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zoom RSS 日本史の「誤算」06 ”盛者必衰”家康の回避方程式

<<   作成日時 : 2017/07/30 00:01   >>

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隣国の遠江・駿河を治める大大名・今川義元(1519-1560年)に屈する形で
人質生活を送ったのが、後に徳川家康(1543-1616年)と名乗ることになる
若き日の松平元康でした。
当主・元康自身が人質境遇ですから、その家臣達はほとんど奴隷?の扱いを
受け、そればかりか自領・三河は今川家の植民地?もどきの状況にあったと
いうことになります。

ところが実に思いがけないことに、自領隣国・尾張の一介の田舎武将が、
その百万石ほどの実力を備え羽振りのよかった大大名・義元を打ち倒した
のです。
それが、織田信長(1534-1582年)による、いわゆる「桶狭間の戦い」(1560年)
であり、家康はこの時18歳の青年になっていました。

多感な年代で迎えた大事件でしたから、その家康がこんな思いを抱いたと
しても不思議ではありません。
〜うむむ、想定外の出来事だ。 盛者必衰とはこういうことなのか!〜
ちなみに「盛者必衰」とは、この世に永遠のものはなく、勢いの盛んな者も
いずれは衰え滅びるという意味になっています。

さて、「桶狭間」後の家康は、我が身を人質から解放してくれた恩人?信長の
同盟者として活動することになります。 借りは返さなくてはなりません。 
両者の協力関係は割合に順調を保ち、やがては双方にとって長年の宿敵で
あって甲斐・武田家を滅ぼすまでに至りました。

強敵・武田家を倒したことで、この時の信長にはおそらくちょっとばかりホッと
した気分も芽生えたのでしょう。 
天下取りに一歩近づいたということで、同盟者・家康に対してその労を
ねぎらうため、堺に招きました。

〜まあ、ちぃとばか羽根をのばしゃー(少しノンビリしてはいかが)〜
多分家康対する「慰労会」?のつもりだったのでしょう。
本来なら、信長も家康もここで一息つけるはずでした。
ところがギッチョン! 重臣・明智光秀(1528?-1582年)から突然の襲撃を
受けた信長があえなく落命。
いわゆる「本能寺の変」(1582年)です。

現場近くの堺の地にあったことで、身の危険を感じた家康は、ほうほうのてい
(這う這うの体)で本国・三河への脱出をはかることになった家康は、なんとか
無事に三河へ辿り着くや、その時、
〜ウッ、メッチャ信じ難い出来事だ。 盛者必衰とはこういうことなのか!〜

即座に状況を立て直した家康は、信長亡きあとの「天下取り」をめざした
ものの、これには一歩出遅れてしまいました。
というより、信長家臣・羽柴秀吉(1537-1598年)の行動が、さらに一歩
先んじていたというべきかもしれません。
俊敏さにかけては、秀吉の方が一枚上手だったわけです。

そうこうするうちに、秀吉は「関白」の位まで手中に収め、その果てには
いわゆる「天下人」にまで上り詰めてしまったのですから、家康は結局
その秀吉の「家臣」もどきの立場に追いやられてしまいました。
ですから、何事ともなければ、その立場で一生を過ごしたのかもしれません。 
なにせ相手は「関白」ですから、家康としても下手な動きはできません。 
ところが、これまたギッチョン!

