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zoom RSS 日本史の「信仰」04 災い列島!幕末の改元

<<   作成日時 : 2016/12/15 00:01   >>

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芳しくないことが続くと、〜それまでのことを水に流す〜とか
〜祓い給え清め給え〜などの神道的感性をもって、心機一転、
あるいは気分一新、つまり「仕切り直し」をしたいとする心根を
日本人は昔から持っているようです。

別の言葉にするなら、ソロバンの〜御破算で願いましては〜
いう掛け声と同様なもので、それ以前のことはチャラにして、
そこから新たな取り組みを始めようとする心情です。
実は「元号」の「改元」にすら、そうした雰囲気を感じさせるもの
が見受けられます。

幕末期に行われた改元、「嘉永」→「安政」→「万延」の流れは
明らかにそうした事情によるものだったと思われます。
※嘉永(1〜7年) 1848・04・01〜1855・01・15 「安政」に改元
※安政(1〜7年) 1855・01・15〜1860・04・08 「万延」に改元
※万延(1〜2年) 1860・04・08〜1861・03・29 「文久」に改元

なぜなら、元号「嘉永」の最後の年「嘉永7年」の日本国には
未曽有の大災難が続いていたからです。
03月03日/1854・03・31 日米和親条約締結(鎖国を放棄)
04月06日/1854・05・02 京都大火/禁裏より出火・炎上
04月21日/1854・05・17 ペリーとの通貨交換率の交渉
06月15日/1854・07・09 伊賀上野地震(内陸直下型)
11月04日/1854・12・23 巨大安政東海地震/大津波発生
11月05日/1854・12・24 その32時間後に巨大安政南海地震
11月07日/1854・12・26 そのまた40時間後に豊予海峡地震
11月27日/1855・01・15 辛抱堪らんとばかりに「安政」に改元
※これらの地震は、実際には「嘉永」年間に発生したものの、和暦同年に
  改暦を実施したため、その名称には改暦後の「安政」が冠されている。

わずか数ケ月の内に、長らく死守?してきた鎖国政策は
崩壊(条約締結/通貨交渉)し、天子様の御自宅?は火災に遭い、
さらには日本全国が巨大地震による大被害に見舞われ続け、
その上に津波による被害までもが連続したのですから、
〜御破算で願いましては〜への思いが募るのは無理も
ありません。

では、「改元」後の期待?の新元号「安政」年間はその目論見
通りに「災難なし」の落ち着いた世情になったのか? 
実はそうはなりませんでした。

言葉を変えただけで物事がうまく運ぶほど、この頃の世の中は
甘くはないということでしょうが、続く「安政」年間はこんな状況を
呈したので、これを少し並べてみましょう。


地震安政江戸51








安政江戸地震/安政2年10月2日夜10時頃

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まずは安政元年
12月21日/1855・02・07 日露和親条約締結
続いて安政2年
02月01日/1855・03・18 飛騨地震(内陸直下型)
10月02日/1855・11・11 安政江戸地震(死者1万人?)

明けて安政3年は、天変地異だけに絞っても、
07月23日/1856・08・23 安政八戸地震/津波被害も発生
08月25日/1856・09・23 江戸に猛烈台風(死者なんと10万人)

安政4年は飛んで、安政5年には政治的混乱も目立ってきます。
02月26日/1858・04・09 飛越地震(安政2年とは別の地震)
03月12日/1858・04・25 廷臣八十八卿列参事件
06月19日/1858・07・29 安政の五か国条約に無勅許で調印
09月05日/1858・10・11 井伊直弼の反対派弾圧「安政の大獄」
そして追い打ちをかけるように、この頃から「コレラ」の大流行が
始まっています。

安政6年になると、経済不安まで招き、さらに問題山積です。
05月25日/1859・06・25 金流出対策として新金貨銀貨の鋳造
               ただしアメリカの抗議を受け2か月後には停止
12月27日/1860・01・19 最低品位の銀貨を流通させる

そして、最後の安政7年には留めの一撃。
03月03日/1860・03・24 大老・井伊直弼暗殺「桜田門外の変」

こうなると、いくら「鈍感力」豊かな人でも〜祓い給え清め給え〜
あるいは〜御破算で願いましては〜という気持ちになろうという
もので、実際そうしました。
「桜田門外の変」の二週間後(安政7年3月18日)、御利益?の
なかった元号「安政」を捨て、「万延」に改元したのです。

ではでは、今度の新元号「万延」※1は、期待通りに災難のない
時代を長く継続させることができたのか?
実は、これはハナから短期間を想定した上での改元だった
ために、実質は1年足らず※2で姿を消すことになります。 
※1) 1860・04・08〜1861・03・29「文久」に改元
※2) 年表では万延元年と万延2年という表現になる


昔から干支「辛酉(かのととり・しんゆう)」の年には「改元」を
行う習慣になっていて、この1861年がまさにその「辛酉の年」に
当たっていたからですが、それでも、その一年が待ち切れずに
「安政」→「万延」の「改元」に踏み切ったのですから、
〜祓い給え清め給え〜また〜御破算で願いましては〜
こうした思いがいかに強く社会全体に拡がっていたものか、
想像がつこうというものです。

ですから、幕末期における「嘉永」→「安政」→「万延」の改元の
連続は、言葉を変えれば、「幕末期」とはそうせざるを得ない
ほどの災難に見舞われ続けた時代だったということになります。

平成07・01・17 阪神・淡路大震災 (兵庫県南部地震)
平成16・10・23 新潟県中越大震災 (新潟県中越地震)
平成23・03・11 東日本大震災 (東北地方太平洋沖地震)
平成28・04・14 熊本地震の前震/震度7
平成28・04・16 熊本地震の本震/震度7

こうして眺めると、「平成」日本も、まさに「幕末期」並みの災難
続きで、ともすれば、〜御破算で願いましては〜という気持ちが
頭をもたげそうになるところです。 
しかし、そうは言わずに〜がんばろう、ニッポン!〜を合言葉に
奮闘しているのですから、「平成」日本って結構逞しい!?




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