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zoom RSS 日本史の「災難」01 築城名人<せいしょこ>さん

<<   作成日時 : 2016/07/30 00:01   >>

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元はといえば、加藤清正(1562-1611年)が、羽柴(豊臣)秀吉
(1537-1598年)から肥後北半国(20万石弱)を与えられた折に
手を加え、自らの居城としたのが「熊本城」です。

その石垣は、上部に行くにしたがって垂直に近くなる「武者返し」
と呼ばれる曲線がまことに見事で、国の「重要文化財」指定や、
「日本三大名城」という評価も、これがあってのものと感じられ
るところです。

ところが、本年(2016年)4月の「熊本地震」によって、大天守の
屋根瓦は剥がれ、シンボルのシャチホコは落下し、甚大な被害に
見舞われてしまいました。
飯田丸五階櫓に至っては足元の石垣が崩れ、櫓本体がいつ
崩落してもおかしくないほどで、その「修復には10年以上かかる」
との見通しですから、築城名人と謳われた「清正公(せいしょこ)
さんも、大きなため息か?

さて、この「熊本城=清正公」というイメージが強いこともあるの
でしょうが、清正公を熊本県人?と誤解している人も少なくない
ようです。 ところがドッコイ、意外なことに羽柴(豊臣)秀吉と
同じく尾張国・中村の出身なのですねぇ、これが。

その上に、現在に伝わる場所がもし正しいとしたら、清正と
秀吉互いの生誕地は、その尾張・中村の中でもそれこそ
「クシャミが届く」ほどの近所、すなわちすぐ「お向かいさん」同士
だったとも考えられるのです。
※加藤清正=名古屋市中村区中村町字木下屋敷22 (現:妙行寺)
  豊臣秀吉=名古屋市中村区中村町字木下屋敷47 (現:常泉寺)


しかも、二人は遠縁に当たっていたそうですから、こうした
繋がりもあって、秀吉に可愛がられた清正は小学生?の年頃
から小姓として仕えました。
※清正の母が秀吉の母(後の大政所)と従姉妹同士だったとも。

ですから、清正の豊臣家に対する忠誠心は筋金入りです。
それは秀吉死後、実質的な天下人・徳川家康(1543-1616年)に、
表向きは恭順の姿勢を示さねばならなかった時代においてさえ、
少しも揺らぐものではありませんでした。

それが証拠に、本丸御殿の奥にある「昭君之間(しょうくんのま)」と
呼ばれる部屋は豊臣家有事の際に後継者・秀頼(1593-1615年)
迎える目的で設えたと言われているほどです。


熊本城地震51 熊本城地震52






熊本城の地震被害/飯田丸五階櫓&大天守

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「関ヶ原の戦い」(1600年)の折りに、家康が清正に国元・肥後から
離れることを許さなかったのも、この「豊臣家に対する忠誠心」に
かなり神経質になっていたことの証拠でしょう。

家康にしてみれば、清正が仮に味方に付いてくれたとしても、
いざ戦闘が始まるや、豊臣家大事の気持ちが募って裏切りに
出られたのでは堪りませんから、そうした行動を予防するため
の措置だったかもしれません。

後に清正が「急死」した折に、家康による毒殺ではないか
との憶測があったことも、そうした雰囲気を伝えています。
※死因については、性病/ハンセン病/毒饅頭/毒料理など諸説あり。

その後の歴史は、清正が憂慮した通り、「大坂の陣」(1614/
1615年)
という「豊臣家有事」、それどころか危急存亡の局面を
もたらしました。
しかし、その時既に清正は既に亡くなっており、結局「熊本城・
昭君之間」に秀頼を迎え入れる機会はなかったわけです。

さて偶然というべきか、「熊本城」の再建計画が難儀を示して
いるこの時、清正の生まれ故郷に建つ、こちらも「三大名城」に
数えられる「名古屋城」でも再建計画が持ち上がっています。

自身はその完成を見ることはできませんでしたが、九男・義直の
ために家康が天下普請した「名古屋城」の築城工事には、
実は清正も携わっていました。 ※着手1610年〜完成1615年
さすがは「築城名人・清正公(せいしょこ)さん、忙しい御仁だッ!


オリジナルのまま残っていたなら、姫路城と並んで「国宝」指定
間違いなし(地元人のエコヒイキ?)の「名古屋城」でしたが、昭和
の戦争の「名古屋大空襲」(1945年)で、本丸御殿ほか大部分を
焼失する不幸に見舞われ、やむなく「鉄筋コンクリート造」
再建を果たしたものです。
※まだ史跡などに対する法律が整備されていない昭和34年/1959年頃は、
  建築基準法の制限下にあって、「木造」が許可されなかったため。


ところが半世紀以上経って、その「鉄筋コンクリート」自体に劣化
が見られるようになり、その上に「東海大地震」発生の心配も
重なっていますから、このままうっちゃっておくことができなく
なったという次第です。

奇しくも、共に清正公が手掛けた二つの名城、「熊本城」と
「名古屋城」の復旧・再建計画が重なることになりましたが、
いずれにせよ築城名人「清正公(せいしょこ)さんの名を汚さない
立派な結果を迎えられるよう願うところです。

さてお話はモロに逸れますが、両城の本拠地である熊本県と
名古屋市は、「お城」ばかりではなく、実は「ゆるキャラ」でも
人気を博しています。

ゆるキャラくまモン52 ゆるキャラはち丸53 ゆるキャラ清正くん51







熊本:くまモン/名古屋:はち丸/熊本:清正くん

少し古いお話ながら、2011年の「ゆるキャラグランプリ」では、
熊本県「くまモン」が見事第1位に輝き、名古屋市「はち丸」は
5位入賞?を果たしています。

ただ残念なことに、この時あまり話題にはならなかったのが、
加藤清正公をイメージした「清正(きよまさ)くん」でした。
ひょっとして、この愛称を「せいしょこさん」にしていたなら、
案外上位に食い込んだのかもしれませんゼ。




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幕末期、それまで共に御所の護衛に当たっていた長州藩は、 同僚?の会津藩・薩摩藩から、突如として締め出しを食らい、 京から追放される立場になりました。 いわゆる「八月十八日の政変」(文久3年/1863年)です。 ...続きを見る
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