ある意味自然なことではあるものの、年上の秀吉の方が先に死んでしまった
のです。 これでもう「怖いものなし」になった家康ですが、またまたこんな
思いにかられました。
〜ヘェ、なんとも呆気ないものだ。 盛者必衰とはこういうことなのか!〜

つまり、家康の目には「盛者」に見えた今川義元織田信長も、はたまた
豊臣秀吉も、御家を残すことも叶わず、瞬く間に衰亡の道を辿ってしまった
ように見えたということです。
〜わが徳川家が同じ道を辿ることのないようにしなくっちゃッ!〜

徳川家康51 朱子学朱熹51












徳川家康/朱熹(1130-1200年)新儒教・朱子学の創始者

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そこで家康はこう考えました。
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○義元殿のような「強い敵」を作ることはしてならぬ!
□信長殿のように「家臣の謀反」を招くようなスキを見せてはならぬ!
◇秀吉殿のように「健康管理」に無頓着ではマズイ!
△うーむ、念には念を入れて「その他もろもろ」の項目も入れておこう!
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

家康は自らの人生経験・原体験に基づいて、こうした政治哲学を構築
しました。 具体的な対策を、簡単に言えばこんな具合です。
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○諸大名に対しては、親藩・譜代・外様にランク分けした上で、「財力と権力」
  を決して併せ持つことの無いようにシッカリ分離・分割しておこう!
□家臣には、「謀反」は「悪」であることを徹底的に教え込まなくっちゃ!
◇「早死に」せぬよう、自らの健康管理には十分に気をつけよう!
△ついでに、現実感に乏しい朝廷・公家たちには政治に口を出させないゾ!
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中でも、家臣に対する「謀反防止対策」には腐心しました。
「信長の突然死」は、家康にとってはよほどのトラウマになっていたものと
思われます。 これには「朱子学」を用いることにしました。

なぜなら、「朱子学」は最大の徳目を「孝」としており、つまり人間にとって一番
大切なことは「親孝行であり、さらには主君に対する「口ごたえ・反抗」などは
〜親不孝ならぬ「主君不幸」であるから「もってのほか」〜という理屈になる
からです。

事実、幕末の混乱期を除けば、江戸幕府(1603-1868年)が機能した二世紀半
の間に「本能寺の変」もどきの謀反は一度として起こっていません。
その意味では、家康という人物は危機管理の名人だったと言えるのでしょう。

しかし、これが定着すると、「祖法」という考え方に発展するのは当然の
成り行きです。
〜ご先祖様が行ってきたことにはなんらの間違いはなかった〜
つまり、「ご先祖様がとった行動」に対して、疑問なり批判を加えようとする
なら、そのこと自体が「ご先祖不幸」ということになって、「人間失格」の烙印を
押されてしまうわけです。

ですから、江戸時代を通じて幕府は「祖法」を大切に、要するに
「諸事、権現様(家康)御掟の通り」が基本姿勢になりました。
言葉を変えれば、現代では当たり前としている「ニュー○○」なんてことは
「もってのほか」ということです。

とはいうものの、ひとたび新しい機器が登場するや、突如として「昨日と今日
では全く異なる時代」が出現する現代社会とはまるで違う社会を構築し、
しかもそれを二世紀半も続けたわけですから、これを思えば、「本能寺の変」
は一英傑が倒れたというだけに留まらず、その歴史的影響はとてつもなく
大きかったと言わざるを得ません。
ですから、多少ヘソ曲がりで逆説的表現が許されるなら、
〜江戸時代の基本理念は明智光秀が作った〜と言えるのかもしれません。

ただ、国内治安にその力を発揮したこの「祖法」も、「外国勢力」に対しては
無力、というよりむしろマイナス要因になってしまいました。 
そりゃあそうでしょうに!
「黒船」を始めとする「ニュー○○」をいっぱい保有する「外国勢力」に対し、
二世紀半前の「祖法」を後生大事に遵守する、旧態依然の体制では
太刀打ちできるはずもないのですから。

つまり、結果として、「朱子学」という考え抜いたツールを駆使した家康でさえ
「盛者必衰」を避け切ることはできなかったわけです。
かくして江戸幕府は崩壊を迎えます。

家康 〜あっちゃーなんてこった! 盛者必衰とはこういうことなのか!〜
危機管理の名人・家康が開発した完璧の「回避方程式」でさえ、「盛者必衰」
の理を退治することは叶わなかったということになりそうです。



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