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zoom RSS 日本史の「信仰」09 恐怖が生んだ身分詐称?

<<   作成日時 : 2017/12/05 00:01   >>

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平安京を開いたことでも有名な第50代・桓武天皇(737-806年)の同母弟に、
一回りほど齢の違う「早良親王」(さわら/750-785年)という方がいました。
共に第49代・光仁天皇(709-782年)の息子です。
天皇家の慣習に詳しくない方もおられましょうから、念のためですが、
年下が「弟」・・・この辺の扱いは天皇家であろうが庶民階級であろうが
そんなに違いはありません。

早良皇子は今なら「小学生」くらいの年齢で出家しています。
グ〜ンと年上の兄ちゃん(桓武)がいたために、皇位継承にはほとんど
無縁の立場でしたから、これも特段不自然な行動ではありません。
家長である兄ちゃんの元にあれば、いわゆる「部屋住み」の立場になり、
なにかと肩身の狭い思いもしなければならないからです。

ところが、「桓武」の即位にあたり「早良」は父・光仁の勧めに従って
還俗しました。 した、というより、させられた?と言うべきかもしれません。
(桓武45歳/早良32歳)
少し大げさにいうなら、「仏の世界」から「人間の世界」へのUターンを
強要?されたということです。

父・光仁はこんな考えがあったのでしょう。
〜近頃は寺社勢力の扱いにも微妙なものがあって、これを上手くコントロール
  するには、寺社方面に何かと顔の効く「早良」を手元に置くのがベストの
  方法・・・桓武と早良の二人三脚なら、ワシとてちょっとは安心〜

といったところでしょうか。

それに、もう一つ。
この頃既に齢45に達していた桓武の息子で、その後継者と目されていた
「安殿(あて)親王」※が、まだ小学生?の年齢だったことです。
当時としてはすでに「高齢者」と呼べる年齢に差し掛かっていた桓武が
ひょっこり亡くなろうものなら、後継・安殿が幼いだけに、その「政権運営」に
一抹の不安を感じます。 ※後の第51代「平城天皇」(774-824年)

ですから父・光仁は、その万一を考慮し、年齢的にも緊急登板が可能な
早良を手元に置いておきたかったということかもしれません。 
いわば「保険」であり、「つなぎ役」です。
それにどうやら早良は、仏の世界を経験したせいなのか、生涯独身?だった
ようで、その点でも安心感があったのでしょう。
一旦リリーフを任せたとしても、リリーフ早良に息子がいなければ、
その後の皇位は間違いなく桓武の息子「安殿」に戻ってくるからです。

ところがギッチョン! 
事態は父・光仁の思惑通りには運びませんでした。 なぜなら父・光仁の
配慮は桓武にとっては「うっとうしい」ものだったからです。
〜皇位はダイレクトに安殿に継承させればいいのであって、「リリーフ早良」の
  準備なぞはまったく不要なことだがね〜

権力者にとっては、仮に一瞬であっても「権力を手放す」ことは、
「もう我が手に戻ってこない、のではないか」・・・こんな疑心暗鬼にも
つながり、最も不安なことだと言っていいのでしょう。

そこで、導かれる結論は、
〜父ちゃん(父・光仁)の勧めに従ったものの、ワシら(桓武と安殿)に
  とっては、早良はオジャマ虫じゃわい〜

そこで、早々に安殿を立太子することにして、次にはその「オジャマ虫」の
駆除?を思案することになるわけです。

崇道天皇社51 桓武天皇01







崇道天皇社(早良親王)奈良市/第50代・桓武天皇

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さて、桓武49歳、早良36歳、安殿12歳の785年のこと。
実際には桓武側のデッチ上げによる「冤罪」だったと思われますが、桓武は
この時起こった「政府要人(藤原種継)暗殺事件」に関して、早良の関与が
あったとして幽閉することにしました。 桓武の行動開始です。

身に覚えのない早良は、これに対して抗議の絶食に及び、己の潔白・無実を
訴えたのですが、配流の道中で死亡してしまいます。
口卑しいアナタなぞは、一回食事を抜いただけでも悲鳴を上げるに違いあり
ませんが、その辛い「ハンガー・ストライキ」を死に至るまで続けたのですから、
桓武に対する早良の「憤り」が半端なものではなかったということがよく
わかります。

桓武としても、「オジャマ虫」の駆除?は「島流し」程度のことで事足りると
踏んでいたでしょうから、この思わぬ結末にはビックリだけでなく、相当な
「後味の悪さ」を味わったはずです。
ところが、お話は「後味の悪さ」だけは済みませんでした。

