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zoom RSS 日本史の「謎解き」27 生身の神は意思を持つ

<<   作成日時 : 2017/09/05 00:01   >>

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21世紀に入ってから、いわゆる「イスラム国(IS)」による活発な?行動をよく
耳にするようになりました。 いわゆる「テロ」行為です。
ところが現代日本人には、その「イスラム教」に平均的に縁が薄いことも
あって、その宗教的・政治的な背景までには充分な理解が及んでいません。
概ねこんな程度の大雑把な理解が精一杯なところでしょう。

〜自らの理想国家を実現するべく独自理念を標榜し、時として
  大規模な(無差別)テロに走る「イスラム教・武装過激派集団」〜

そして、現代日本人の多くがその行動に対して、認めがたいものを感じている
のもまた事実です。

「認めがたい」のは、こんなイメージから離れられないからです。
〜「神は偉大なりッ!」と叫び、異教徒を初めとして自分達の主張を容認
  しない者達に対しては、躊躇なく無差別テロを仕掛ける体質〜
 
当然、ここには「自爆テロ」も含まれています。
もう少し直截にいうなら、
〜過激な主張・行動もペケなら、ましてや自らの理想実現のために
  テロ(殺人)行為に走るなんぞはもってのほかッ!〜


基本的人権という概念を知る現代日本人が、こうした行動を認めるはずも
ありません。 ところがちょっと待て! 
そんな偉そうなことを言い放って、ホントに大丈夫なのか?

そこで、上記のイメージにある言葉の一部を変えてみます。
神→天皇/異教徒→異論者/テロ→暗殺/無差別→特定/にそれぞれ
置き換えてみるっていと、こんな言葉になります。
〜「天皇は偉大なり!」とを叫び、異論者を初めとして自分達の
  主張を受け入れない者達に対して、暗殺行動をもって臨んだ〜


なんてことはありません。
これは幕末維新の頃の「長州藩」の姿そのものではありませんか。
その思想的指導者である吉田松陰(1830-1859年)の「尊王攘夷」の
過激な?思想に大いに影響されたものでした。 実際彼らは、
〜「天皇(神)は偉大なり!」として、熱心に「暗殺」(テロ)を企て〜ました。
未遂に終わったとはいうものの、師・松陰自身でさえ「老中暗殺」を
計画したこともあったほどです。
もっとも、「松陰による暗殺計画はハナからポーズだけだった」として弁護する
見方もあるにはあるのですが。

しかしともかく、こうした天皇教?過激派ともいうべき「長州藩」の主導に
よる、いわゆる「明治維新」は日の目を見ました。 
つまり、成就でき成功したわけです。
それがために、現代に繋がる「日本国」の礎を築いたのは、何を隠そう、
この「暗殺を辞さない長州藩」の働きがあってのこと。
こういう言い方もできることになります。

だったら、大規模無差別テロさえ是認、とういうより奨励?している21世紀
「イスラム国(IS)」もまた、成功者としてかつての日本「長州藩」もどきの立場に
立てるのでしょうか?
先の言葉変えでも分かる通り、その行動にまっことよく似たものがあるのは
事実です。
つまり、この後のいつかにおいて「勝利」を収め、「明治新政府」もどきの
「正当な政府」を自ら組織し、さらには「新生国家・イスラム国」を構築できる
ものなのか・・・という問いです。

ところが、「そうは運ばないッ、のではない・・・のではないのか」とする見解も
あります。 その根拠は? いたって単純!
それが、桂小五郎(後に木戸孝允/1833-1877年)が言い放ったとされる
この言葉です。 〜玉(ぎょく)を取った方が勝ちだ〜
なんのこっちゃ? てんで話が見えないゾ。

天皇明治5年 桂小五郎明治天皇明治維新長州藩イスラム国












若き日の明治天皇(明治五年)/桂小五郎(後に木戸孝允)

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天皇が着かれる場所を「玉座」と言いますから、小五郎の言った「玉」とは
天皇ご自身のことを指しています。
しかし、まんま「天皇」と言ったのではあまりに不敬な物言いだと感じたの
でしょう、「王将」駒を取り合うゲーム「将棋」に擬えた表現を用いています。
とはいうものの、その真意は要するに、こんな意味合いであることは
間違いありません。 〜天皇を掌中に収めた側が最終的に勝つ〜

念の為ですが、将棋では一方が「王将」で相手側は「玉将」の駒を用いるので、
その場合の「玉」とはこの「玉将」のことになります。
また、「取った」という表現も、その対象が「天皇」なら十分すぎるほどに不敬
ですので、それを避ける意味で将棋に例えた言葉にしているのでしょう。

