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zoom RSS 日本史の「微妙」02 蓬莱山の”左”にそれはある

<<   作成日時 : 2017/05/25 00:01   >>

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地理については、例えば本州の「北」端部には青森県があり、山口県なら
同じく「西」端部に位置するといった具合に、現代ではその位置を
「東西南北」で説明するのが普通です。

これが昔の場合だと、ひと味違って「遠・近/上・下/前・中・後」などの
表現を用いていました。
たとえば、遠い湖(浜名湖)がある国を「遠江国」、近い湖(琵琶湖)がある国を
「近江国」としているのは「遠・近」による表現です。
また、「総の国」では上総国・下総国を「上・下」で表していますし、「越の国」
になると「前・中・後」でそれぞれ越前国・越中国・越後国となっています。

この他にも、実は「左・右」で示す方法もありました。
そのいい例が、江戸時代の名古屋城で、別名「蓬左城」とも呼ばれていました。
その「蓬左」とは、字面の通りに「蓬莱島(山)の左」を意味しているのですが、
しかし、「左・右」というのは、その人の向く方向によって変化する相対的な
表現です。

にも拘わらず、「左・右」の表現を使っていたとするなら、昔の人にとっては
この方法で特段の不便もなかったということになります。
では、昔の人は何を基準にして、地理の「左・右」、そしてまた
「遠・近/上・下/前・中・後」を表現していたのか?

ズバリ、「都」(京都)を「日本の中心」と定め、そこを基準点にしたものでした。 
その「都」に、より近いエリアを「近・上・前」、遠いエリアを「遠・下・後」と表現
していたわけです。
つまり、「遠江国」より「近江国」の方が、また「下総国」より「上総国」の方が、
そして「越後国」より「越前国」の方が「都」により近い場所だという認識です。

ということは、「左・右」もその例外ではなく、「都」から見て左か右かという
判定を用いていたことになるわけで、この方法なら、基準点が定まっている
ので、人の向く方向によって「ぶれる」とか「変化する」こともありません。
なるほど、確かに巧いやり方で、先人達の「知恵」には、侮れないものが
あります。

さてこの視点で、「蓬左」を眺め直してみると、こうなります。
〜「都」から眺めたとき、名古屋は「蓬莱島(山)の左」にあるのだから、それを
  縮めて「蓬左」〜

この場合の「蓬莱島(山)」ってなにさ? 後段で補足説明を加えましょう。

この「蓬左」という名称はよほど親しまれたのか、筆者の生息地・名古屋には、
江戸時代の「蓬左城」(名古屋城)だけでなく、現在でも「蓬左文庫」※と名付け
られた現役の施設があります。
今風にいうなら「名古屋文庫」と言ったところでしょうか。
※尾張徳川家の旧蔵書などの文献資料を所蔵する公開文庫。

地図熱田古51 蓬左文庫51







古墳時代の「熱田神宮」(宮)周辺/蓬左文庫

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さてここまで来たら、その名古屋の、今度は逆にその「右」に当たる
「蓬莱島(山)」を特定しておく必要があります。
ところが、分かってみれば至って簡単明瞭なことで、この「蓬莱島(山)」とは、
ズバリ「熱田神宮」そのものを指しているのです。

現在でこそ、海岸線から何キロも離れた内陸?に位置する「熱田神宮」
ですが、古墳時代には海岸に沿った場所に、しかも、海に突き出た半島もどき
の場所にその景観を保っていました。 (上図参照)

この当時の「熱田神宮」を海から眺めれば、多分に仙境の雰囲気を湛え、
しかも海に浮かぶ「島」のように見えたということです。
このことから、中国の伝説にいう仙人が住む「蓬莱山」に当たるという言い伝え
が残ったのでしょう。

蛇足ですが、秦・始皇帝から命を受けた方士・徐福※が不老不死の霊薬を
求めて、この熱田の「蓬莱島(山)」に、到着したとの伝説?もあります。 
ただ、このことは〜日本史の「発明発見」15 霊薬は蓬莱島に“あつた”!〜
でも取り上げましたので、繰り返しません。
※「徐福伝説」はこの「熱田」だけでなく、全国各地にワンサカ残されている。

江戸時代にも「蓬左」(熱田の左にある町)と呼ばれていた名古屋ですから、
つまりはその頃でも名古屋熱田(神宮)はまったく別の地域だったわけです。
町の性格にも大いに異なったものがあり、やや乱暴に言い切ってしまうなら、
「名古屋」は御三家・尾張徳川家の「官庁街」であり、「宮」(熱田神宮のこと)は
「観光地・宿場町」として栄えました。

ところが、その「名古屋」の町おこし?に躍起になったのが、御三家・尾張
徳川家の第七代藩主・徳川宗春(1696-1764年)でした。
〜こんな寂れたまんまではいかんでよぅ、「宮」とおんなじくらいに人が
  寄ってくれる町づくりを目指そみゃあ! さあ、いくでぇ!〜


これが功を奏したことで、江戸時代のその後、また明治以降も「名古屋」の
発展の発展は続き、現在では「蓬莱の左」どころか、
〜蓬莱島(山)そのものを呑み込む〜ほどに発展しました。
つまり、「蓬左」どころか、その一部分に「宮」(熱田)を置く形となり、むしろ
「蓬込」?と呼ぶのがふさわしいほどの変貌を見せたわけです。

ちなみに、現代の行政区分が頭に入っているせいか、「東海道五十三次」は
「名古屋」を経由していたと、思い込んでいる現代人も少なくないようです。
しかし、上の説明でも分かる通り、この当時は「宮」「名古屋」は違う町だと
考えるのが妥当ですから、これはまったくの誤解?ということになります。

動かぬ証拠があります。
絵師・歌川広重(1797-1858年)の手による傑作版画「東海道五十三次」
(1833-1834年)は、その宿場町のひとつとして「宮」は取り上げているものの、
「名古屋」のほうはハナから無視?されているのです。



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