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zoom RSS 日本史の「忘れ物」26 人口僅少時代に巻き戻す

<<   作成日時 : 2018/01/05 00:01   >>

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「小人閑居して不善をなす」・・・小人物(つまらぬ人間)がヒマを持て余すと、
とかく悪事に走りやすい、という意味です。
ところが、確かに「小人物」に違いないけど、筆者の場合は「不善をなす」
どころか、そのヒマを逆利用して人口の変遷、少し堅苦しい言葉なら
「人口動態」、これに目を配ってみました。 褒めてやってください。

さて「人口動態予測」は他にもたくさんのデータがあるようですが、そんな
中でも、とりわけ切りがよくて分かりやすい数字に出くわしました。
たまたま目にした国土交通省などによる参考データによれば、
日本の人口推移は、
○西暦1900年(明治33年)頃には、 →→→約 5,000万人
○西暦2000年(上の100年後)頃には、→→約12,000万人
○西暦2100年(そのまた100年後)頃には、 約 5,000万人

要するに、西暦2000年を挟んでそれより以前の百年間で人口が7,000万人
増え、その間に増えた分7,000万人を以降の百年間でそっくり「お返し」する
カタチになるとの予測です。
見事過ぎるほどの「逆V字」型変動でインパクトのある数字になっています。

この尋常でない「先細り」予想に少々の驚きを感じたせいでしょうか、ふと
過去の“総人口”が気になりました。 たとえばこんな具合。
〜だったら、総人口が現在の1/10程度の時代は一体どんな社会だった
  のだろうか?〜
 

面白いことに(別に面白くないかもしれんが)、これがちょうど「戦国時代」
(16世紀頃)の時期に当たっています。
早い話が、この頃の“総人口”が1,200万人程度ということですが、そんな
中でも例えば「関ヶ原の戦い」(1600年)の動員兵力に注目してみると、
〜東軍88,000人VS西軍85,000人〜
これを「現代感覚」?で捉え直すならその10倍、つまり
〜東軍88万人VS西軍85万人〜
これくらいの武力衝突だったとの受け止めができることになります。
〜ふえぇ、なんてモノ凄い合戦だったのだ! 「天下分け目の戦」という
  ニックネーム?もあながち大げさなものではないッ!〜


もちろん、双方の動員兵力の公式発表?には少なからず誇張もある
のでしょうが、それにしても驚きの数字です。
当時の総人口に対するこの戦闘員数の割合を思えば、なるほど
「戦国時代」という名称も確かに的を射ている、と妙に納得してしまいます。

さらに、その後の「大坂冬の陣」(1614年)ともなると、ただしこの頃は
既に「江戸幕府」(1603〜1868年)が創設されているので、厳密には
「江戸時代」の出来事になりますが、大雑把な数字ながら、攻め手の
徳川方の兵力が20万人、守り手の豊臣方が9万人とされています。
これも現代感覚」?に直すなら徳川方200万人であり、豊臣方90万人と
いうお話です。 〜ふえぇ、なんてモノ凄い合戦だったのだ!〜

総人口「1/10」時代はそこまでとして、「ふえぇ!」のついでにもう少し遡って
みることにしました。
では「1/20」時代、つまり総人口600万人時代はいつ頃になるのか?
これは9世紀頃(平安時代/794-1185年頃)のことになるそうです。

その時代をピンポイントで特定できないものの、藤原良房(804-872年)が
人臣初の「摂政」に、あるいは藤原基経(836-891年)が史上初の
「関白」に就いたりした頃のことでしょうか。
ちなみに「摂政」(政を摂る/まつりごとをとる)とは、天皇の後見人?
代理人?もどきの役職であり、「関白」(関り白す/あずかりもうす)
とは天皇のアドバイザー?もどきの役職をいいます。

ですから、こうしたいわゆる「摂関政治」が胎動し始め、逆にいうなら
天皇家の権力に陰りが出始めた時代のことと言っていいのかもしれません。 
〜ウーン、総人口600万人時代が「摂関政治」の始まりなのか!〜

関ヶ原の戦い51 ヒミコ安田画伯51









関ヶ原の戦い(1600年)/邪馬台国女王・卑弥呼

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ついでのことに、もう少しヒツコク遡ってみましょう。
この手の作業はまことに「小人閑居」向きのもので、威張るつもりはあり
ませんが、並みの忙しさに追われる人には到底できることでもありません。

では、その先。 おそらくは、総人口はさらに少なかったはずです。
藤原摂関政治の初期が、人口「1/20」時代だとしたら、さらにその1/10の
総人口が現在の「1/200」、つまり60万人時代はいつの頃なのか?

