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zoom RSS 日本史の「信仰」05 無理を通せば”祟り”が怖い

<<   作成日時 : 2017/01/25 00:01   >>

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政界絶対の実力者・藤原不比等(659-720年)の三女として
生まれた光明子(701-760年)は、後に第45代・聖武天皇
(701-756年)に嫁ぎ、さらには史上初の「人臣皇后」にまで
上り詰めた(729年)ことで、別に「光明皇后」の名でも知られて
います。
しかし、この〜皇族以外の者が「皇后」になること〜つまり
「人臣皇后」の出現は、この国の昔の昔からの伝統・ルールを
根底から覆す出来事でした。

なぜなら、万が一天皇が先立った場合の対処として、皇后が
その地位を継承して「即位」するケースもあり得るからです。
もしそうなれば、「君臣」の垣根を無視した「人臣天皇」?が誕生
することにもなりかねません。

これは「あってはならないこと」ですから、その予防策?として
〜皇族以外の者が「皇后」になること〜をきつく避け続けて
きたわけです。
こうした伝統を無視した「人臣皇后」案?に対しては、当然のこと
ながら、時の政界重鎮・長屋王(684-729年)を筆頭とする皇族側
から、猛烈な「反対」意見が示されました。

それにも関わらず、なぜ「人臣皇后」が誕生したのか?
〜話し合いではラチが明かん!〜 こう見切った藤原一族が、
反対派皇族の急先鋒である長屋王を無実の罪に陥れ、その
挙句に自殺に追い込んだからです。
※この頃既に不比等は亡く、その息子の四兄弟が政界を牛耳っていた。

ですから、自分が「皇后」の地位に就けた裏には、長屋王に
対して、四人の兄ちゃんたちが仕組んだ無理・無謀があっての
こと。 いかに「お嬢様育ち」だったとしても、これくらいのことは
光明皇后自身もウスウス承知していたに違いありません。

そうなると、こんなことが気持ちに引っかかってきます。
○なぜ、自分は健康な「男の子」を生めないのか?
  (光明皇后が最初に生んだ男子「基王」は夭逝した)
○なぜ、夫・聖武天皇は、これほどまでの病弱が続くのか?
○なぜ、旱魃・飢饉・地震などの凶事が続発するのか?
〜ひょっとしたら、それまで重ねてきた我が藤原家の無理・
  無謀が咎められているのではないかしらん?〜


そんなことを気に病んでいる光明皇后に、今度は超ド級の不幸
が襲います。
その無理を仕掛けた張本人である実家藤原の四人の兄ちゃん
たちが、なんと同じ年(737年)に相次いで死んじゃったのです。


奈良大仏51 光明皇后楽毅論51












奈良の大仏・東大寺盧舎那仏像/光明皇后・楽毅論

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現代の科学的な目で見れば、四人の死因は「伝染病」(天然痘)に
よるものと、冷静な判断もできます。 しかし科学が未熟な時代
ですからそうは考えません。 何しろ、光明皇后自身が心に
メッチャ大きな「負い目」を抱えているのです。

〜こんな不幸が続くのは、きっと藤原の兄ちゃんたちが無実の
  罪を着せて、死に追いやった長屋王の「祟り」だわ! 
  そうでなければ、こんなことは絶対にあり得ないじゃん!〜


人の世の出来事であれば、何とか手を打てる権力者でも、
相手があの世(怨霊)に起因する「祟り」ともなれば、これはもう
お手上げです。
こうなると、たとえばアナタのような悪人でも、ごくごく自然に
「神仏にすがる」という思いが生まれようというものです。

その意味では、光明皇后も典型的な日本人でした。
なにはさておき「神仏にすがった」のです。
ただ、祟りを払いのけるための「すがり方」は、当然のこと
庶民感覚?からはかけ離れたレベルのものになります。

○国ごとに「国分僧寺」「国分尼寺」の建設を命じた。(741年)
○仏教を尊ぶとして「奈良の大仏」を建立。(着手745年-開眼752年)
もちろん、これらのことには「綺麗ごと」で固めた表向きの理由が
並べられました。 いわゆる「公式声明」という曲者です。
しかし本音のところでは、自らに降りかかった長屋王の「祟り」に
対するバリアパワーを期待したものだったのでしょう。

これらの行為は、一応は譲位(749年)前の聖武天皇の発意と
されています。
しかし、母・宮子(?-754年)も妻・光明子も、藤原不比等の娘で
あり、藤原四兄弟の「きょうだい」に当たることを考慮に入れる
なら、おそらくは藤原家をバックにしたこの二人の女性に厳しく
尻を叩かれてのことだっただったのでしょう。

ですから言葉を変えれば、恥も外聞もかなぐり捨てて、長屋王
対する「祟り封じ」に躍起になった光明皇后サイドの姿が、
「国分寺」「東大寺大仏」建立を初めとする、数々の善行?
だったと言えるのかもしれません。

実は、この光明皇后の性格が窺える書き物「楽毅論」(744年/
44歳)
が残されています。
〜筆力は雄健、構成は軽視〜と評される通り、素人目に見ても、
文字の並びはクネり、サイズも大小のアンバランスが目立って
います。

このことから、物事に対する「気配り」が苦手な女性だったことが
推察されますし、またその署名が「藤三娘」(藤原家の三女)
なっている点に注目するなら、「天皇家の皇后」であることより
実家「藤原家の娘」であることの方を誇りにしていた「わがまま
お嬢さん」だったことも考えられないわけではありません。

そうなると、なんともお気の毒なのは、この光明皇后の夫・
聖武天皇です。
元々が気も弱い上に、病弱だったことも重なって、現在でも
/皇后の尻に敷かれっ放しの天皇/藤原氏のロボット天皇/
さらには、/居場所がなくて家出?を決行した天皇/とか、
少なくとも、ご本人が喜べないであろうイメージで語られ続けて
いるのですからね。

唯一の名声?は、ご自分の意思だったかどうかは別にして、
「奈良の大仏様を造った天皇」と称されるところでしょうか。 
生涯こんなにビビリまくるのだったら、「大仏」よりも先に、
自分の女房に対して、「丑の刻参り」用の藁人形を作るべき
だったような気もするのですが・・・あぁそうか、この呪いの儀式は
本来は「女性」が行うものでしたっけね。


 

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