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zoom RSS 日本史の「事始め」08 昔もあった?ブラック企業

<<   作成日時 : 2016/04/15 00:01   >>

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〜あまりの激務に体調を崩し、病死(享年55) 
幕臣・江川英龍(1801-1855年)の最期を紹介した文章です。 
現代なら、さしずめ“過労死”という言葉になるのでしょう。

では、死に至るような“激務”とは、いったいどういうものだった
のか?
そもそもの端緒は、最初の「黒船来航」(1953年)で開国を
迫ったペリー艦隊が帰りしなに言い残したこんな挨拶でした。

〜来年もまたお邪魔に上がりますから、どうぞヨロシクね〜
この言葉に幕府はアワを食いました。
なぜなら、開国を迫るようなウットウしい奴には来てほしくない、
さりとて、それを追っ払うだけの準備は何もしていない。
こんな状況にあったからです。
〜なら、次に「黒船」が来るまでに大至急の備えをしなくっちゃ〜

そうした中で、幕府が江川に命じた仕事は、
台場の築造 (外国船を江戸湾へ入れないための砲台)
○反射炉の建設 (近代大砲の製造に不可欠な鉄の精錬設備)
銃砲政策&爆裂砲弾の研究開発 (防衛力の向上)
○造船技術の向上&農民軍の組織 (防衛戦へ備え?)
ロシア使節プチャーチン一行への対応 (同じ頃日本へ来ていた)

江川英龍一人にそれを「全部やれ!」ったって、こんなもん、
誰がどう見たって、こなし切れる仕事ではありません。
ところが、江川はズルを決め込むことなく、これに真面目に
向き合いました。

もちろん、その他諸々の仕事にも取り組みながらの同時並行の
形でしたが、即座に品川台場と反射炉建設に着手したのです。
驚くことに、この「台場」は翌年(1854年)の黒船再来航までの
一年足らずの間に半分以上完成させています。
※反射炉は後を継いだ息子・江川英敏が1857年に完成させた。

「残業」どころかは、おそらくは「寝る間」もないほどの典型的な
「長時間労働」だったはずで、これで過労に陥らない方がむしろ
不思議なくらいです。

つまり、社員?を過労死させてしまうほどの「過重労働」を平気で
押し付けていたのですから、現代なら「幕府本社」?は、間違い
なく「ブラック企業」?の烙印を押されていたことでしょう。


江川英龍51 明智光秀51









          江川英龍   明智光秀

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さて、時代を少し遡って、戦国時代。
織田信長(1534-1582年)に見出された明智光秀(1528?-1582年)も、
家臣として随分の働きをみせた人物です。

1581年の大イベント京都「御馬揃え」の運営を任されるまでに
出世した光秀自身も、またそうした抜擢に対し、主君・信長には
大きな感謝の気持ちを持っていました。 
実際、その意を表す書状もあったとされています。

さらに光秀はこの翌年(1582年)のこと、信長の盟友・徳川家康
(1543-1616年)の饗応役も仰せつかりました。
大切なグループ会社?社長の接待を任されたわけです。

ところが後から振り返ってみると、どうもこれがケチの付き初め
で、信長から「料理の魚が腐っている」とのクレーム?を受け、
厳しく叱責されたばかりか、途中でお役目解任の憂き目に。

その上に、「備中へ出陣せよ」(羽柴秀吉の応援)との業務命令を
受けたのですから、〜とんと役に立たない奴だ〜 社長・信長が
これを言葉ではなく、態度で示したといったところでしょうか。

その上に、信長は光秀にこんなことも伝えていたようです。
〜出雲国と石見国の両国はよぅ、攻め取った分だけそのまんま
  オミャァ(お前)の領地にしてええけど、その時は今持っとる
  近江坂本と丹波国は返してもらうでよぅ〜 (当然、尾張弁です)


要するに、光秀からすれば「過酷なノルマ」?を押し付けられた
上に、それができなければ「賃金不払い」?の状況が待っている
わけです。

つまり、カリスマ社長の指揮のもと、驚異的な急成長を遂げた
ベンチャー企業?「織田家」も、社員・光秀の受け止め方と
すれば、この頃はすでに真っ黒けな「ブラック企業」?だったの
かもしれません。

〜近頃の上様の「パワハラ」は度が過ぎている! 
  社員?を人間として扱っておらず、これではまるっきり
  「使い捨て」の按配だ! いかん、もう我慢の限界だ!〜


現代なら裁判なりマスコミに訴え出ることもできたのでしょうが、
いかんせん、時代は戦国乱世ですから、そもそも「裁判所」も
「マスコミ」もありません。

そこで、思いつめた光秀は信長暗殺「本能寺の変」(1582年)
まっしぐら! ワンマンなカリスマ社長を力づくで引きずり
下ろしました。
以後、幾分の紆余曲折を経ましたが、結果として、自らの死を
必要としたものの、一つの「ブラック企業」を倒産?消滅?に
追いやった形になったわけです。

ちなみに、聞くところによれば、「ハラスメント」(嫌がらせ)と呼ば
れるものは、先の「パワハラ」の他にも、「セクハラ」「マタハラ」
など、なんと三十数種類もあるとのことです。

そして、光秀に一番当てはまるのは「この恨みハラスメント」なの
かもしれません。 
でもこれが、三十数種類の「ハラスメント」に含まれていないのは
ある意味当然で、なぜなら、たった今思い付いたワタシの
「ダジャレ」に過ぎないからです。




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