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<<   作成日時 : 2017/03/20 00:01   >>

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江戸期には前後三回※1「伊勢参り」フィーバーが起こって
います。 @1705年(宝永2年)/A1771年(明和8年)、そして、
B1830年(文政13年/天保元年)です。
いずれも、いわゆる「お蔭年」※2に当たるため、別の言葉では
「お蔭参り」とも言いました。
※1 推定参詣者数は@Bでは人口の12%以上、Aでは同6%以上
※2 ほぼ60年間隔で巡ってくる「式年遷宮」の翌年のこと


でも、「お蔭参り」のいったい何が「お蔭」なのでしょうか?
実際分かったようで分からない言葉です。
〜豊作も商売繁盛も伊勢の神の「おかげ」、そしてまた
  その神様から「御蔭(恩恵)」をもらう〜
 
ですから、どちらにせよ、ちゃっかり「御利益(ごりやく)」?を
期待した「伊勢参り」というニュアンスになっています。

実は2回目の大流行だった明和の頃には「抜け参り」という言葉
も誕生しました。
〜奉公人などが主人に無断で、または子供が親に無断で
  参詣したこと〜
 つまり、「監督者の許可なく伊勢参り」に出た
奉公人や子供も決して少なくなかったことで、この新語?が誕生
したということでしょう。

また当時の記録によれば、近場の名古屋から片道3日ほど、
大坂からだと5日、これが江戸からになると15日ほどの日数が
必要だったようです。
さらにはなんと数十日、あるいは百日ほどもかかる遠方からも
「お蔭参り」に訪れたとされていますから、その熱心さはハンパ
ではありません。

ですから、奉公人や子供の「抜け参り」に限らず、一般参詣者の
場合でも、そうした旅行ができるだけの「経済力」があったことに
なりますが、これもちょっと気になるところです。

昔の旅行は「徒歩」移動が基本ですから、確かに現代のように
新幹線や飛行機などの乗り物交通費は必要ありません。
とはいうものの、それでも伊勢への往復にはその間の食事や
宿泊など、それなりの「費用」は必要だったと思われるからです。
さて、こうした費用をどう賄ったものか?

ところが当時は、「伊勢参り」のための色々な仕組みが整って
いたのです。
まず、村ごとに積み立てをして資金を作り、クジ引きで選んだ人
を伊勢に送る「(お伊勢)講」。
また道沿いの家々が食べ物や宿泊場所の「施し」をする慣習
とか、さらには参拝・宿泊などの世話をする寺社側の営業マン?
ともいうべき「御師(おし/おんし)なる存在もありました。

ですから、仮に旅行費用が潤沢でなくても、これらをうまく利用
することで、信心の旅「お伊勢参り」をすることは可能だったわけ
です。


お蔭参り51 おかげ横丁51








昔の「お蔭参り」/現代の「おかげ横丁」

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御師は、その土地の「講」の世話を初め、彼らが晴れて参詣に
訪れた際には、その御師自らの宿坊(ホテル?)に迎え入れて
便宜を図りました。
それだけに留まらず、その宿坊で山海の珍味のもてなし、豪華な
布団に寝かせる、はたまた名所・歓楽街の観光ガイドもこなした
上に、さらには参拝作法の教授まで提供したとされています。

現代でいう、その寺社専属の「旅行代理店」?ばかりか、「ツアー
コンダクター」?まで兼ねていたような按配ですから、参拝者から
すれば、まさに〜かゆいところに手が届く〜サービスでした。

つまりこの時代は、「講」や「施し」や「御師」などのサポート体制
が整っていた上に、「抜け参り」さえも認めるなど、信仰行脚に
対する理解が社会全体に拡がっていたことになります。 
そうした背景があって、
〜江戸時代のかなりの人々は、老若男女・貴賤貧富の別なく、
  一生に一度は旅行を楽しむことができた〜
 
こんな風にも言われているのでしょう。

もっとも、「信仰行脚」を建前にしてはいましたが、そこは人間の
やることですから、生真面目一辺倒でもありません。 たとえば、
移動に規制があった農民などは、通行手形(パスポート?)を発行
してもらうために、この「伊勢参り」を旅行の理由にしました。

こうすれば、政府(幕府)とて信心を発露したいとする国民に
向かって、「それは許せん!」とはさすがに言えませんから、
結局のところ、ほぼ無条件に発行することになるわけです。

しかし、発行してさえもらえばあとはこっちのもので、どの道を
通ってどこへ旅をしようが自由勝手。
これ幸いとばかり参詣を済ませた後に、ちゃっかり京や大坂など
他の土地の観光巡りを楽しむ者も多かったとされています。

当の「伊勢神宮」からすれば、まったくバチ当たりな所業という
ことになりますが、だったら「抜け参り」も同様ではなかったのか?
奉公人・子供たちが、主人・親には「伊勢参り」に行ったふりを
して、その間内緒でどこかよその土地を遊び歩いていた・・・
つまり、「抜け参り」を理由にして「ズル休み」をしたとしても決して
バレないことに?・・・まさに鉄壁の「アリバイ作り」です。

ところが、うまくできたもので、
〜おとがめを受けないためには、お伊勢参りの証拠になる品物
  (お守りやお札など)を持ち帰ること〜
が必要でした。

逆に言えば、「証拠の品物」がなければ無断の「職場放棄」?と
見做されるわけですから、この手の「アリバイ作り」?はそんなに
容易なものではなかったと思われます。

ところが、ありがたいことにこの現代。 
江戸期のこの「お蔭参り」の様子の再現?をウリにして1993年
(H5年)に開業した内宮前の「おかげ横丁」には実店舗の他にも
「おかげショップ〜おかげ横丁オンラインストア」があるのです。
つまり、「証拠品」?がネットで買えちゃうわけです。

これを活用するなら、鉄壁の「アリバイ作り」もそうそう難しいこと
でもなさそうですので、さあ現代の若者よ!
「抜け参り」という口実で、「ズル休み」に挑戦してみませんか?
もっとも、その果てに厳しい「おとがめ」が待っていたとしても、
それは筆者の責任ではありませんからね。 念のため。



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