ヤジ馬の日本史

アクセスカウンタ

zoom RSS 日本史の「女性」22 手抜かり!戦国人質作戦

<<   作成日時 : 2016/11/30 00:01   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

官僚的能力には抜きん出たものを持ちながら、武勇面では
イマイチの評価だったのが、豊臣秀吉(1537-1598年)の腹心・
石田三成(1560-1600年)です。
それを案じたものか、秀吉は「忍城」の攻略(1590年)をこの
三成に命じました。 最も落としやすい城と睨んだからです。
※忍城(おしじょう)/戦国時代の関東七名城の一つ/埼玉県行田市

「戦歴」、今でいうならキャリアを付けてやるための配慮?だった
のでしょうが、しかし結果として、それでも落城とはなりませんで
した。 もっともこれには、秀吉があれこれうるさく「口を挟んだ」
ことで、三成が自分の思い通りの戦い方ができなかったせい・・・
こんな見方もあって一概に三成の「能力不足」とばかりは決め
付けられません。 しかし、それから十年。

今度は「関ケ原の戦い」(1600年)の直前のお話です。
秀吉亡き後の豊臣家を切り盛りしていた三成は、有力武将を
味方につけるべく、その妻子を人質に取る作戦に出ました。
人質を大坂城に留め置くことで、彼らが徳川方につくことや、
あるいはその後の「心変わり」?「裏切り」?予防の思惑が
あってのことです。 
ところが実は、この作戦でもいくつかの失敗を演じました。

その一つが「加藤清正の妻」のケースで、人質に取るはずの
標的?にまんまと逃げられています。
なんでまた、そんな無様なことに?
これには、捨て置くにはもったいないほどに面白いエピソードが
語られているのですが、ここではバッサリ割愛。 
ご興味の方は「清正妻・清浄院」などのキーワードで根気よく
調べれば、やがてはそのお話に辿り着けるかと思います。

さらに、この「人質拉致」?作戦にはもう一つ大きな失敗があり
ました。 「本能寺の変」の首謀者・明智光秀(1528?-1582年)
「明智珠」のケースです。
※「珠/玉/玉子」あたりが本名とされていますが、「玉子」では「ゆで卵」を
  連想する不謹慎な人がいるやもしれず、念の為ここでは「珠」とします。


この名をご存じない方でも「細川ガラシャ」(1563-1600年)と言えば
お分かりになるでしょう。 ちなみに、「ガラシャ(Gratia)」とは
キリスト教の洗礼名で、「神の恵み・恩寵」ほどの意味を持ち、
漢字では伽羅奢/迦羅奢の字を当てるようです。 
では、三成はどんな失態を演じたのか? 


細川ガラシャ51 石田三成51










細川ガラシャ/石田三成

 にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ  ↓コメント欄はいちばん下↓
↑応援クリックは↑

一口で言えば、人質に取るはずだった人間に死なれてしまった
ことです。 人質を取ったり取られたりは日常茶飯事?の時代
ですから、妻子ある武将は当然その心構えができています。
事実、遠征で家を留守にする際の加藤清正(1562-1611年)は、
家臣にこう伝え残しています。

〜人質に取られるなどは無念至極だ、策を考えておけ〜
その「策」の具体的な行動が先の割愛した面白いエピソードと
繋がるわけで、実際見事に「脱出成功」に結びつけました。
一方、ガラシャの夫・細川忠興(1563-1646年)は家臣に、
〜人質に取られるなどは無念至極だ、その時は殺せ〜

この「殺せ」という言葉の解釈には、
○自分の「足かせ」にならないよう始末しろ。
○悲惨な目に合う前に楽にしてやってくれ。
などいろいろ考えられますが、ともかく清正の発想「策を練れ」
とは違うものがあったのは事実でしょう。

で、その「細川ガラシャ」はどうしたのか?
いよいよ屋敷を包囲された時のこと、人質になることを毅然と
拒絶したばかりか、屋敷内の全員を集めこう言ったそうです。
〜夫が命じた通りに、自分は死ぬ覚悟です〜

しかし、自らが深く信仰するキリスト教が「自殺/自決」を厳しく
戒めている以上、その実行はガラシャ自身には無理なことで、
結局「他人の手により殺してもらう」ほかに方法はありません。
そこで、家老がそのガラシャの介錯を務め、その上で遺体が
残らぬように屋敷に爆薬を仕掛け火をかけたとされています。

このことは三成にとっては大きなポカ、ドジ、ヘマ、失策でした。
「ガラシャの壮絶な死」が、他家へ与えた影響は非常に大きく、
結果として、西軍(豊臣方/三成)に味方する者を減らし、逆に
東軍(徳川方)に恭順の意を示す者を増やすことになって
しまったからです。