ではなぜ、〜玉(ぎょく)を取った方が勝ち〜なのか?
孝明天皇(1831-1867年)がご健在だったころの長州藩は、一度ならず二度
までもいわゆる「長州征伐」(1864/1866年)の対象になりました。
孝明天皇ご自身は「幕府好き/長州嫌い」の姿勢をお持ちだったからです。

ところが、孝明天皇の突然の崩御の後に立った明治天皇(1852-1912年)は
その逆で、「幕府嫌い/長州好き」を表明?しました。
もっとも当時十代半ばの明治天皇にそれほど明確な政治判断があったとも
思えませんから、おそらくは宮中に影響力を持つ外祖父に当たる公家・
中山忠能(1809-1888年)に影響されたものでしょう。

要するに、この側近・中山忠能が「幕府嫌い/長州好き」だったわけです。
その中山の「長州寄り」の姿勢は、逆の思想を持つ先代・孝明天皇の怒りを
買ったほどで、実際一度はクビにもなっています。
それが明治天皇に代替わり?するや、たちまちの内に復帰を果たしたの
ですから、「外祖父」中山が明治新帝に与えた思想的影響には大きなものが
あったとみて間違いなさそうです。
そして明治天皇は、それを「朕(ご自身)の意思」として顕わにしました。

つまり、イスラム教の神とはちょっと違って、現人神とされた明治天皇という
〜生身の「神」は強い政治意思を備えていた〜ことになります。 
その中味は、「長州贔屓」です。
ただでさえ尊王思想がフィーバーしている時代背景もあった上に、それが
「大御心」ともなれば、何人も「反対」することはできません。

もしそんなことをしようものなら、「天皇の意思」に楯突く、いわゆる「逆賊」として
征伐の対象にされてしまいますからね。
ですから、桂小五郎の言葉〜玉(ぎょく)を取った方が勝ちだ〜は的を射た
適確な?表現だったかもしれません。

ところが、ギッチョン! 「イスラム国(IS)」の場合はそうは運ばないのです。 
なんでなの? 状況はよく似ているじゃん!
「神は偉大なりッ!」とは言うものの、その「神」ご自身は、日本の「天皇」とは
違って生物的実体を備えていないからです。
つまり「生身の神」ではない。 その点が根本的に異なるのです。 
すると、どうなるのか?

この場合の「神の意思」とは人間側のそれぞれが推し量ったものにならざるを
得ません。 言葉を変えれば、人間側の「解釈次第」ということにもなり、
たとえばこんな具合。

「イスラム国(IS)」は・・・無差別テロは神のご意思である、と主張。
ところが、同じイスラム教の「他宗派」は・・・神はそんなことをおっしゃっては
おられんゾ、と主張。

こうした場合、日本なら気軽に?「神(天皇)に問い直す」ことも出来ます。 
なにせ、現に生物学的な生命を備えた「生身の神」ですから、さほどの苦労は
必要ありません。
ところが、イスラム教においてはそれができません。
なぜなら、この場合の「神」とは、日本の場合の「生身の神」ではないために
会話?も質疑応答?もできないからです。

そうなると結局のところ、人間側の教典による解釈に頼るしか方法はないことに
なります。
つまり、その意見・見解はバラバラであり、日本の幕末維新の折りには可能だった
「神の意思」の統一見解?が困難になってしまうわけです。
そうなると、伴って下記のシナリオの実現も難しくなります。

〜「イスラム国(IS)」が、この後のいつかにおいて「勝利」を収め、
  かつての日本の「明治新政府」もどきの「正当な政府」を自ら組織し、
  さらには近代「新国家・イスラム国」を構築する〜
 この事業の実現は
「難しい」というよりは、「難しいの二乗」ほどになってしまうということです。

そこで仮にのお話になりますが、もしも万が一にも、世界各国が
「イスラム国(IS)政府」を正式な政府として認めるような事態になったとした
なら、本稿を披露した筆者なぞは、とんでもない流言流言飛語を撒き散らした
「国際戦犯」として真っ先に処刑されてしまうに違いありません。

なにぶんにも「異教徒」の身分ということもあって、正直言えばその辺には
一抹の不安も感じている今日この頃です。
でもですよ。 ホントに「偉大な神」なら、そんな「報復テロ」みたいなケチ臭い
仕業は決してお認めにならないとハズですよネ・・・きっと、きっとそのハズ
ですよネ。



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