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zoom RSS 日本史の「陰謀」20 確信犯?”殺生関白”を吹聴す

<<   作成日時 : 2017/02/20 00:01   >>

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何が違うの?・・・大方はこのくらいの説明になっています。
摂政 → 天皇に代わって「(まつりごと)(と)る」
      女性・幼年・病弱の天皇に代わって政務を執り行う。
      いわば「天皇の代理人」で、政策決済権を有する。      

関白 → 天下の万機を「(あずか)(もう)す」
      成人天皇の場合に政務についての協議・助言をする。
      いわば「天皇の補佐人」で、政策決済権を有しない。 

ついでにメモしておくと、「腕白(わんぱく)小僧」の「腕白」も、
この「関白」から出た言葉のようですし、また後段で触れる
殺生関白」もまた、この「摂政関白 (せっしょうかんぱく)」の
ダジャレ造語?になっています。

とは言っても、実際に「摂政」「関白」を経験された読者は
それほど多くはないと思われますので、そこでその辺りを
ちょいと補足しておくと、まず「摂政」として有名なのは、
やはり「聖徳太子」※(574-622年)でしょう。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
※煩雑なお話ですが、最近の教科書は、小学校で「聖徳太子(厩戸王)」、
  中学で「厩戸王(聖徳太子)」、高校では「厩戸王」にしているとのこと。
  なんてこった! これでは「歴史嫌い」がますます増えるばかりだゾ!
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なにせ第33代・推古天皇(女帝)摂政、つまり「天皇の代理人」
として、「冠位十二階」や「十七条憲法」を定め、天皇中心の
中央集権国家体制作りを目指したばかりか、さらには仏教を篤く
信仰することで、社会に大きな影響を与えた人物だからです。

しかし逆に、「摂政」を置くということは、身もフタもない言い方を
するなら、世間に向けてこう公言していることになります。
〜現天皇は必ずしも十二分な能力を備えてはおられないのダ〜
その意味では、「摂政」としての自らの言動が出過ぎたものに
なっていないかどうか、この点は聖徳太子ご本人としても、
案外のこと神経を使っておられたのかもしれません。

片や「関白」の方は、史上最初と言われている「藤原基経」(836-
891年)
以降、この地位を「藤原氏」がほぼ独占し続けました。
幼帝の「摂政」がそのまま成年天皇の「関白」に横滑りすることも
多かったようですから、その頃は天皇を半ば「飾り物」にすること
で、その威を借りた「(政)(白)」が実権を握るスタイルが
恒常化していたわけです。

この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば
(この世は自分のためにあると思えるゾ、満月並みに何も足りないものはない)
藤原道長(966-1028年)のこの傲慢不遜?な歌(1018年)からも、
関白家?藤原氏の隆盛がよく分かります。
要するに、関白という「天皇補佐人」の立場は天皇をコントロール
するのにまことに都合のよいものだぞ、と吹聴しているようなもの
だからです。

ちなみに、最後の「摂政」、最後の「関白」はどなたか?
公卿・二条斉敬(なりゆき/1816-1878年)という方が、その両方の
最後の人物に該当するとのことです。
ただしお話は幾分込み入っており、「最後の摂政」については、
「人臣における」という注釈が付きます。 

これが注釈なし、つまり皇族も含めての「最後の摂政」ということ
なら、父・大正天皇(1879-1926年)の摂政を務めた皇太子時代の
昭和天皇(1901-1989年)ということになるそうですから、その意味
では「摂政」は割合に最近まで活躍されていたことになります。


豊臣秀次02 豊臣秀次・処刑51








豊臣秀次/秀次の「生首」前で一族の公開処刑

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さて、お話はダジャレ造語?の「殺生関白」に移ります。
この言葉自体は豊臣秀吉(1537-1598年)の後継者となった関白・
豊臣秀次(1568-1595年)を揶揄?非難?したものですが、こんな
ふうの書き方で登場しているようです。
〜天皇の喪中に狩り(殺生)をした関白・秀次の不道徳は、
  「殺生関白」と落書きされた〜

※織田信長・祐筆の太田牛一による「太閤さま軍記のうち」

この「落書き」が実際にあったのかどうかもイマイチ怪しいとされ
ていますし、もし仮にあったとしても、ここで言っていることは、
〜今回、間の悪いタイミングで狩り(殺生)をされた関白様(秀次)
  のことを面白がって「殺生関白」って落書きした奴がいたゾ〜