その頃にはまだ「国勢調査」は開始されていませんから、これもあくまでも
推定になるようですが、どうやらあの有名な邪馬台国・女王「卑弥呼」
(?-248年?)の時代の少し前あたりという見方もあるようです。

そこで、「魏志倭人伝」(3世紀末)にあるこの記事、
〜約30の国からなる倭国では長期間にわたる騒乱が起きていた〜
この内容を素直に受け入れるなら、
〜60万人ほどの人間が約30の国に分かれて住んでいた〜という解釈も
できるわけです。

そうすると、この「魏志倭人伝」にある次の記事などはいささか疑問に
感じられるところです。 たとえば、
〜南へ水行20日で投馬国に至る。長官は彌彌(みみ)、副官は
  彌彌那利(みみなり)である。推計5万戸余〜


なにッ!投馬国一国だけで「推計五万戸余」!
ということは、その投馬国の人口は?
そこに居住する者が仮に核家族?だとしても10万人、夫婦と子供2人の
標準世帯?とするなら20万人、ひょっこり三世代同居の爺婆+夫婦+
子供2人の計6人家族と考えたら、総計なんと30万人。 
この時代の人口「推計60万人」のうちの半分がこの投馬国一国に集中
していたというのか!

これらの「推計」がどのようになされたかは知りませんが、だとすれば、
「投馬国五万戸余」か「総人口60万人」のどちらかが、あるいは両方が
間違っていることになりそうです。

ややこしい話になってきたので、その辺はサッパリとうっちゃりをかませ、
さらにひつこく遡ってみると、こんな数字も。
〜縄文時代※の人口は、縄文早期の2万人から縄文中期の最盛期の
  26万1千人まで順調に増加したが、縄文中期を過ぎると反転し急激に
  落ち込み、縄文後期は16万人、縄文晩期は7万6千人まで減少した〜
(鬼頭宏著「人口から読む日本の歴史」)
ちなみに、この「縄文時代」とは一般的には、
〜約1万5,000年前から約2,300年前〜とのことで、要するに
〜紀元前145世紀頃から前10世紀頃まで〜を指しているようです。
ふえぇ、なんちゅう長い時代区分なのだッ!

さて、この説に従えば、人口2万人つまり総人口「1/6000」時代は
「縄文早期」ということになります。
面白いのは、こうした「縄文期」にも現代と同じような「逆V字」もどきの
人口激減があったと推測されていることで、その原因としては気候変動に
よる食物不足とか、大陸から渡ってきた人々による新しい「病気」の影響
(免疫の有無?)などが考えられるとされています。

こうしたマクロな視点で眺めてみると、メッチャ大昔の「考古(学)時代」?は
別として、いわゆる「歴史時代」に入ってからの日本列島民族の総人口は
概ね「右肩上がり」で推移してきたことが分かります。
ところが、冒頭のように西暦2000年頃を境として、以降はどんどん「人口減少」
の傾向をたどる運命にあるとのお話になっているわけです。

そういえば、昨々2016年の出生数は初めて100万人割れだったそうですし、
先日のニュースでは、昨2017年はこの数字が最少を更新して、なんと
「94万人余」の予想・・・この数字はピークだった「269万人余」(1949年)の
約1/3です。
こうなると、日本民族が「絶滅危惧種」?に指定される日もそうそう遠くない
のかもしれません。

つい数十年前は「産めよ殖やせよ」だったのに、その数十年後には
「絶滅危惧種」だってか?
これもまた、見事過ぎるほど「逆V字」型の変化になるわけで、昨今の
日本のせわしなさは、こうした数字からも容易に読み取れるということ
です。
しかしながら、こうした忙しさが備わっていれば間違っても「小人閑居して
不善をなす」ってことにはならないだろうから、まぁえぇか。



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