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zoom RSS 日本史の「油断」06 龍馬はどれ?”○○屋事件”

<<   作成日時 : 2017/02/10 00:15   >>

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寺田屋池田屋・・・坂本龍馬(1836-1867年)の暗殺現場は
どっちだっけ?
一瞬迷いが走りますが、どっこい、意地の悪いことに正解は
「近江屋」なんですねぇ、これが。
ちなみに(どうでもいいことですが)、筆者の町の「酒店」は
由緒正しく屋号「三河屋」を名乗っています。

それはともかく、寺田屋池田屋近江屋・・・いずれも幕末の
「事件現場」になった場所です。
ところが、その名称がなんとなく似ていることと、そこに登場する
人物までもが重なり合っているために、うっかりすると、それ
どころか、しなくても間違えてしまうことが少なくありません。

こうなってしまうと、四角四面の正攻法?ではチョックラチョイと
埒が明くものではありません。
そこで、まず事件の舞台となった「○○屋」の各々について少し
整理整頓することにしてみました。

寺田屋→京の郊外(伏見)の旅館/薩摩藩の定宿
池田屋→京の市中(三条)の旅館/事件後、池田屋主人も獄死
近江屋→京の市中(河原町)醤油屋/土佐藩邸の真向かい
ここへこれらの「○○屋事件」を重ね、年代順に追ってみると、 

1862年・最初の「寺田屋事件」/薩摩藩志士粛清事件
→「公武合体路線」を是とする薩摩藩最高権力者「島津久光」
  (1817-1887年/島津藩主・忠義の父君)の命により、薩摩藩の
  過激派尊攘派浪士たちを、薩摩藩士が粛清に及ぶ。
  ですから、少し醒めた言い方をすれば薩摩藩の「内ゲバ」?

1864年・「池田屋事件」新選組」による攘夷派浪士襲撃事件
→密談中の長州・土佐の尊攘派浪士たちを京都守護職配下
  「新選組」が襲撃 ※新選組・近藤勇は「洛陽動乱」と名付けている
→この会合への到着が早すぎた長州・桂小五郎(1833-1877年)
  は、一旦現場を離れたため難を逃れています。

→この死闘では、新選組・沖田総司の「喀血」と、浪士の一人が
  階段から転げ落ちる、いわゆる「階段落ち」のエピソードが有名
  ですが、ただ当時の証言?によれば、総司が「体調不良」で
  屯所に引き取ったとはあるものの「喀血」の指摘はなく、また
  もう一つの「池田屋階段落ち」のお話の方も確たる証拠がある
  わけではないようです。

1866年・二度目の「寺田屋事件」坂本龍馬襲撃事件
→宿泊中の坂本龍馬らを伏見奉行所が襲撃。
  夜中に入浴中だった龍馬の恋人・お龍(1841-1906年)
  捕り手の気配を察知するや、急ぎ二階の龍馬及び三吉慎蔵
  (長府藩)に知らせたエピソードで有名です。
※この時のお龍は「袷一枚」の姿だったとも、「全裸」だったとも。

→さらには、この捕り物で龍馬が長州・高杉晋作(1839-1867年)
  から贈られた「ピストール」(拳銃)で応戦(役人2人を射殺)した
  お話もよく知られています。 
  しかし肝心なのは、怪我を負ったものの、龍馬はここでは
  「暗殺」されていないという事実です。


龍馬慎太郎51 近江屋部屋51








坂本龍馬&中岡慎太郎/近江屋の部屋(再現)

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1867年・「近江屋事件」坂本龍馬ら暗殺事件
→土佐脱藩者の坂本龍馬中岡慎太郎及びその用心棒?山田
  藤吉
の三人が襲撃を受け暗殺。※京都見廻組実行説が有力

龍馬はこの時も拳銃を所持していたものの、発砲する間もなく
  斬殺(ほぼ即死)
  また同様に兇刃を受けた中岡慎太郎(1838-1867年)は、その後
  二日間ほど生き延び、襲撃の様子を「詳しく」?語ったと
  されています。
  しかし、その後になって「実行犯は新選組」との噂も上ったこと
  からすると、中岡自身もよく分からなかったものか、あるいは
  息はあったとしても、証言時にはすでに意識混濁に陥っていた
  のかもしれません。

こうした一連の「○○屋事件」には、薩摩・長州・土佐の藩士・
浪士ばかりか、新選組坂本龍馬などまでが登場します。
さらにややこしいことには、この中には二つの「寺田屋事件」
あり、おまけに龍馬は龍馬で「寺田屋」「近江屋」の双方に
顔を連ねるなど、皆が「てんで我々」に行動していますから、
その理解を一層複雑難解なものにしているわけです。

そこで、「○○屋事件」の各々を下記のキーワードとセットで
捉えてみる方法はいかがでしょうか。
       一度目の「寺田屋事件」→薩摩藩の内ゲバ?
      (その2年後)「池田屋事件」→新選組の襲撃。 
(その2年後)二度目の「寺田屋事件」→龍馬のピストール。
      (その翌年の)「近江屋事件」→龍馬と中岡ら暗殺さる。

なに・・・これでも分かりにくいってか?
それなら、このインスタント「四文字熟語」でどうだッ!
寺一薩摩 ○池田新選 ○寺二拳銃 ○近江暗殺

ともあれ、政権が幕府から朝廷に移った「大政奉還」成立から
1ケ月後の坂本龍馬中岡慎太郎の暗殺でした。
ですから、両人はさらにこの1ケ月後に成った「王政復古」
(1868年)※を見ることはできませんでした。
※江戸幕府を廃絶し、新体制による新政府の樹立を宣言した政変。

ただし、現代の評価はともかくとして、この坂本龍馬が純粋に
「正義の人」だったかといえば、実は、二度目の「寺田屋事件」
役人を殺したために、当時の法律では「指名手配凶悪犯」?の
扱いになっています。

つまり、龍馬は「法令順守」より「国難打開」の方が大事として
行動していたことになります。 そうした人物が暗殺されてしまう
のですから、これを思うと「幕末」が掛け値なしに「激動の時代」
だったことは間違いありません。

ああ、それなのに、〜龍馬はどれ?○○屋事件〜だなんて
ノンキなセリフは、まったく非国民のそしりを免れないところです。
自重自戒ッ!




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