桓武の周辺に大きな災いが、それも続けざまに降りかかってきたのです。
3年後の788年、夫人(ぶにん)※の藤原旅子が亡くなり、790年には母の
高野新笠、皇后の藤原乙牟漏が相次いで死去。
※天皇の后妃の身位で、皇后・妃に次ぐ地位

さらには、早良を無理やり排除してまで皇太子に据えた息子の安殿が
なにかと病気がちで、しゃっきりした体調を維持できない。
ここに至って、桓武は憤死させちゃった「早良のタタリ」を疑い始めます。
要するに、身の回りでこうまで不幸が連続するのは、怨霊となった「早良」の
報復(タタリ)ではないか、ということです。

そこで陰陽師に頼ると、
〜えぇ間違いおませんでぇ。 精密検査?の結果、一連のご不幸は
  ご自身が推察されていた通りに「早良親王のタタリ」と出ました〜

あっちゃー、万事窮す。

人間相手なら、和解するためにいろいろな方法も考えられますが、
相手が「怨霊」ともなれば、それこそ「相手が悪い」。
そこで、必死の思いで「早良の怨霊」の慰撫に努めることになります。
こんなところで「手抜き」をしたのでは、今度は自分がそのターゲットに
されるかもしれないという恐怖心も手伝って桓武とて必死です。
〜なまじの方法では、怨霊・早良をなだめることはできゃあせん〜

こう判断した桓武は、天皇未経験の早良に、なんと「天皇追号」をしたのです。
「崇道(すどう)天皇」がそれです。
〜ことが穏やかに推移していたら、早良とて父ちゃん(光仁天皇)がプランして
  いたように、やっぱり「リリーフ天皇になっていたかもしれない・・・それを、
  このオレがポシャにしてしまった〜

つまりは、罪をデッチ上げた桓武の、早良に対する贖罪、謝罪の意味を
込めたものだったのでしょう。

この時の桓武が抱いた「恐怖心」の大きさは、ひょっとしたら、804年の
「遣唐使」にも現れているのかもしれません。
最澄サン(後に伝教大師)・空海サン(後に弘法大師)が参加したそれです。
〜我が天皇家を「しつこい(早良)怨霊」から守り切るためには、念には念を
  入れて、最新の仏教パワーも備えておく必要があるかもだ〜


一般住宅でさえ、「泥棒」除けには念のために二重ロックにすることを
考えれば、桓武の発想はあながち不自然なものでもありません。
なにせ、相手は「泥棒人間」ならぬ、人知を超越した存在「怨霊」なのです
から。
〜早うに怨霊封じの秘術を会得し、一刻も早うに帰国してくれればいいの
  だが・・・遣唐僧よ、ワシは首を長うして待っとるぞよ〜


桓武がこうした焦り?をもっていただろうことは、最澄サン・空海サン
留学期間を見ても想像できます。
その他大勢扱いだった空海サンでも、当初20年を予定していた留学期間を
一年ちょっとで切り上げていますし、期待の星・最澄サンに至っては、
それどころか一年に満たない期間で帰国しています。
この慌ただしさは、桓武からせっつかれていたせいだと考えられないわけ
でもありません。

それはともかく、怨霊の仕業?に対する桓武の恐怖心が、一人の「天皇」
(崇道天皇)
を生み出したことは事実です。
しかし、この「崇道天皇」は歴代天皇にはカウントされていません。
生前に即位した事実もないのですから、当然と言えば当然のことですが、
逆の見方をすれば、ある種の「身分詐称」?と言えなくもありません。

〜身分詐称がナンボのもんじゃい! 命を取られるかもしれないと思ったら、
  オマエだって空巣・詐欺・無免許運転くらいは平気でヤルに違いないゾ!〜

たぶん、恐怖に慄く桓武にはこのくらいの言い分があったことでしょう。
ですから、即位もせず歴代天皇にもカウントされない天皇「崇道天皇」は、
怨霊のタタリに対する桓武天皇の恐怖心からに誕生したことになります。

こうした「怨霊信仰」は、当時は「最新科学」?もどきの地位にありました。
しかし、現代では単なる迷信に過ぎないと受け止められています。
ですから、科学が発達した21世紀に生きる現代人なぞは、そうした迷信?に
振り回された桓武の姿を笑っちゃうのかもしれません。
しかし、ドッコイ実はそうもできないのです。

なぜなら、桓武ほどのスケールではないものの、これだけ科学が進歩した
環境にある現代人だって、晴れの行事には「お日柄」を選ぼうとするし、街角の
駐車場では大抵の場合「4」とか「9」の番号を欠番にしているじゃありませんか。
駐車場番号「4番」を避ければ交通事故に合わない、なんて、それこそ正真正銘
の迷信でしょうにねぇ。 21世紀人間を笑っちゃいます・・・ウププのプッ!



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