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zoom RSS 日本史の「誤算」03 急進派・安兵衛の目論見

<<   作成日時 : 2017/01/05 00:01   >>

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「堀部武庸」(ほりべたけつね/1670-1703年)の名で、すぐさまピンと
来る人は少ないかもしれませんが、別の名乗りならかなりの
有名人と言えそうです。
チョンガー時代は「高田馬場の決闘」(1694年)「中山安兵衛」
として、また所帯を持った後の「堀部安兵衛」の名は、赤穂事件・
「吉良邸討ち入り」(1703年)浪士の一人としてよく知られている
と思われるからです。

そもそも、「中山姓」から「堀部姓」を名乗ることになったのも、
この「高田馬場の決闘」の経緯を聞きつけた赤穂藩士・堀部
金丸(弥兵衛/1627-1703年)が、安兵衛を大変気に入り、娘婿に
迎えたからでした。
ですから、この当時すでにメッチャ腕の立つ剣客として「有名人」
だったことになります。

さて、赤穂浪士による「吉良邸討ち入り」は、芝居・ドラマなどでは
「忠臣蔵」として、これまでも繰り返し描かれているので、割合よく
知られた物語(但しフィクション)になっていますが、一方「高田馬場」
は、その登場頻度も少なく、幾分マイナーな印象がします。

では、その「高田馬場の決闘」とは一体どんなものだったのか?
丁寧に順を追うなら、それはそれでロング・ロング・ストーリーに
なってしまいます。 そこで、エイヤッとばかり乱暴に要約する
なら、概ねこんな按配になるのでしょうか。

〜1694年(元禄7)のこと、伊予国西条藩の家臣・菅野と同・村上
  の間の決闘が起き、縁あって菅野の助太刀をした安兵衛の
  見事な働きぶりが評判になった〜

この決闘の場所が江戸郊外の戸塚村・「高田馬場」(現:新宿区
西早稲田)
だったわけです。

おそらくは助太刀を含めても当事者が「数人VS数人」の決闘
だったと思われ、事実、後の史料によれば、安兵衛本人は
「3人」を斬ったと述懐しているようです。 
※但しこの史料が本物だとした場合

ところが、当時の瓦版はこれを「安兵衛の18人斬り」と紹介した
ようで、芝居やドラマは勿論「人数の多い」方で取り上げます。
たった?「3人」よりは、ガバツと「18人」の方がお話としては断然
派手で面白いわけですから当然の選択ですね。

ただ安兵衛は剣がメッチャ立つだけでなく、固い言葉で言うなら、
「文武両道」に秀でた人物といったところで、「堀部武庸筆記」
なる記録を残すほどの文才も備えていました。
赤穂事件・吉良邸討ち入り後の経緯にも触れた、この安兵衛の
筆は後世の赤穂浪士研究の貴重な資料になっているとのこと。


安兵衛高田馬場51 安兵衛討入51








「高田馬場の決闘」中山安兵衛/「吉良邸討入り」堀部安兵衛

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さて、事もあろうに殿中での刃傷に及んだ赤穂事件(1701年)
結末は、犯人?浅野内匠頭(長矩/1667-1701年)本人は即日
切腹の上、赤穂浅野家には改易(取り潰し)の沙汰が下りました。

実はこれ以降の安兵衛は、ハナから「討ち入り」決行を強硬に
主張し、元家老・大石内蔵助(1659-1703年)に対しても催促を
繰り返していました。 そのため後世の言葉では、この安兵衛
たちのグループを「江戸急進派」と呼んでいます。

ところが、当時の大石には、長矩の弟・長広(1670-1734年)
立てることで、浅野家再興を模索していた様子が窺えます。 
大石の身近にいた安兵衛が、そのことに気が付かなかったはず
もありませんから、その「急進派」姿勢の裏には安兵衛なりの
目論見があったとするのが素直な見方でしょう。 
まさに「腹にイチモツ、手に荷物」です。

確かに、大石が模索していた方法での浅野家再興の可能性は
同様事件の過去の判例?からしても、全くのゼロだったとは
言い切れません。 
しかし、その可能性がメッチャ低いとみるのもまた常識であり、
仮に首尾よく「再興」されたとしても、おそらく減封など、それなり
の処罰は免れなかったでしょう。 そうなれば、家臣とてイヤでも
一定のリストラは覚悟しなくてはなりません。

その場合、仕えて4年目の新参者・安兵衛が、リストラ対象に
挙がる可能性は決して低くありません。 
ですから、大石による「浅野家再興」運動は、安兵衛にとっては
案外に「ありがた迷惑」なものだったことも考えられます。

つまり、安兵衛はこんな青写真を描いて「討ち入り」に固執した
のではないか? 
○泰平の世の「武力行動」は俄然目立ち、大きな関心を呼ぶ。
○世間・諸大名に「義に篤い」人間であることをアピールできる。
○剣の達人・ワタシが斬り合いで「戦死」することも考えにくい。
つまり、総合的に判断すれば、
〜「討ち入り」実行の”経歴”は他家仕官になにかと有利に働く〜

その上に、十年近く前の「高田馬場の決闘」の記憶も残っている
でしょうから、つまり「討ち入り」を成就させた後の安兵衛には、
こんな名声が待っていることに? 
〜「平和ボケ」の世に覚悟の行動をもって義を示した安兵衛殿
  はじめ赤穂の浪士達は偉い、ホントに超エライッ!〜

ちなみに、事実かどうかは別として、やたら腕の立つ?吉良家の
剣客・清水一学を討ち倒したのも、この安兵衛だとされています。

こうなれば、仮にリストラを食らったとしても、「武士の鑑」また
「討ち入りの金メダリスト」としての安兵衛に、諸藩から数多の
オファーが届くことも、決して夢ではありません。
考えてみれば、曾祖父の代から仕える家老・大石とは違って、
安兵衛は入社?して日もまだ浅いのですから、なにも仕官先を
「浅野家」だけに絞り込む必要もないわけです。

つまり、「直球」で「浅野家再興」を計った大石に対し、安兵衛は
「変化球」で「再就職」を目論んだのでは?
ただ、事は安兵衛の目論見通りには運ばず、自身を含む
いわゆる「赤穂浪士」全員に切腹の沙汰・・・
結局、安兵衛の再就職の夢が叶うことはありませんでした。

しかし、安兵衛自身は案外サバサバしていたかもしれません。
〜家老・大石様のプランの成功率は1%程度、この安兵衛の
  目論見の成功率は5%というだけのことで、ハナから「ダメ元」
  の腹だったのだから、何の悔いもありゃせんゾ〜


そして、もうひとこと。
〜それにしても、殿中刃傷に及ぶが如き、筋金入りのスカタンを
  主君に持ったことは、安兵衛人生最大の不覚だったッ!〜




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