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zoom RSS 日本史の「微妙」01 江戸民族?のお仕事ぶり

<<   作成日時 : 2017/04/20 00:01   >>

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現代の「お仕事ぶり」はといえば、概ねのところ、「週休2日・40時間労働」
一つの基準になっています。
もっともこれは建前であり、必ずしも遵守されているとは言い切れません。
過労死などの報道に接することも少なくないからです。

そんな中にあって、最近「週休3日制」を実践する企業も登場してきました。 
しかし、こんな程度のことにワッと驚くようではアナタはまだまだ未熟だ。
なぜなら戦のない平和な江戸時代の人々、つまり江戸民族?はこれよりも
さらに「ゆとり」ある (と思われる) 働き方をしていたからです。
もっとも、せっかちな現代人がこうした種類の「ゆとり」?を前向きに評価
できるのかどうかは、また別の問題ですが。

もちろん、一口に「ゆとり」?とは言ってもそれなりのバラツキはあったの
でしょう。 しかし江戸民族?の「労働時間」は、どんな職業にせよ現代よりは
「短かった」はずです。
なにしろ電気(照明)のない時代ですから、現代では珍しくもない「徹夜仕事」
などは、まずハナから無理な相談だからです。

しかも、この時代はいわば「職住近接」の環境で、テクテクと歩いての通勤
スタイルを原則としていました。
要するに、押し合い圧し合いの満員電車で片道2時間?という、それだけで
疲れてしまいそうな「通勤時間」も必要ではありませんでした。
ということは、犯罪者の懲罰的な労働環境などの特殊な例を除けば、長時間
労働による「過労死」なんて出来事はごくごく少ない状況にあったことが想像
されるわけです。

その目線で眺めてみると、たとえば江戸城にお勤めする「お侍様」(役人)
などは、午前10時頃に出勤し、午後2時頃には退出する、実質3〜4時間程度
の勤務だったといえるのかもしれません。
また休日の方も、現代と同じように月に5〜6日ほどは取れたそうですし、
中には現代の「天下り官僚」を連想させるような3日に1度くらいの出勤で
OKという役職もあったとか。 

ただ、こうした「労働環境」を羨ましいと思うのは早合点です。
多くの「お侍様」は頂く給料だけでは生活が成り立たなかったようで、一定の
生活水準を維持するためには、勤務外時間を活用して、えっさえっさと
内職(アルバイト)に精出す必要もあったとされています。 

そうしたバイト先は「剣術道場」や「寺子屋」の先生などの他に、意外なことに
武士のチョンマゲ専門の髪結い(床屋さん)も公認されていたそうですが、
いずれにせよ、バイトまでも必要だったとすると、「お侍様」の労働環境も
そうそう楽なものでもなかったのかもしれません。

ならば、年貢を搾り取られ過酷な環境にあったというのが、ある種の
歴史常識?になっている「農民」は、一体どんな働きぶりをしていたのか?
生きた作物が相手ということを考慮するなら、その都合・事情に合わせる必要も
あって、おそらくは先の「お侍様」ほどノンビリというわけにはいかなかった
でしょう。 ところが意外?なことに、こちらも年間で概ね30〜50日くらいの
「公的・農民の休日」が定められていたとされています。

士農工商52 武士寺子屋51







士農工商/武士のバイト→寺子屋教授

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これがきちんと法令順守されたのかどうかはよく知りませんが、しかしこの
時代にもすでに「働きづめ・働きすぎは良くない」とする意識があったことには
なりそうです。
その辺は農民の側とて心得たもので、社会との大切な繋がりである地域の
「祭り」や親戚縁者の「法事」などを大切にしました。
〜オイ、こんな時に仕事なんかやっている場合ではねえゾ〜
ですから、これなども実質的な「休日」にカウントしてよさそうです。

では、「職人」の仕事時間はどうだったのか?
これも当然ながら、職種・立場によってそれなりの違いはあったでしょうが、
どうやら基本的には午前7時頃から午後5時頃までだったということです。
ところが現代人の感覚からすれば、その間にある「休憩時間」の回数が多い
だけでなく、イチイチやたらに長い!

ランチタイムは当然としても、午前には10時頃、午後には3時頃にも、その
「休憩」を取り、これが平気で1時間超え、さらには2時間休憩なんて事も
少なくなかったようで、そういうことであれば、身体を動かしているのは
実質的に6〜7時間くらいのものです。

もしこの時間配分で「お仕事」をしていたとすると、昼間の時間が短い冬の
場合には、実質4時間労働ぐらいの場合もあったことになりますから、これで
生活が成り立っていたとしたら、バイトに忙しい?「お侍様」より恵まれた
労働環境にあったといえるのかもしれません。

ではでは、「商家」はどうだったのか?
これも「職人」とそんなに変わらなかったようです。
もっとも下っ端の「丁稚」などは、細々とした雑用を消化する必要もあってか、
幾分は長い「労働時間」だったとされています。 

「丁稚」?・・・「丁稚」って何のことですか? 今や死語?になってしまいました
ので、少し補足しておくと、〜年季奉公の年少者のこと〜を言っています。
この説明自体が分からんなあ・・・
ではその「年季奉公」っていったい何のことですか?

少々乱暴な説明になるものの、商家の場合ならそのお店に、職人なら親方の
元へ、「奉公」または「弟子入り」して約束の期間(年季)をその職場に勤める
こと、といえるのでしょうか。

その間、お店・親方側から商売人・技術者としての、現代風にいうなら、
「ノウハウ」が提供されるわけです。
ですから、基本的には「住み込み」の形が多く、家賃・食事・衣服などは、
お店側・親方側が負担することになり、その期間(年季)はその分比較的安い
給料で働くということになります。

「安い給料」とはいうものの、一種のギブ・アンド・テイク、持ちつ持たれつの
関係にある「徒弟制度」ですから、この点は一方が搾取し続ける「奴隷制度」
とはまったく別物であることに注意を払う必要があります。

お話が逸れました。
要するに、モーレツ社員(古い!)や企業戦士を見慣れた現代人の目から
すれば、江戸民族?の「お仕事ぶり」は総じてチンタラチンタラしているように
映ってしまうわけです。

しかしこのチンタラチンタラのせいで、ブラック企業・パワハラ・サービス残業・
過労死など、現在のような悲惨な労働問題を生まなかったとしたなら、この
システムを採用した 江戸民族?のバランス感覚は高く評価する必要がある
のかもしれません。

ちなみに、筆者なぞは江戸民族?並みのチンタラチンタラ生活をモットーと
しているため、もとより過労死の心配は無用です。
ということで、アナタにもこうしたライフスタイルをお勧めした次第ですが・・・
なに?「そのうち気が向いたらネ」ってか? 
うーん、アナタのチンタラチンタラぶりは江戸民族?の上をいっているッ!



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