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zoom RSS 日本史の「逆転」21 イトコ同士の真逆な信念

<<   作成日時 : 2017/09/10 00:01   >>

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戦国の世の最終勝者となり、江戸幕府を開いた徳川家康(1543-1616年)の
子孫にはこんな人たちも混じっていました。
家康→  三男・秀忠→庶子・保科正之(1611-1673年)
家康→十一男・頼房→三男・徳川光圀(1628-1701年)
ここでの保科正之の父“秀忠”と、徳川光圀の父“頼房”とは、24歳離れた
兄弟(共に家康の子)ということですから、要するに正之と光圀は共に家康の孫
であり、両者は17歳違いの「従兄弟(イトコ)」の間柄ということになります。

そして、幕閣経験もあるこの保科正之が会津藩の藩祖、徳川光圀が水戸藩
の第二代、ともに藩主の地位にありました。
現代の知名度としては、ドラマなどで「水戸黄門」としてよく取り上げられる分、
光圀の方が高いのかもしれませんが、それはともかく、面白いことに、実は
この「イトコ同士」の二人は真逆と言っていい信念を持ち合わせていました。

簡単に言うなら、「将軍家絶対」思想に固まった会津藩・正之に対し、
水戸藩・光圀は徳川家中枢の御三家にありながら「天皇家絶対」とする思想
を持っていたわけです。
両者が同じように「権現様(家康)の孫」であって、さらにはともに「将軍家」に
近い位置にいながら、なぜこの二人の信念にはこんなにも大きな乖離が
生まれたのでしょうか?
つまりは、過激な右派?も極端な左派?も同居していたということですから、
その意味では「江戸幕府」という機構自体も案外にフレキシブルでユニーク
な組織だったと言えるのかもしれません。

さて、その正之の場合にはこんな経緯がありました。
三代将軍・家光(1604-1651年)の異母弟に当たり、さらには有能・実直な
人物であったことから、家光は正之を大いに可愛いがり、大きな信頼を
寄せていました。
死の床にあった家光が、この正之をわざわざ枕元まで呼ぶや、こう言い残した
といわれています。 〜将軍家のことは今後もよろしく頼むゾ〜
このことからも、将軍・家光の正之に対する信頼ぶりが半端なものでは
なかったことがうかがい知れます。

将軍から直々に依頼されたのですから、正之もさすがに重く受け止めた
のでしょう。 その思いを込めて定めた家訓(1668年)の第一条がこれ。
〜会津藩たるは将軍家を守護すべき存在であり、藩主が裏切るようなことが
  あれば、家臣は従ってはならない〜

つまり、先の「将軍家絶対」の思想です。

ところが、御三家の立場にありながら、一方の水戸光圀がそうした考え方を
持つことはありませんでした。
祖父・家康が注目した「朱子学」を自ら深く追求していったからです。
〜武力で支配するのは覇者、徳をもって治めるのが王者であり、その正当性は
  モチロン王者にある〜


これを光圀は、こう解釈したようです。 〜王者こそ正義、覇者は悪徳〜
そこには光圀の誤解?があったのかも知れませんが、しかしともかく光圀は、
〜戦に勝利し政権を握った将軍家は覇者、戦なしで権威を保ち続けている
  天皇家は王者〜
 要するにこれを光圀は、
〜将軍家は(水戸徳川家の)親戚頭に過ぎず、天皇家こそが真の主君で
  ある〜

こう受け止めたわけで、これが光圀の「天皇家絶対」の思想(水戸朱子学)の
基盤になりました。

そして、この保科正之(会津松平家)と徳川光圀(水戸徳川家)の思想は歴代の
藩主を通じて、それぞれの家訓・家風として連綿と続いていくことになります。 
そして、時は流れて「幕末」・・・

像保科正之01 像水戸光圀51












会津藩初代藩主・保科正之/水戸藩二代藩主・徳川光圀

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岡目八目風の現代目線で眺めるなら、幕末の両藩は共にこの「家訓・家風」に
苦しんだように見えます。 会津藩の場合ならこうです。
すでに旗本からなる「京都所司代」という組織があったにも拘わらず、
二百数十年ぶりという将軍(14代・家茂)上洛に際し、幕府は新たに
「京都守護職」(京都の治安維持を担当)を設けると、実はこのその役職に
時の会津藩主・松平容保(1836-1893年)に白羽の矢を立てました。

しかし、京都の治安維持はこれまでも歴とした「京都所司代」という組織が
担当してきたはずで、つまりその役目は元々が幕府が担当すべきものであり、
なにも「会津藩」が担う義理はありません。
ですから、これを容保が固辞し続けたのは当然すぎる対応です。
しかし結局、最終的には受諾し(させられ?)ました。 なぜ?

周りからこう言われたからとされています。
〜藩祖・保科正之の「家訓」をお忘れか?〜 この場合の家訓とはつまり、
〜会津藩たるは将軍家を守護すべき存在であり、藩主が裏切るようなことが
  あれば家臣は従ってはならない〜
です。 露骨にいえば、
〜この要請を断るようなら、容保クンよ、アンタは藩祖の遺訓に背く
  ことになり、だったら会津藩主としての資格はないのではないのかェ?〜


一方の水戸徳川家も同様に矛盾を抱えることになりました。
〜将軍家は覇者(悪)、天皇家こそ王者(正)〜
将軍家に最も近い「御三家」という「微妙な立場」にありながら、光圀以来の
この「水戸朱子学」のイデオロギーが幕末維新の、つまりは「親戚頭」である
「将軍家」(幕府)を倒す原動力になっていったからです。

往々にして過激に走るのがイデオロギーの怖さです。
水戸藩もその例外ではありませんでした。
意見をまとめきれない水戸藩内の混乱は、浪士(脱藩)グループによる
大老・井伊直弼暗殺事件いわゆる「桜田門外の変」(1860年)という
「イデオロギーの実践」?にまで突っ込んでいきました。

浪士とは言え、その決行を目的として脱藩したのですから、実質的には
「水戸藩士」が決行したものと言ってもいいでしょう。
要するに今風の言い方なら、過激派グループが要人暗殺、つまりテロ決行に
走ったということになります。

その方向こそ違っていたものの、会津藩も水戸藩も二世紀余の長きに渡って
創業者?の経営理念を忠実に守り続けてきたことは事実です。
しかし結果として、幕末維新に際し大きな働きを示すことができなかったのも、
これまた冷徹な事実です。
「薩長土肥」といわれる維新功績者の中に、「会津」も「水戸」もその名を
挙げられていないことがその証拠でしょう。

つまりこの史実は、どんなに素晴らしい?理念・思想であっても時代の変化に
取り残されてしまっては、逆に甚大な不利益を生みかねないことを教えて
くれているのかもしれません。
それが足かせになって、時代を適確に捉える目が曇ってしまうからです。

〜「平和という素晴らしい?理念・思想」を謳う憲法を「一言一句変えない」
  ことを絶対の正義として、長い間ひたすら「守り続けて」いる〜

はて、最近もどこかの国でこれに似た姿を見たような気がするのですが、
よくは思い出せないでいるところです。

ただそれはそれとして、「会津藩」や「水戸藩」と同様に、
〜立派な理念が、時代(国際状況)の変化に取り残されてしまって、
  逆に甚大な不利益を被ってしまう〜
 
こうした本末転倒?もどきの事態だけは無いようにしたいなァ、と
願うばかりの今日この頃です。



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