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zoom RSS 日本史の「パクリ」12 頭のテッペンに”愛”がある

<<   作成日時 : 2017/08/05 00:01   >>

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工場作業や現場作業、はたまたオートバイに乗るときでさえ、現在は多くの
場合、”頭部”を守るヘルメットの着用が義務付けられています。
人体で最も大切で脆弱な部分が、その“頭部”に他ならないからです。
とは言うものの、丈夫さを優先させるあまり、それがデカすぎたり重すぎたり
したのでは、本来の作業や動作に支障をきたすことにもなります。
仮にこれが原因で不測の事故を招いたとしたら、それこそ「本末転倒」です
からね。

ところが「使いやすさ」、つまり「快適使用感」を無視して、やたらとデカい
ヘルメットを着用することが当たり前の時代もありました。
戦国時代の武将たちが使った「兜(かぶと)」がそれで、戦闘動作のためには、
サイズも小さく、かつ軽量な方が有利なことは分かり切ったことですが、
この場合に限っては、とにかく「目立つ」ことを優先したからです。

要するに、不便とはいいながら、戦場(いくさば)における自分の活躍ぶりを、
周囲の人間に知らしめるためには、是非とも必要なことでした。
そうでもしないことには、たとえば敵将を討ち取ったとしても、その手柄を
他の者にちゃっかり横取りされてしまうというリスクもあるわけです。

要するに戦場のドサクサの中にあっても、その「兜」が「何野太郎兵衛」のもの
なのかを一見して分かる必要があったということで、武将本人が着用する
「兜」本体及び「前立」と呼ばれる兜前面の部分には、他人と識別する目印と
して、それぞれに凝らしたデザインを用いました。
殊に「前立」については、目立つことを重視する意味からも個性的なデザイン
が好まれたわけです。 今いう「マイ・ヘルメット」といったところでしょうか。

たとえば、こんな具合。
前田 利家(1538-1599年)/豊臣政権を支えた五大老の一人
  →兜の背が高いだけでなく、目にも鮮やかなキンキラキン仕様
山中鹿之助(1545-1578年)/66以上の首を挙げた猛将
  →一見して己の名前が分かるように、前立にはデッカイ「鹿の角」
藤堂 高虎(1556-1630年)/下欄の加藤清正と並ぶ築城の名人
  →ヘリコプターの羽根を植え込んだかのようなシュール系のデザイン
加藤 清正(1562-1611年)/上欄の藤堂高虎と並ぶ築城の名人
  →めったやたらと背が高い兜本体・・・これなら確かに遠目にもよくわかるゾ
伊達 政宗(1567-1636年)/「遅れてきた英雄」との評価もある傑物
  →兜本体の背は低い代わりに、前立てには超横長の三日月を装着

そうしたなかで特筆すべきは、
直江 兼続(1560-1620年)/上杉(景勝)家の家老であり軍師?
  →兜はともかく、「前立」部分にでっかく“愛”の一文字
下の写真で確かめても、お世辞抜きでまんま「愛」になっています。

これが現代のように平和な時代なら、微笑ましい選択ということにもなるので
しょう。 しかし時代は、命のやり取りを日常とする「戦国」・・・そんな環境の
中で、頭のテッペン、つまり「兜の前立」に「愛」の一文字を戴くような武将は、
おそらくは兼続ただ一人ではなかったでしょうか。
となると、関心は必然的に「兼続はなぜ“愛”の字を採用したのか?」という
ところに向きます。

カブト直江兼続51 直江兼続51










直江兼続の兜前立”愛”/直江兼続

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この直江兼続は、若いころから才気あふれる人物だったようです。
そこを見込まれたものか、上杉謙信(1530-1578年)の家への就職?が叶い
ました。
その後、謙信亡き後に起こった上杉家の後継争い(「御館の乱」1578年)は、
この兼続の働きによって、景勝(1556-1623年)の勝利に落ち着き、以後景勝は
兼続を上杉家の家老としてまた軍師として、何かと頼りにした経緯があります。