さすがに懲りたのか、三成自身もこの「人質作戦」を引っ込め
ざるを得ませんでした。
つまり、かつての戦さでもそうだったように、石田三成は今度
の相手「細川ガラシャ」にも勝てなかったことになります。

ただ、ガラシャのこの行動を「夫の意向に殉じた妻」という目線
だけで眺めていいものかどうかは、多少微妙なところもあります。
というのは、「仲の良い夫婦」との評価もある反面、それに
否定的な見解、加えて「夫・忠興」の性癖についても、必ずしも
「問題なし」とは言えない状況が窺えるからです。

たとえば、夫・忠興の激しい「女好き」に失望したガラシャが、
宣教師に「離婚」を相談したという見方もあります。 
もしそうだったとしたら、キリスト教は「離婚」を認めていません
から、おそらくは期待した内容の助言は得られなかったので
しょう。 ※相談の内容については諸説がある。

相談された宣教師は、つい、これくらいの言葉で励ましたか?
〜神(キリスト教)がお認めになっていない「離婚」の誘惑に
  負けないで、タマさん、一緒に困難に立ち向かいましょうよ。
  ほら、「タマ磨かざれば光なし」って言うじゃないですか!〜
 

実は、この手の脱力系のアドバイスって、真に悩んでいる人に
とっては、ウットウシイだけのことで、むしろ逆に「死の覚悟」を
固めさせてしまう作用もあるのですよネ。
ですから、皆様もどうかお気をつけくださいますよう。




 にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ  ↓コメント欄はいちばん下↓
↑応援クリックは↑ 



−−−これまでの 「女性」 シリーズ−−−−−−−−−−−−−−−−
361 日本史の「女性」21 天皇空位?の乱倫事情 脅迫?の陰に女あり!
349 日本史の「女性」20 型破り!美貌皇后の遺言 これが諸行無常です!
336 日本史の「女性」19 ”仏教人”ここに始まる 尼僧に対する苛烈迫害!
318 日本史の「女性」18 アナタのお名前なんてぇの? タカラジェンヌかよ!
290 日本史の「女性」17 ♪どこか似ている可愛い女よ 似た名の美女二人
253 日本史の「女性」16 救出50年の鎮魂半生 もはや逃れられない呪縛
226 日本史の「女性」15 兼任皇后?の神出鬼没 鮮やかな復活劇の事情
203 日本史の「女性」14 ゴースト絵師?失踪す 親父絵師と二人三脚?
190 日本史の「女性」13 正室は知っていた! 公然の秘密は秘密じゃない!
168 日本史の「女性」12 消された?正室・濃姫 何もかもが不明とは?
159 日本史の「女性」11 忘れた頃の”女性天皇” 僅か七歳で即位とは?
135 日本史の「女性」10 何が正室に起こったか? 特別葬儀の真相?
110 日本史の「女性」09 未開人への好奇心 女を王とするトンデモ野蛮人?
102 日本史の「女性」08 信玄の血は残った 70歳と17歳、異色のカップル!
090 日本史の「女性」07 カカア殿下は先祖がえり? 知られざる女性パワー!
084 日本史の「女性」06 幼な姫のトラウマ 六歳で婚約、幸薄き短命人生!
074 日本史の「女性」05 宮廷の不都合な真実 どこから見たら”雅”なのだ!
064 日本史の「女性」04 歌舞伎女優の落胆 見過ごされたワンチャンス!
054 日本史の「女性」03 呪詛と空前自害 将軍を取り巻く気性激しき女性達!
047 日本史の「女性」02 お江の将軍構想 お江VS家康、嫁と舅の丁々発止!
043 日本史の「女性」01 禅尼の動機 執拗な助命嘆願、その真意はどこに?
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ヤジ馬の日本史〜超駄級・200記事一覧〜 前編「あ→と」巻 七転び八起き!
ヤジ馬の日本史〜超駄級・200記事一覧〜 後編「な→ん」巻 あゝ七転八倒!
ヤジ馬の日本史〜超駄級・300記事一覧〜 202−299編 堂々肩すか史!
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−




『中古』人質の歴史 陰の日本史
KSC
左方 郁子 (著)、1989年10月1日、廣済堂出版、251P 「必読」こちらの商品は他でも併売の為

楽天市場 by 『中古』人質の歴史 陰の日本史 の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
日本史の「女性」22 手抜かり!戦国人質作戦 ヤジ馬の日本史/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる