ヤジ馬の日本史

アクセスカウンタ

zoom RSS 日本史の「誤算」02 就職浪人?五畳に引き籠る

<<   作成日時 : 2016/12/10 00:01   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

〜ボクも大人になったら、父ちゃんがみたいに「賀茂御祖神社」
  (下鴨神社/京都)の禰宜様になるのだッ〜

こう心に誓った幼い頃の鴨長明(1155-1216年)は、恵まれた環境に
あって、いわゆる「お坊っちゃま」の日々を送っていました。 
ところがハイティーンの頃、その父ちゃんが亡くなり、生活は
一変。 ※禰宜(ねぎ)=神職の職名で偉い順に、宮司/禰宜/権禰宜

空いた禰宜の座を求めて、早速「採用試験」を受けましたが、
通知は「不合格」。 モトからハングリー精神が不足していたの
かも知れませんが、ともかく大きな挫折感を味わいました。
いわば、これがお坊ちゃま・長明の初めての「就職浪人」です。

以降の私的生活は、それほど詳しくは分かっていません。
ただ、20代には結婚もして、子供も設け、また30歳の頃には
離婚に至っていたようです。

その頃からか、あるいはもう少し後かも知れませんが、ともかく
先生について和歌も学び、数多の「歌合」(うたあわせ)※にも参加
を重ね、次第にその実績を積み重ねていくようになりました。
今でいうなら、「コンテスト荒らし」?みたいなものでしょうか。
※歌人を二組にわけ、その詠んだ歌を比べて優劣を競う会

その甲斐あって、長明47歳(1201年)のこと、「和歌所寄人」
(わかどころよりうど)に任命されました。
これで少なくとも「無職」ではなくなったものの、ただ「和歌所」
とは、和歌撰述のため宮中に置かれる「臨時」の役所であり、
「寄人」とは職員ほどの意味ですから、随分と不安定な職場でも
あったわけです。

そうこうする内、長年の念願だった「賀茂御祖神社」の禰宜職に
欠員ができるや、この時50歳(1204年)長明は、その就任に
俄然の意気込みを見せました。 
何せこの折は、「推挙するにやぶさかではないぞ」との後鳥羽
上皇の意向まで得ていたのですから、その後援者の箔から
しても、「さらば、就職浪人」は間違いなし・・・はずでした。

ところがこれも土壇場でひっくり返されてしまいます。
これも「お坊ちゃま育ち」で、押しの強さが不足していたせいかも
しれません。 
しかし、これでは長明ならずとも、さすがに落ち込みます。

ガックリきた長明が選んだ生活は「出家」、要するに世俗を
離れて仏門に入る道でした。
〜もう他人との競争には疲れた。ここならその必要もあるまい〜
おそらくは、こんな気持ちも働いたのでしょう。

55歳(1209年?)の頃には、さらに山の中に引っ越し、その地に
自著のタイトルにもなっている「方丈」、つまり「一」の
小さな庵を設けて隠棲生活です。 現代の単位に直せば、
まあ3.0m×3.0m、つまり五畳ちょっとの広さです。


方丈記庵51 方丈記長明01







方丈の庵(復元)/鴨長明

 にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ  ↓コメント欄はいちばん下↓
↑応援クリックは↑

ところが、そんな境遇にあった長明に、驚くべき大チャンスが
訪れました。
後援してくれる人があって、なんと、鎌倉3代将軍・源実朝
(1192-1219年)の和歌の先生に推薦されたのです。 
長明57歳(1211年)の時のことでした。

時の最高権力者の先生に、今風にいうなら総理大臣の英会話
教授?に納まるようなものですから、普通なら多少の「ゴマスリ」
をしてでも、その座にしがみつこうと考えるものです。 
ところが、その「ゴマスリ」がメッチャ下手だったのか、それとも
ハナからしなかったのか、ともかく、実朝側からの最終通知は
「不採用」!

そこには、歯車の噛み合わないものがあったのかもしれません。
ちなみに、同じように「海」をテーマにした歌を並べても、長明
実朝では、素人の目にもはっきりとした違いが感じられます。

長明 松島や 潮くむ海人の秋の袖月は 物思ふならひのみかは
 ※秋の袖に月が宿るのは、物思う人の慣(なら)いかと思ったが、松島の
   海水を汲む人の袖だってびっしょり濡れて、そこに月の光を映しているゾ。


実朝 大海の磯もとどろに寄する波 割れて砕けて裂けて散るかも
 ※大海の磯もとどろき響けとばかり激しく打ち寄せる波は、割れて、砕けて、
   裂けて、しぶきをあげて飛び散っているゼ。


実際、東映映画オープニングに映し出される、岩に飛び舞う
躍動感溢れる波を連想させる実朝の歌に比べ、長明の歌には
そうしたものがとことん希薄で、遠慮なく言えば随分辛気臭い
イメージが漂っています。
ですから、こうした歌風の違いを実朝自身が嫌った?ことが
「不採用」の理由と考えられないわけでもありません。

またまた「就職浪人」に戻ったその長明が、その最晩年に取り
組んだのが、随筆「方丈記」(1212年?)でした。
ちなみに、後世これは「徒然草」(吉田兼好/1330年?)及び
「枕草紙」(清少納言/996年?)と並び、「日本三大随筆」と評され
ています。

タイトルにある「方丈」とは、先に挙げた「一丈四方」の狭い庵を
指しており、要するに、狭い庵から世間という広い世界を観察し、
その印象を書き記したもの、ほどの意味になっています。
あるいはそこに、自らの姿が「引きこもり」?じみていることの
自嘲も込めていたのかもしれません。

〜ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
  よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく
  とどまりたるためしなし〜

これが有名な書き出し部分で、確かに言葉のリズムにも素晴ら
しいものが感じらるところですが、いやがうえにも「無常感」に
溢れています。

ちょうどこの頃、貴族政治が終焉を迎え、史上初の武士政権
「鎌倉幕府」が創立(1185年?)されています。
ですから、この力の強い者勝ち残った者が正義という新しい
価値観が蔓延した「新時代」の誕生と、その流れに乗り切れ
なかった長明のこの強い「無常感」が、まったく無関係だったとは
思えないところです。

蛇足ですが、本のタイトルも「方丈記」だからその「無常感」が
漂うのであって、これが「方十丈記」ともなると、五百畳を超える
広さですから、これでは「無常感」よりも、何となく「イヤミ」な
感じが漂ってしまうわけです。




 にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ  ↓コメント欄はいちばん下↓
↑応援クリックは↑



−−−これまでの 「誤算」 シリーズ−−−−−−−−−−−−−−−−
369 日本史の「誤算」01 読者サービス?欠史八代 「神代」なりのご苦労
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ヤジ馬の日本史〜超駄級・200記事一覧〜 前編「あ→と」巻 七転び八起き!
ヤジ馬の日本史〜超駄級・200記事一覧〜 後編「な→ん」巻 あゝ七転八倒!
ヤジ馬の日本史〜超駄級・300記事一覧〜 202−299編 堂々肩すか史!
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−




学習漫画中国の歴史(全11巻セット・カラーケース入り) [ 春日井明 ]
楽天ブックス
春日井明 川勝守 集英社BKSCPN_【gakusan_CPN】BKSCPN_【コミック・書籍全巻セ

楽天市場 by 学習漫画中国の歴史(全11巻セット・カラーケース入り) [ 春日井明 ] の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル

仕事に効く教養としての「世界史」 [ 出口治明 ]
楽天ブックス
出口治明 祥伝社BKSCPN_【bookーfestivalーthr】 発行年月:2014年02月22

楽天市場 by 仕事に効く教養としての「世界史」 [ 出口治明 ] の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
日本史の「誤算」02 就職浪人?五畳に引き籠る ヤジ馬の日本史/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる