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zoom RSS 日本史の「列伝」14 洗えば落ちるやもしれぬゾ

<<   作成日時 : 2016/11/20 00:01   >>

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戦国時代の日本に渡来した巡察師・ヴァリニャーノに同行し、
織田信長(1534-1582年)に謁見(1581年)後、その献上品?と
された黒人がいます。
〜切支丹国より黒坊主参り候/年齢26−27歳ほど/
  十人力の剛力/牛のように黒い身体〜

よほどビックリこいた出来事だったのでしょう、「信長公記」は
このように書き残しています。

ところが、並み外れた好奇心の持主信長には、その「牛の
ように黒い身体」
の未曽有?の「真っ黒さ」にイマイチ納得が
いきません。
〜墨でも塗らんことにはこんなに黒くはなれぇせんでぇ!〜
そこで、身体を洗わせたところ、一層の黒光りを見せたことから
やっとのこと「ホンマモンの黒い肌」であることを納得したと
されています。

しかし、根っからの「新しいもの大好き人間」信長は、この黒人
を大いに気に入り、その後「弥助」との名を与えたばかりか、
家臣としても召し抱えました。
周辺の者にとってはこの成り行きも大層に「想定外」?のこと
だったのでしょう、複数の記録が残されています。
〜この黒人・弥助は私宅と腰刀を与えられ、時には道具持ちを
  していた〜
〜身は墨のようで身長は約(1.88M)、名は弥助と云うそうだ〜
〜(黒人・弥助は)扶持持ちの士分であった〜


この「弥助」は信長の割合身近なところに置かれたようで、
それが証拠に、弥助自身も信長暗殺事件「本能寺の変」
(1582年)に遭遇しています。

本能寺において、明智光秀(1528?-1582年)による突然の襲撃
を受け、信長が倒れたあと、弥助はすぐ近くの二条御所まで
身を移しています。
事変を知って「信長救援」を急いだ信長の嫡男・信忠(1555?-
1582年)
が妙覚寺からこの地に移動したので、それに合流した
ということでしょう。

しかし、その信忠も結局は光秀軍の前に自決に追い込まれ、
混乱の中で弥助自身も捕らえられてしまいました。
身柄を確保したものの、ごく普通の「信長家臣」というわけでも
ありませんから、光秀軍もその扱いには苦慮したようです。

そこで、首謀者・光秀に判断を委ねると、
〜ウーム、南蛮寺にでも送っておけ〜
要するに「日本人ではない」ことを理由にして助命したわけです。
※キリスト教・イエズス会が建設した教会堂

さて、この弥助のその後については、史料に表れることもなく、
実はよく分かっていません。
この時代の「黒人の大男」ですから、かなり目立つ存在だった
はずですが、パッタリ「消息不明」になっています。
顔見知りの大名を頼ってそこへ身を寄せたとか、あるいは故郷
(モザンビーク?)へ帰ったなど、いくつかの説もあるようですが、
いずれの説も決め手には欠けている印象です。


温泉01 人種肌色01






温泉浴場/肌の色が異なる人種

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ただ、ちょいとばかり面白いお話が残されています。
本能寺で追い詰められた信長が、弥助にこのように命じたと
伝えられていることです。
〜ええか、ワシの首を持っていけ!首と一緒に脱出しろ!〜
そこで、弥助は実行・・・ただ、真偽の程はわかりません。

なぜなら、そんなことをして、ひょいとした手違いから「首」が
光秀側の手に渡ってしまおうものなら、モロに藪蛇ですからね。
「遺体」を敵に渡さないことを目的とするなら、やはり建物に火を
かけ、「焼失」させてしまうのが一番手早く、しかも確実な方法
でしょう。

ところがドッコイ、話は二転三転。 
この時「弥助」が持ち出した信長の首から取ったとされる
デスマスクが、現在も子孫に伝えられているのです。
※一般的に石膏や蝋などで死者の顔の型を取ったものをいい、
  信長の場合はこれを「御霊」(みたま)と呼んだとのこと


この「御霊」の“本物”はTV番組でも放送されたそうですから、
ひょっとしたら、ご覧になった方もおられるかもしれません。
※TBS番組「アメージパング!」 放送2014年07月29日

確かに、イングランドの政治家・クロムウェル(1599-1658年)など
のデスマスクが残されている事実もあります。
しかし、それは海の向こうのお話であり、日本のデスマスクに
限れば、まあ大抵は明治以降の試み?です。

事実、信長とほぼ同じ時代の豊臣秀吉(1537-1598年)/前田
利家(1539-1599年)/徳川家康(1543-1616年)などの武将は、
畳の上で死んだにも拘わらず、そのデスマスクについては
話題に上っていません。
ですから、いかに好奇心の塊のような性格だったにせよ、信長
だけがそれを行ったとは、少し考えにくい面もあるわけです。

それはともかくとして、この時代の頃に来日した黒人はなにも
「弥助」ひとりだけではありませんでした。
その多くはキリスト教「白人」宣教師、そしてその「黒人」従者と
して日本の土を踏んだはずで、そうしたことは当時の様子を
描いた絵からも窺い知ることができます。

おそらくは、彼ら(白人・黒人)の肌を目撃した当時の日本人も、
信長と同様に好奇の目を向けたに違いありません。
〜フム、白さといい黒さといい、本当に「本当の肌」の色かぁ?〜

もっとも、「南蛮人」と呼ばれたこうした外国人たちの側も、
日本人を見て、同様な思いを抱いたことでしょう。
〜ウーム、白くも黒くもなく中途半端に黄色いのは、本当に
  「本当の肌」の色だろうか? 洗えば落ちるやもしれぬゾ


色ペールオレンジ51



クレヨン/ペールオレンジ

ですから、ちょい前まで「肌色」と呼んでいた色は、「肌の色」に
対する偏見・差別を助長する名称として敬遠されるようになり、
2000年頃からは、その色を「薄橙」(うすだいだい)とか
「ペールオレンジ」と言い換えることが多くなっているそうです。

この点、ついウッカリ古い?「色名」を口にすると、「人種偏見」の
持ち主との誤解を受けかねないので、殊に旧世代のオジサン・
オバサン族には、日々の言動にそれなりの緊張感が必要に
なっているというわけです。




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