さて、その兼続、最初は上杉謙信(1530-1578年)の「寵童」だったという説も
あるようです。
「寵童(ちょうどう)」とは、露骨にいうなら男色の対象となる男子のことですが、
念の為に補足するなら、その感覚は現代人の持つ「性的イメージ」とは大いに
異なるものでした。
要するに、戦国武将にとってはごくごくノーマルなことであったのですから、
現代人が穿った見方をすることは正しくありません。

ということで、前立にある「愛」とは、「異性愛」にせよ、はたまた別に「同性愛」に
せよ、相手を想う現代のいわゆる「LOVE(愛)」を意味したものとする解釈も
あります。 
確かにこれは、現代人にとっては分かりやすい説明ですが、ところが、こうした
心情に対して、当時は「愛」という表現は用いず、概ねのところ「色恋」という
言葉を使ったとのことです。

だったら、もっと直截に「愛欲」の「愛」ではないか?
アナタのようにスケベな方は、どうしてもそちらに気が廻るところです。
しかし、これもちょっと違うのかもしれません。
それならそれで「淫」という文字もあるからです。
兼続の前立に大きく一文字「淫」・・・少しばかり生々しくて迫力あり過ぎです。

それにしても、わざわざ前立に採用したくらいの文字です。
ですから、兼続とて、誰に見られても恥ずかしくない・・・それどころか、武将と
して誇りに感じられる意味での「愛」を選択したものと考えるのが自然です。
トント宗教オンチになってしまった現代人はすっかり忘れ去っていますが、
実は昔の日本人はそれなりに篤い信仰心を持っていました。

そこで思い当たるのが兼続の信仰です。
兼続も決して例外ではなく、熱心な「信仰心」を持っていました。
そうすると、大切な心の持ち方として、仏様が説いている「慈愛」の「愛」では
ないのか? 確かに、これをモットーにしているなら、誇りを持って「愛」の字
を採用できるわけです。
しかし、これも奥歯にものは挟まった感じというか、いささかインパクトに欠ける
印象も否めません。

そこでまた、兼続の「信仰心」に戻ってみると、実はもう少し納得しやすい
「愛」の字に遭遇することもできるのです。
軍神?とされている「愛染明王」の「愛」か、もしくは勝軍地蔵を本地仏とする
軍神「愛宕権現」の「愛」です。
これらの軍神の名からいただいた「愛」なら、戦を日常とする武将としても胸を
張って採用できます。

この内でも、最も納得がいくのが「愛宕権現」ではないでしょうか。
なぜなら、勝軍地蔵が「垂迹」(神仏が現れる)した軍神が「愛宕権現」である。
こうした信仰が、戦国時代の武士の間には広まっていたとされているからです。
軍神を意味する「愛」の字なら愛欲の「愛」とは違って、戦場でも大いに誇れる
というものでしょう。

それにもう一つ。
兼続からみて、先代の謙信がよく似たことをやっているのです。
謙信は自分が信仰する「毘沙門天」から、「毘」の一字を拝借?して、これを
自らの旗印にしています。
つまり、それを承知している兼続が〜だったら、ボクは「愛」の字でいこう!〜
こう考え、実行したとしても不思議ではありません。

職人の世界でも、師匠の「技を盗む」ことは褒められこそすれ、決して非難
されるようなことではありませんからね。
その意味でも、先代・謙信の手法にあやかる。 つまり、この「パクリ」には、
戦国武将としての兼続の心意気が込められていたのかもしれないわけです。

なに? ここまで理路整然かつ丁寧な推理を披露したのに、それでもまだ
アナタは「愛欲」の「愛」を諦め切れないってか!
うーん、もしそうなら、こう言わざるを得ませんでぇ。
〜アナタの頭のテッペンには(愛欲の)「愛」、つまり「淫」が乗り移っている〜



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