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zoom RSS 日本史の「災難」06 ”先取り維新”は悔し涙から

<<   作成日時 : 2017/06/10 00:01   >>

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いわゆる「黒船来航」(1853年)より半世紀ほど前のこと、鎖国体制にあった
日本の長崎港にイギリス軍艦が突如侵入するという事件がありました。
その軍艦の名から「フェートン号事件」(1808年)と呼ばれています。

イギリス艦のくせに、「オランダ国旗」を掲げて入港するや、乱暴なことに、
出迎えたオランダ商館員を人質に取り、水や食料を要求したのですから、
ウーム、このフェートン号のやり方はいかにも卑怯臭いッ!
しかも要求を満たすや3日後にはまんまとトンズラです。

この日本側の「大失態」には、じつはちょっとした裏事情がありました。
この時長崎港の警備についていた鍋島藩の兵力は、本来揃えるべき人数
の1/10の約100人。 早い話が、ちゃっかり「手抜き」をしていたわけですね。
こうした事情もあって、事態の収拾のためには責任者・長崎奉行は無論の
こと、鍋島藩の家老数人の切腹にまで及ぶことと相成りました。

幕府側〜大ごとになる前に、武力攻撃に転ずるべきだったッ!〜
鍋島藩〜(チャチな旧式大砲ではなんの役に立ちません。 それに武器の
      改良を禁じているのは他ならぬ幕府ご自身ではないですか!)〜

幕府側〜それにだ、警備兵力を勝手に減らすなぞは大問題であるッ!〜
鍋島藩〜(理屈は確かにそうだけど、その警備費用って実際半端でない重荷
      なんですよねぇ、これが・・・)〜


幕府相手ですから真正面からの弁解は避けたものの、叱責された鍋島藩
言い分にも一理あります。 しかしともかく、長崎の警備体制には怠りがあった
として、幕府からは大目玉を食らい、藩主・鍋島斉直(1780-1839年)までが
100日の閉門を申し付けられるに至りました。
まだ生まれていなかったとはいえ、斉直十七男・鍋島直正(1815-1871年)※
も、おそらくこうした経緯は「藩の歴史」として承知していたはずです。
※斉正/閑叟 以降は号の閑叟と表記

そのために、若くして佐賀藩・藩主(1830年)に納まるや、閑叟は誰からも
後ろ指を指されない藩を目指して、改革に意欲を見せ始めます。 
〜たかが一隻の外国船で、幕府に叱責されているようなヨレヨレの藩では
  ダメだッ、今こそ“チェンジ!”・・・イエス・ウィ・キャン!〜


しかし、こんな壮大な意気込みも、新米の、しかも十代半ばの藩主では何かと
周囲に遠慮も働くのでしょう。 その段取りもイマイチ迫力に欠けるものになり、
要するにしばらくの間は存分な成果を得ることができませんでした。
そんな折も折、大火によって藩中枢の「佐賀城」二の丸が全焼(1835年)。
この時ばかりは周囲の干渉を押し切る形で佐賀城再建のリーダーシップを
執りました。 今回ばかりは遠慮も不要だからです。

一つ実績を上げると、あとは閑叟のペース・・・城だけでなく広く藩全体の
改革にまで手を伸ばすようになりました。
○歳出削減/役人の数を1/5まで削減
○借金返済/借金の8割を放棄させ、残りは50年割賦に
○藩政改革/藩政機構を見直し、身分不問の人材登用
○産業育成/磁器・茶・石炭など産業を育成し交易を拡大
○農村振興/小作料の支払い免除など

○教育改革/藩校・弘道館を拡充し人材の育成と登用
○技術導入/製鉄に不可欠な「反射(溶鉱)炉」建設1849年/1852年製鉄所
○銃器開発/最新式西洋銃器の自藩製造を成功させる
○造船振興/蒸気船の造船・修理・教育訓練などの施設/軍艦1853年
○最新医療/天然痘対策として「牛痘ワクチン」を普及 1849年


鍋島閑叟51 佐賀蒸気機関52 








鍋島直正(閑叟)/蒸気機関車(模型)佐賀藩製作

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後から振り返れば、天保元年(1830年/16歳)から、文久元年(1861年/48歳)
で隠居するまで閑叟は、なんと30年以上に渡って藩の改革に取り組んだこと
になり、その結果として、日本国の「明治維新」より一歩早く佐賀(備前)藩の
「先取り維新」を実現させていたわけです。
その根底に「フェートン号事件」で父・斉直が味わった屈辱の思いがあった
ことは間違いありません。

こうした佐賀(備前)藩の姿勢に対し、同じ「事件」を体験しながら幕府の
「鈍感力」には、なかなかのものがありました。
実は「フェートン号事件」に先立つ20年ほど前のこと、
〜世界中がひと続きになっている、その海に四方を囲まれている我が国は
  もっと「海の防衛」に神経を配るべきだ〜


こんな意見を披露した「林子平」(1738-1793年)を見ながら、これを処罰した
ばかりか、それが現実の形になったこの「フェートン号事件」の折りでさえ、
幕府は“関係者の処罰”以外に、ほとんど〜何もしなかった、できなかった〜
のです。

ですから、文字通り何の準備もない時期に、しかも遠い長崎港ならともかくも、
将軍様のお住まい・江戸城の目の前である浦賀(神奈川県横須賀市)で現実に
「黒船来航」(1853年)に遭遇した折りは大いに慌てました。

慌てたばかりか、これ以後の幕府の対処は常に後手後手を踏み続けます。
例えば江戸城防衛では、「黒船」の大砲は江戸城まで届く性能を有していた
のに引き替え、幕府のそれは相手に届くどころか、遥か手前でポチャンと音を
立てる始末です。

〜こりゃあ、いかにもマズいッ〜 慌てて「江戸城防衛」のための砲台場
(御台場)を設けたのは、一度目の黒船が退去した後のことでした。 
ともかく、次に予告された来航に間に合わせるための突貫工事でしたから、
これとて十分なものではありませんでした。

こうしたドロ縄式のすったもんだを繰り広げた末に、結局は「幕府滅亡」を
演じることになるのですが、実はこのことには「先取り維新」に取り組んでいた
佐賀藩の技術力が大いに貢献しました。
佐賀藩の優秀な武器技術が、交戦相手となった幕府のそれを遥かに上回って
いたことが、以後の戦況に大きな影響を及ぼしたわけです。

さて、討幕維新の立役者を、一般的に「薩長土肥」※と表現しています。
確かに「薩長土」の三藩は、戦闘的にも政治的にもそれと分かる働き・人材を
輩出しましたが、実は「肥」にはそうした目玉?がありません。
※薩摩藩/長州藩/土佐藩/肥前(佐賀)藩

ですから逆に言えば、維新遂行に対する技術力での貢献がそれだけ高く評価
されて、「薩長土肥」すなわちベスト「四藩」の仲間入りを果たしたことになる
のでしょう。

ちなみに、国産初の蒸気機関車と蒸気船の模型を製造したのは、この閑叟
肥前国佐賀藩の精錬方に着任した田中久重(1799-1881年)でした。
その精緻な技術や、人をアッと驚かすような発明で、「からくり儀衛門」とか
後には「東洋のエジソン」とも綽名された人物です。

ちなみのちなみに、2017年6月時点でもなお「決算問題」で揺れている「東芝」
(創業1875年)の創業者が、じつはこの「からくり儀衛門」こと田中久重という
繋がりになっています。



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