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zoom RSS 日本史の「トホホ」20 光秀が見た本能寺の月

<<   作成日時 : 2016/06/20 00:01   >>

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〜「天正10年(1582年)6月2日」のこと、明智光秀による
  織田信長暗殺事件「本能寺の変」が勃発した〜

歴史の本では、よくこんな表記方法で日付を表します。
実はこれ、和暦なら「天正10年6月2日」になり、その当日の
西暦「1582年」をカッコ内に注記?したものです。 
※和暦「天正10年6月2日」は、西暦では「1582年6月21日」になる。 

もっともこれを「6月2日未明」と解釈するのは、深夜0時を
もって日付が変わるとする現代人のクセに過ぎず、当時の
日常感覚〜夜が明けたらそこで翌日〜に従うなら、まさしく
「6月1日深夜」に勃発したことになります。

要するに、すっかり「西暦」(グレゴリオ暦/太陽暦)に馴染んで
しまった現代日本人には、先祖様たちが愛用した「和暦」が、
とんと分かりにくくなっているとも言えるわけです。
ではそもそも、この「和暦」とは一体どういうものなのだ?

基本的には「お月さま(太陰)」の満ち欠けを基準にした
「太陰暦」ですが、少し探ってみると、これ自体は割合に
単純な構造になっています。

「お月さま」が見えない、所謂「新月」の日を「朔日(ついたち)」と
定め、それからだんだん大きく見えるようになって満月になると、
これを「十五日」(十五夜)に、そして今度はだんだんと欠け始め、
また見えなくなると、これを翌月の朔日。 こう決めたものです。

要するに、〜カレンダーがなくても、「お月さまの形」を見る
だけで「日にち」が分かる〜
という便利さをウリにした暦という
ことができそうです。
ところが実際には、朔日から次の朔日までが約29.5日ですから、
「ひと月=30日」と決めてしまっては、毎月約0.5日分だけ、
一年にすれば6日ほどの誤差が溜まっていくことになります。
つまり、十五日に「十五夜」(満月)とは限らなくなってしまう
わけで、これではウリの便利さにキズがついてしまいます。

そこで、「大の月=30日」と「小の月=29日」を組み合わせる
ことで、その誤差を吸収するように考えました。 
〜やれやれ、これで一件落着!〜と思いきや、ところが世間は
それほど甘いものではありません。

なぜなら、「お月さま」だけを基準にしたこの暦「太陰暦」だと、
平年の1年は29.5日×12回=354日となってしまい、
実際の1年=365日より11日も短くなってしまうからです。
※1年=355日の「閏年」もある。

この誤差を、たとえば15年も放ったらかしにしておこうものなら、
11日×15年=165日もずれてしまうことになって、今度は季節の
方が大幅に狂ってしまいます。
「クソ暑い冬」なんて、トンデモな季節も登場しかねないわけで、
これもまたメッチャ不便なことです・・・何とかならないものか?


太陰太陽暦01












太陰太陽暦/日本科学未来館

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そこで、そこに一年の季節の変化を加味した「太陰太陽暦」
いわゆる「和暦」が登場します。
つまり「1年で11日」の誤差が30日くらい溜まったら、エイヤァ!
とばかり「閏月」を設け、その年を「1年=13ケ月」として処理する
といういささか乱暴な方法です。

こうすることで「お月さま(太陰)」基準の「太陰暦」による「日にち」
も、また「お日さま(太陽)」を主人公にした「太陽暦」による
「季節」の方も、そこそこ誤差の小さい暦になり、生活への支障
もグ〜ンと減らせることになるわけです。

確かに「1年=13ケ月」というのもなにやら妙な感じがしますが、
しかし現代だって、2月に29日を設けて「閏年」としているのです
から、慣れてしまえばそれほど不便でも異様でもなかったのかも
しれません。

さてそこで、冒頭の「本能寺の変」に戻ると、事件の勃発は
「天正10年6月(現代感覚なら)2日未明」のこと、つまり当時の
人たちにとっては〜夜明け前の「1日深夜」〜ですから、
当然のこと「お月さま」は出ていなかったことになります。

なにせ「朔日」ですから、晴れていようが雨やヤリが降ろうが
例外なく丸〜い「お月さま」は出ていません。 
つまりこの時、謀反人・明智光秀が「本能寺の月」を見ることは
当然のこと、なかったということになります。

ところが、NHK大河ドラマ「真田丸」で描かれた「本能寺の変」
には、なんと丸々とした「お月さま」が登場していたのです。
こうした「落ち度」については、やはり視聴者から素早く鋭い
指摘が届き、さすがに再放送ではこの「お月さま」のシーンを
カットしたとのことですが、公共放送としてはちょっとばかり
「トホホ」な出来事でした。 ※2016年1月31日放送/第4回「挑戦」

「トホホ」ついでにお話は飛んで、明治政府が従来の
「太陰太陽暦」から「太陽暦」へ改暦する旨の詔書を出したのは、
明治5年11月9日(西暦1872年12月9日)のことでした。
〜太陰暦を廃止して太陽暦にする。 明治5(1872)年12月3日を
  以って、明治6(1873)年1月1日とする〜


改暦の布告から施行までわずか23日、しかも12月が2日しか
ないという、この慌ただしい超スピード実施・・・実は、これには
明治政府のサイフの事情があったとされています。

そのまま行けば、翌・明治6年は旧暦だと一年=13ケ月の閏年
になり、役人の給料も13回支払わなければなりません。 
「トホホ」な話ですが、そんな財源もありません。

そこで、1年が12ケ月の「太陽暦」に切り替えれば1回分浮くし、
その上、明治5年12月も2日しかないのであれば、この12月の
給料もまるまる節約できると考えたようです。

何事にせよ、政府が素早い対応を見せる時には、何かしらの
ウラがあるもので、やはりこの時の「改暦」もそのセオリーに
則ったものだったのかもしれません。
〜政府のやることって、ホントに油断もスキもありゃしない!〜




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