この程度のニュアンスに感じられます。

もっとも、ここではその悪行?の数々も、具体的に紹介されて
いるそうで、たとえば、
酒に溺れる/夜中に辻斬り/農民を標的にして鉄砲稽古/
正室母子を併姦/妊婦を殺害し胎児を引きずり出す・・・

ただし、学者先生方は、秀次のこうした暴虐・乱行を記した
資料は牛一の筆が初見であり、それ以前には一つもないことを
指摘しています。

実際、秀次の実像はどうもこんなではなかったようで、たとえば
キリスト教宣教師たちなぞは「思慮深い青年」とか、あるいは
「秀吉とは違ってみんなに好かれる性格だった」と、割合に
好意的な感想・評価をしています。
※もっとも、「残虐な性癖だった」とする宣教師・フロイスの記事もある。

それに、秀次は御公家衆とも付き合いができるほど教養豊かな
文化人であったともされています。
ところが、その御公家衆お歴々の日記なども、秀次のそうした
噂?の暴虐・乱行について一言も触れていません。

御公家衆というのは、この手の残虐・蛮行には最も敏感であり、
極端に嫌う人種ですから、仮に秀次本人がひた隠しに隠して
いたとしても、それに気が付かないわけがありません。
ですから、この種の人たちが筆にしなかったのなら、やはり実際
にも、この手の暴虐・乱行の事実はなかったとするのが素直な
受け止め方ということになりそうです。

むしろ、この秀次を晒し首にし、その挙句にわざわざその首の
前で幼い若君や姫君たち、さらには側室・侍女・乳母ら数十人を
斬首させた太閤・秀吉の方が遥かに残虐嗜好の持ち主だった
と言えるのかもしれません。
実際、この様子を目撃した当時の人達の間には、「酷すぎる、
なにもそこまで・・・」
 こんな声もくすぶったとされています。
※「摂政」または「関白」の職を引退した人物のこと。

もちろん、そこまで踏み切らせたのは、我が子・秀頼の将来に
禍根を残さないための太閤・秀吉の親心だったのでしょう。
ですから、秀吉は我が子・秀頼の正当性を担保するためにも、
世間に向け、「秀次は関白欠格者」であることを訴える必要が
あったわけです。

そこで太閤・秀吉による「情報操作」です。
〜ええか皆の衆! 関白・秀次なんてのはハナから殺生
  大好き人間で、とんでもない人格破綻野郎なんだゼ〜

こうして「殺生(残虐)関白・秀次」のイメージが作られた?

戦国の世・群雄割拠の真っ只中にあって海千山千の諸武将を
ひざまづかせた実績を持つ秀吉ですから、世間の目を欺く策略
くらいは、それこそ「お茶の子さいさい」だったと思われます。
つまり、この巧みな情報操作?によって、関白・秀次は教養ある
「好青年」から、残虐極まりない「殺生関白」に貶められた?

「敗者」が「貧乏クジ」を引かされることは歴史の常であり、その
真理?を分かりやすい形で教えてくれているのが、この言葉
「殺生関白」なのかもしれません。

「敗者」という立場は確かに惨めなものです。
早い話が、我が身の潔白を証明しようにも、その時には大抵の
場合、すでに墓の下ですから手の打ちようもありません。
敗者?関白・秀次も、事実この通りのパターンに見舞われた
ことになります。

ところが、この秀次切腹(1595年)の三年後には秀吉が没します。 
さらにその後20年を経ずして、その秀吉が必死に守ろうとした
息子・秀頼と共に「豊臣家」そのものが滅亡(1615年)するに至り
ました。 なんとも呆気ないものです。

こうした経緯に、おそらく世間は「盛者必衰」という思いを抱いた
でしょう。 しかし風評被害者?の本人・秀次からすれば、
〜えぇい、バチが当たったんじゃ!因果応報じゃ!〜
・・・少しは溜飲を下げたのかもしれません。

ちなみに、お話はまた飛んで、今度は草野球。
もし相手チームを一方的に負かした試合の場合、その後には、
メンバーが集って「祝勝ビール」という流れがあります。
その時の冒頭の音頭は「圧勝乾杯!」となり、これが負けチーム
反省会の弁になると「逸勝完敗」になります。

さて、このどちらもが見事に「摂政(殺生)関白」のダジャレに
なっていることにお気が付かれたでしょうか?
この機会に、ぜひお気付きいただきたいと願うところです。




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