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zoom RSS 日本史の「もしも」07 源平の”神意”綱引き合戦

<<   作成日時 : 2016/04/20 00:01   >>

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源平合戦・第二幕?「屋島の戦い」(1185年)の折のこんな
お話が「平家物語」に残されています。
日暮れを迎え、源平双方の兵が引き始めた時、平家側から
一艘の小舟が汀(みぎわ=水際)へ漕ぎ出してきました。

見れば、赤地に金箔で日輪を描いた扇をかざしています。
〜さて源氏サンよ、この扇を射落とせるかな?〜
つまり、平家側はこんなメッセージを送って源氏側を挑発したと
いうことです。 

その意を汲み取った源氏大将・源義経(1159-1189年)は、
困難さに尻込みする面々の中から、射手を選びました。
運悪くその役に指名されちゃったのが那須与一(1169?-1189年?)
でした。

〜ウワッ!そんなぁ・・・〜 初めはためらった与一でしたが、
大将の命令ですから、覚悟を決め黒駒の手綱を汀へ。
風のため波も立ち、小舟の「扇の的」も揺れています。
その距離、現在でいうなら80メートル?ほど・・・

これって非常に微妙な距離なんですってね。 
もっと近ければ、「射抜いて当然」ということになって「挑発」の
意味がないわけですし、さりとて「沖合8キロ」なんて距離では
今度は「射抜けなくて当然」ということになって、これまた「挑発」
にはなりません。

ですから、平家側としても「命中できるか?できないか?」の
つまり、観客?が固唾を呑んで見守るというギリギリの距離を
設定したわけです。
実はこのお話にはいささか意味深な続きもありますが、それは
割愛して話を進めると、ご存知の通りの結末でした。

「南無八幡大菩薩!」と唱えて放った与一の矢は見事に命中!
この光景を目撃した源氏側の気勢は一気に盛り上がり、それ
とは逆に、平家側は一様に固まってしまったとされています。

しかし、まあ現代人がこのお話を聞けば、少なからずこんな
感想を抱くところです。
〜よりにもよって、こんなときに息抜きの余興をしているなんて、
  昔の合戦はのんびりしていたなア〜
 しかし、ちょっと待て! 
こうした感想にはチョイトばかり「誤解」があるのではないかえ。


那須与一51












 那須与一「扇の的」

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では、その「誤解」とは?
そもそも、この源平双方のこの行動を「余興」と見ること自体が
現代人の偏見といえそうなのです。
じゃあ、このときの源平双方は何を考えていたのか?

源平双方がこの行為を通じて「神意」を諮っていたわけです。
つまり、「神様は源平いずれに味方しているのか?」 
与一が射抜けば、神のご意志は源氏にあり、もしできなければ、
それは平家側にあると解釈していたということです。

ですから、その「結果」が示された時、「平家側が固まった」のも
無理もない話で、平家側はまさに「天は我々を見放したッ!」と
いう感覚で受け止めたことでしょう

証拠は他にもあります。
矢を射る直前に与一が洩らしたツイート?「南無八幡大菩薩!」
がそれで、この言葉は「神意を託された」と自覚した与一が、
その重責をまっとうすべき、思わず知らず源氏の守護神である
「八幡神」にすがった姿ということになります。

「八幡神」にしたところで、こういう場面で名を挙げられたことは
気分の悪いはずもなく、快く与一をフォローしたのでしょうね・・・
きっとなら。

ですから、この時「もしも」与一が的を外していたとしたなら、
平家側のモチベーションが俄然高まったことは間違いなく、案外
「負けなかった」、それどころか「逆転勝利」を収めた可能性も
否定できません。
そういう意味では、「八幡神」を動かした与一のこのツイートは
もっと大きく注目されてもいいような気がします。

「な〜に、そんなの神様に付会したただのヨタ話じゃん!」
確かにこんな醒めた見方もありましょうが、案外これも神様を
軽視する現代日本人の傲慢不遜な思い込みに過ぎないのかも
しれませんぜ。

それが証拠に、昨日アナタが「百円玉」を拾って、ちゃっかり
ポケットにしたことも、一部始終お見通しでしたからね。




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