっぱり「Far East」のままだが、
  アメリカ西海岸からなら太平洋を一直線に進むだけ〜

SF用語なら、ヨーロッパ諸国には不可能な「ワープ/warp」(超光速航法)を
アメリカだけが身につけたことになります。

ただ、その太平洋はやたらと広い。
自由自在に往来しようとするなら、仮に帆船を使ったとしても、乗組員や
調理のための薪水・食料などの補給は必用不可欠ですし、まして、この頃
主流になりつつあった蒸気船なら燃料補給も欠かせません。
それに、当時のアメリカは広く太平洋を漁場とした「捕鯨」が盛んだったという
事情も重なって、つまりどちらにしても「補給基地」を必要としたわけです。

そこで、そのアメリカが「補給基地」として目を付けたのが「日本」でした。
太平洋経由ならアメリカから一番近いところにある上に、もう少し北の
サハリンほど極寒でもないために港が凍ってしまうリスクも低い。
〜こりゃあ良いところに目を付けたワイ・・・ただ鎖国堅持に拘っているそう
  だから、まずは開国してもらわなくっちゃッ!〜

早速のこと、そのアプローチが始まります。

では、その「補給基地」候補地になった当の日本は目の前に広がる
その「海」をどう捉えていたものか?
おそらくは、「鎖国政策」の維持継続に有利な「天然の巨大な外堀」ほどの
意識を超えることはなかったのでしょう。
少なくとも、諸外国が受け止めていたように「外国(国際)航路」だとは
考えていなかったフシがあります。

世界地図41 









  <A図> ヨーロッパを中央に配した世界地図

世界地図31










  <B図> 日本を中央に配した世界地図

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その証拠に、目の前に広がる大海を自由自在に行き来できる船を造ろう
とはしませんでした。
そうした大型船を建造するだけの技術がなかったわけではありません。
現に、「慶長遣欧使節」(1613年)の派遣の折、伊達政宗が建造させた
帆船は外国船並みの構造を備え、太平洋横断だって、ちゃんと成功させて
います。

ですから、逆に言えば、鎖国政策を支える法令「大船建造の禁」(1635年)を
徹底させるために、造船技術を封印してしまったわけですが、こうなると、
遠洋へ出向くだけの性能を持つ船自体が既に「法律違反」ですから、
造船技術の方も昔ながらのいわゆる「帆掛け船」(和船)型を基本にせざるを
得ません。
ということは、当時の日本人にとって、海とは「沿岸部」のことに過ぎないわけ
で、その彼方から海(太平洋)を渡って、わざわざ「外国(船・人)」がやってくる
なんてことは、まったくの「絵空事」に過ぎないという受け止めになります。
〜広大な海に囲まれた我が国土に、わざわざやってくるような酔狂な外国が
  あろうなんてバカげた空想より、ともかくは鎖国貫徹の遵守が大切ッ!〜


ところが実は、幕府のこうした平和ボケ姿勢に警鐘を鳴らす提言がなかった
わけでもありません。
〜江戸の日本橋より、唐・阿蘭陀まで境なしの水路なり〜
(海というものは、江戸から遥か遠くの中国やオランダへひと続きになって
 いますによって海防政策の見直は我が国にとって目下の急務ですゾ)
経世論家(社会思想家?)・林子平(1738-1793年)が軍事書「海国兵談」
(1791年)の中で使った言葉です。

政策批判とも受け取れるこの意見にカチンときた幕府は、これを没収した
ばかりか著者・子平をも罰したのですが、ところがその翌年(1972年)のこと、
子平の予言?は早々に現実のものになりました。
国交樹立の希望を伝えにロシアの使節団が来航したのです。

これ以後は、ロシア・イギリス・アメリカ・フランスなど諸外国からの日本訪問が
引きも切らず続くことになります。 その目的はミナさん同じ。
〜日本を開国(条約締結)させ、自国とのお付き合いを希望する〜ものでした。
しかし「鎖国堅持」しか頭にない幕府は、これらの打診をことごとく無視し、
テコでも動かない頑迷な姿勢を崩そうとはしません。

こうして頑迷日本が「鎖国」に拘っている間に、外国では「蒸気機関」
発明(1769年)されたばかりか、それを動力にした「蒸気船」の実用化
(1807年)をも成功させています。
従来の帆船にはない、強力なパワーを備え、しかも速くて大型の、それこそ
「前代未聞」の船舶が誕生したわけですから、こりゃあもう画期的な出来事
でした。
「時代が変わった」って、こういう時に使う言葉かもしれません。

以後急速な勢いで「蒸気船」は増加し、それに伴い海や世界を相対的に
狭いものにしていきましたが、折も折、同じ「極東」に位置する清国(中国)
では、イギリス相手の「アヘン戦争」(1840-1842年)でボッコボコにやられて、
領土の一部を割譲するという事態が起こっていました。

この現実を憂慮したのが、日本とは200年に渡るお付き合いを続けていた
オランダで、国王自ら幕府に国書(1844年)を送り、開国を勧めています。
〜近年清国はイギリス軍によってメッチャ蹂躙されましたが、同じ災難を
  被らないためにも貴国は開国も視野に入れるべきです。
  なにせ、今やハイテクな「蒸気船」が大いなる活動をしているのですから、
  「時代は変わった」としか言いようがありませんゾ〜


ところが幕府はこの親切なアドバイスに対して「ゼロ回答」?で突き返して
います。
〜アドバイスには御礼申し上げますが、我が国は従来からの成り行きが
  あって、貴国とお付き合いをしているだけのことですから、今後このような
  お節介は差し控えていただきたい、悪しからずネ〜


既に議会を持ち新聞という情報手段を当たり前のものとしていたアメリカは、
このあたりの経緯もそれなりに把握していたことでしょう。
日本に向けた従来のアプローチがことごとく拒否され続けたこともあって、
そこでこの蒸気船を有効活用することを思い立ちます。
アイデアの主はマシュー・G・ペリー海軍代将(1794-1858年)でした。

〜頑迷幕府の態度を軟化させるためには「時代が変わった」ことの動かぬ
  証拠として「蒸気船」を見せつけるべきであり、また日本に対する態度も
  これまでのような紳士的なものから「上から目線」に切り替えるべきだ〜

いわば「カルチャーショック療法」?を選択したわけです。

ペリー代将の狙いはバッチリ当たり、頑迷な幕府も、
〜泰平の眠りを覚ます上喜撰(蒸気船) たった四杯で夜も眠れず〜
アメリカに対して開国を巡る攻防に屈したことで、遂に「開国」に至ったの
ですが、その後は雪崩を打つように諸外国との国交を結ぶハメになりました。
鎖国の放棄・・・日本にとっては、こちらの方が「災難」だったかもしれません。

ともかく、「極東」の島国を最初に開国させたのは、結果的にその国土が
大西洋と太平洋の両方に面しているアメリカ合衆国だったというわけです。
二つの太洋に面するという地政学的な優位さは、その後において、
アメリカ合衆国を世界一の経済大国に押し上げ現在に至っています。

そうすると、世界地図もC図のように、アメリカを中心としたものの方が
分かりやすいのかもしれません。

世界地図アメリカ51










  <C図> アメリカを中央に配した世界地図

もっともこの世界地図だと、日本は「極東」どころか「極西」になりそうですが・・・
〜「極東」も「極西」もイヤじゃ、ワタシャやっぱり真ン中がいい〜
ということなのか、中央部に日本を置いた中段B図の「世界地図」を使うのが、
「極東」日本では暗黙の御作法になっているようです。



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